マザー・テレサ その2
「導いてくれる人を待っていてはいけません。あなたが人々を導いていくのです。」
マザー・テレサの言葉から幸せについて私なりに考える試み。
・・・なかなか厳しいことを言うではありませんか。
白馬の王子様を待たずに、
あなたがジャンヌダルクになれと言うことですか。
非常に難解な言葉だなぁ。
全員がこの言葉通りに、導いてくれる人を待たずに導いていく側に回ると、導かれてくれる人がいなくなってしまい、導いていくことができなくなってしまうじゃありませんか。
というのはつまらない言葉遊びか。
導いてくれる人を待つなと言っているだけで、
導かれるなとは言っていない。
「白馬の王子様を待つな、探しに行け。」ってところでどうでしょうか。
『導いてくれる人』の程度によりますが、
上には上がいるというのがこの広い世界でして、
あなたの目に映る人々の半分以上くらいは、
なにかしらの形であなたを導いてくれる人なのだと思います。
待つも何も、そこら中に『導いてくれる人』はたくさんいるよ。
声を出せばいいじゃん。手を挙げればいいじゃん。
『上には上がいる』ということは、
そう、
『下には下がいる』ということを忘れてはいけない。
あなたの目に映る人々の中には必ず、
なにかしらの形であなたの導きを喜ぶ人がいる。
あなた自身もまた人々を導いていく立場であると同時に、
誰かに導かれる立場でもある。
その連鎖を止めてはいけないし、その連鎖を動かさなければいけない。
ふぅ。
でもさぁ、
本当に困っている時ってあるよね。
本当に助けてほしい時ってあるよね。
もう動けない、もう声も出ないって時あるよね。
導いてくれる人を待つしかないって時もあるよね。
わかるよ。
わたしは、
そんなあなたを見つけ、
手を差し伸べる。
導く。
が、
高確率で問題が発生するんだ。
動けもしないわ声も出ないわのあなたに、
声をかけ手を差し伸べると、
「あなたではありません。」と逃げていく。
どうなってるん。
動けもしないわ声も出ないわじゃなかったん。
なんなん。
元気かよ。
ならよかったわ。
導いてくれる人を待ってるヤツって理想高いよな。
自分が一番下だと思ってるよな。
なんの話か分からなくなってしまった。
さすが、マザー・テレサだ。
以上。