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女性学

女性学

1970年の初春、初めて渡米、無我夢中で新しい国に慣れようと努力していた道筋で、女性学なるものの存在もチラリと耳にしたが、 立ち止まって深く女性学を学ぼうと言う気持ちは何故だか生じないまま、月日が流れた。

とは言え、米国でもジェンダー問題が大きく取り上げられるような時代に突入、特に際立ってその内容を学ばなくても、耳学問的に私の頭の中にも侵入していったように思う。

上野千鶴子教授が、60代になり国立大学である東京大学の退職に伴う、最後の講演会の演説の原稿も、先生の著作である、「生き延びるための思想」の最後に転載してあった。

女性学は、「女性が筋力などで男性と同等になる事ではなく、与えられた女性と言う性の特色を認め、男性より筋力等で劣るにせよ、 その弱さのままで、平等に生きられるような社会の実現が大切なのだ。」と教授。

「産み育てる性を与えられた女性は、子供、身障者、高齢者等、いわゆる社会の弱者を介護する役割を歴史的に担ってきた。」

「女性は、男性の筋力などに見劣るが、ましてや、弱者の保護介護の仕事も引き受ける事で、身動きも自由にならない場面に多々遭遇してしまうチャンスが多い。」

「ただ、21世紀の現代は、誰もが80代、90代まで生きる可能性が大になり、どんなに社会的強者であると確信している男性であれど、 高齢化と同時に何人も弱者に転落する。」と教授は述べた。 
「すなわち、 人間は、すべからく、人間界において、強者と弱者の役割を、本人が望もうが望むまいが、担う宿命にある。」

「結果的に、全ての人が、弱者に対しても優しく振る舞える社会を、作りやすい時代の到来とも言えない事はない。」

私も後期高齢者の一人、長年経済的自立を全面に押し出し、夢中で仕事をこなして来たが、 80歳の声を聴き、これから何年、自分の求める自立生活を維持できるかが、今の私に与えられた課題だ。

日々を楽しみ、出来る限る他人に迷惑をかけないように、気を配り生きて行こうと意気込んではいる。

上野千鶴子先生のおっしゃる通り、長生きすれば、全ての人が弱者に転落するのは自明の理だ。

その期間を、できるだけ短くしようと、私なりの努力中であるが、この世に顔を出した赤子の時も、周りの人達の慈愛に頼らざるを得なかったし、私も、自分が望まなくても、人の重荷になる時期が来る。  その時期が出来るだけ短いことを神仏に祈るのみだ。

私も、多くの人々同様、PPK(ピン ピン コロリ)を夢見ているのだろう。  時流にいつの間にか乗ってしまっている自分が、山形県の赤湯温泉街を歩き回り、 紅葉した山々の景色を 楽しんでいる。

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