門限の過ぎた夏祭り
あなたの家には門限はありましたか?
うちは基本的には門限はなく、帰宅時間が門限でした。
とはいえ、学校が終われば寄り道もせず家にまっすぐ帰るタイプの良い子でしたので、門限が問題にならなかった、といえばそうなのですが。
塾で10時ごろに家に帰ると、父が帰ってきており、まじめに勉強して疲れて帰って来た娘に「不良娘」と言われたのは嫌な思い出ですが、今回はその話題ではありません。
我が家に唯一門限ができるのは、私が夜に友人と遊びに出掛けるときでした。
とはいえ、普段は遊びに行っても6時には帰ってくる良い子の私です。
そんな機会は、年に一度あるかないか。
つまりは、お祭りに行くときでした。
お祭りと言っても、神輿を担いでわっしょいわっしょいやる方のお祭りではありません。私の地元には、夏のある一定期間だけ、大きな商店街が一斉に出店を出す「土曜夜市」なるものがありました。
名前からして夜市ですから、当然開催は夕方5時くらいから。
友達との待ち合わせも5時くらいになります。
送り迎えをしてもらえたり、電車などの交通の便が良い子は浴衣などを来て、花火はなくても金魚すくいやくじ引きなどを楽しみ、屋台飯に舌鼓を打つ「縁日」のようなものでした。
いじめられていて友人がいなかった私ですが、中学三年生のときだけは例外でした。なんの偶然なのか、友人と呼べる相手が3人もできたのです。
とはいえ、廊下に出ればいじめられ、教室の中でもいじめられていることには変わりありませんでしたが、夏休みになれば集まって、一緒に受験勉強をする相手ができたのは、とても喜ばしいことでした。
さて、そんな最後の中学生活も終わり、それぞれの進路を選んだ4人(私と友人3人)は、当然のことながら疎遠になります。
全く違う高校に通っているわけですから、スケジュールが合うはずがありません。そんな中、春のお花見と夏の夜市だけは、誘い合わせて一緒に行く、というのがお決まりでした。
そんなわけで、久しぶりに会う友人との夏祭りです。
待ち合わせは商店街のある場所ですから、家からはひとりで行きます。
この日の門限は7時だったか、8時だったか。
5時に待ち合わせる友人と、会って話して、長い商店街2本を往復するだけで2時間じゃ足りませんが、ともかく、家までは30分かかります。
その上、自転車置き場は大変込み合うため、15分~20分を見積もって行動しなければなりません。
名残惜しいながらも「帰ろうか」となり、友人を付き合わせて早々とお開きになりました。
さて、自転車置き場までの道のりで、ちょっとトイレに寄っていこう、となりました。
ここまでは予定通りです。そもそも商店街の中にトイレがないので、地下街に位置するそのトイレに寄ることは当然の成り行きでした。
しかしながら、田舎の地下街のトイレです。
20年ほど前ですので、和式が2つしかありません。
しかも、夜市ということで頻繁に使われた結果なのか、
行儀の悪い使用者がいたのか、
どんな理由かは分かりませんが、トイレは詰まりをおこして水浸しでした。
我々は高校生ですから、諦めようか、どうしようか、選択肢がありました。
しかし、そこには、半泣きで困っている幼女がいたのです。
そのころの私には、彼女がいくつなのか検討をつけることは経験値が足りなくてできませんでした。
が、すくなくとも、4歳か5歳か、親の補助がなくても一応はトイレに行けるくらいの子どもでした。
けれども、彼女にとっては経験のない水浸しのトイレです。
後から分かったことなのですが、その子のお母さんは小さな弟さんも連れていたため、そのときは彼女を置いて男子トイレに補助に行っていました。
昔のことですから、小便用の便器なんて、男子トイレにしかありませんからね。
まさかお母さんも、女子トイレが水浸しになっているなんて思わなかったのでしょう。
さて、そんなこんなで、泣いて母親を呼ぶ子供を見捨てて去っていくことに良心の呵責を覚えた私は、泣いている彼女に声をかけ、彼女のトイレの補助をして、その後すぐにやって来たお母さんに少女を引き渡してから、その場を後にしました。
そのころには、すでに門限まで20分。
どうあがいても間に合うはずがありません。
私は全てを諦め、困っていた少女を助けていたら、時間が無くなったので帰るのが遅れる旨を母親に連絡しました。
その後、どんなやりとりがあったかは覚えていないのですが、帰ったら家の鍵が閉まっていたのは覚えています。
母親は大層怒っていて、私が何を言っても、前もって行動しないのが悪い、門限はちゃんと伝えていた、と言われるだけでした。
私は泣いて謝ってとりあえず家に入れてもらったのですが、未だに何が間違っていたのかさっぱり分からないままです。
その翌年、また同じく友人3人と夜市に行きました。
今度は前もって余裕があるように行動し、困り果てた少女を見つけるハプニングもなく、予定通りの時刻に自転車置き場に着いたのですが、問題はここで起きました。
自転車の後輪が、パンクしていたのです。
こうなったら、自転車を押して、歩いて帰るしかありません。
私は、自転車がパンクしているから、歩いて帰る、とメールをして、とぼとぼと歩いて帰りました。
当然のことながら、門限なんか守れるはずがありません。
自転車で30分。
たまの坂道にずるをして自転車をゆっくり走らせても、徒歩では一時間はかかります。
果たして家に帰ると、鍵は開いていました。
しかしながら、門限を守らなかった罰として、当時私が大切にしていた小説が全巻姿を消していたのです。
私は抗議しましたが、自転車を不注意でパンクさせたのが悪いと、とりあってくれませんでした。
翌日、自転車が使えなければ高校に通えないので、嫌そうな顔をする母から修理代をもらい、自転車屋さんに修理を頼みに行きました。
その自転車屋さんは、とても親切で、泣きそうな顔をしている私に、すぐ直るから大丈夫。夕方に取りに来て、と言って、翌日の月曜日にはきちんと高校に通えることを保証してくれました。
夕方、自転車を取りにきた私を、自転車屋さんは気難しい顔で迎えました。
なんと、後輪はただのパンクではなく、中の芯まで傷付けられていた、というのです。
出てきたのは釘でした。
おそらく、駐輪場で故意にパンクさせられたものだろう、と。
実は、その後数か月後にも、同じ駐輪場で同じ方法でもう一度パンクしたことがありました。その際も、釘が出てきたので、おそらくは同一犯でしょう。
なぜ、こんなことになったのか。
私の通っている高校は市内で唯一の進学校でした。
それもかなりの進学校です。
もともとは藩校だった歴史もある古い公立校で、地元では名の通った名門校です。
そこまでのレベルに行けば、いじめをするような人はいない、と親からも教師からも言われたからこそ、頑張って入学した高校です。
名門校らしく、自転車通学の際には必ず学校名とクラスと出席番号が書かれたシールを貼る決まりがありました。それがなければ自転車で登校してはいけないのです。
かなり特徴的なシールなので、それがあればその高校に通っていることが一目瞭然のものでした。
もし、この自転車に乗っている学生が何か悪いことをしたら、即座に学校か警察に「あの名門校の生徒がこんなことをした」と通報できることでしょう。
むしろ、そんな生徒がいるはずがない、という誇りでもあり、
そんな生徒がいたら即座に対処するから、ぜひ教えてほしいと言う戒めでもあったでしょう。
それほどに、その高校に通っているということは、市内では認められたことでした。
それが、嫉妬の対象になったのでしょうか。
2度もそんなことがあったため、私はその駐輪場を一切使わなくなりましたが、どんな理由であれ、他人のせいでパンクした事実を母に伝えても、小説全巻はそれから1か月、私の手元には帰ってきませんでした。
私は悪いことをしたのでしょうか?
たぶん、将来私の娘が同じことをしても、私は家の鍵をかけて締め出しもしなければ、娘が一等大事にしている拠り所のような小説を、罰則として隠したりはしないでしょう。
これを書いて気が付いたのですが、
家では静かにしていなければ怒られるし、
学校では何か動けば、何かされるのは確実でしたから、
夢中になって話の中に入り込める読書は、私にとってのオアシスであり、逃げ場所であり、現実逃避であり、唯一の安全圏でした。
私から、好きな小説を奪うことは、母親が考えているよりも、とても残酷なことだったのですね。
私が、母親の立場なら、どうするでしょうか。
心配するから、帰ってくる間、5分ごとにどこにいるかメールしなさい、とは、言うかもしれません。
一緒に歩いて帰ってきてくれる友達に、電話を替わってもらって、ごめんね、ありがとう。娘をよろしくね。あなたも気を付けて帰るのよ、無事に帰ったら娘の携帯にメールしてね、と伝えることだと思います。
自分の自転車をパンクさせた、悪意のある犯人がいるという話には、きっと怒るでしょう。
酷いことをする人がいるね、と話をして、けれどあなたはそんなことをしない子に育ってうれしい、と伝えるでしょう。
そして、傷ついたかもしれないけど、あなたが傷つく必要はない。あなたは何も悪くない、と伝えるでしょう。
2度目があったときには、学校と警察の両方に伝え、駐輪場があった百貨店にも、このようなことがありましたと伝えるかもしれません。
だって、娘の自転車をパンクさせた心無い人間が、他の自転車をパンクさせていないだなんて、考えられないのですから。
やっぱりいまでも分かりません。
私のしたことの、どこが間違っていたのかどうか。
あなたは、どう思いますか?
あなたなら、どうしましたか?
あなたなら、どうされたいでしょうか?
踏ん切りがつかないまま、私は今日も生きていくしかないらしいですね。