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アダルトチルドレンな私の行く末-母を家で看取ると決めました

こんにちは!いこです。またもやnoteの放置が過ぎ、夏が過ぎ、ここのところ急に秋が深まって、日によっては寒いほどですね。前回の投稿から3ヵ月以上が経過しておりますが、その間ずっと、実はジリジリと書きたかった。ですが、書き始めるだけの気力も体力もなくて。それに、心はネガティブなこと尽くめで、良からぬことを書いてしまいそうでしたので、自主規制していたところもありました。ですがやっと、気持ちが晴れ、体調も立て直りつつある今日この頃。そろそろ書いても良い頃合いなのでは、ということで、書き始めております。さぁ、何を書くのでしょうか。それでは、良からぬことを?それとも???


疑心暗鬼-愛なんてない、嘘っぱちだ!

母がステージ4のがんだと分かって、母の死を意識し始めてから始めたこのnote(当初はブログ)では、これまで、私たち母娘の暮らしについて、また、私の心模様を主に書いてきました。始めた当初は、母の病状や治療についても、経験したこと、学んだこと、気づいたことなど様々書いてみたいと思っていたのですが、その詳細についてはほぼ取り上げることもなく、がんサバイバーとしての母の状態や治療内容がいったい今どうなっているのかは、このnoteに投稿されてきた文章からはあまり見えてこないだろうと思います。がんサバイバーとしての母の歩みを記録しておきたいとも思っていたのに、その意味をなしていないことは多少残念ですが、まあ良しとします。私は、この母の生活を闘病生活とはまるで認識してはおらず、母の人生の最終ステージであって、私の人生においても特別なステージである、というふうに捉えています。私はこの母のEnd Of Lifeに私たち母娘はどう生活していたのか、どう生きていたのか、私は何を感じて、何を思っていたのかを残しておけさえすればいいようです。

とはいえ、〝何を感じて、何を思って〟これを常日頃正直に書き記すということはなかなか難しいことです。というのもこの夏、心は荒み、鬱屈とした日々を過ごしていました。取り留めなく湧いてくる重たい感情や考えに翻弄され、一体何が自分の本心なのかが分からなくなるほどに混乱していました。つまり、母との生活に嫌気がさし、母から離れることこそが私の心の奥底から願う本当の願いなのかもしれない、母を思いやる心なんて自分が愛されたいがための偽善なのかもしれない、いいえ、それ以前に、母に愛されたいなんて思ってもいないのかもしれない。今の私という存在は、幼い頃に母との関係性を原因に負った心の傷によってできあがった偽物であって、そんな私が母にやることなすことは全て、愛なんてない、嘘っぱちだ!……そんなとりとめのない疑心暗鬼が生じていました。……心が掻き乱されて、何が自分の本当の気持ちなのかも分からなくなっていました。

過ぎ去った-本物ではない、偽物の私

誰もがそうであるように、私の人生にもこれまで小さな転機、または大きな転機などがあり、その度に新たなステージに移っていきました。それらのステージは多種多様でしたが、いつでも、どのステージにあっても、色濃くそこにいたのは、やはり母でした。あまり多くの時間を母娘で共有することのなかった時期ももちろんありましたし、私がどんな生活をしているのか母は知りもしない、そのような疎遠な時期もありましたし、私の人生に母はいない、そう考えた時期すらありました。ですが実際には、生まれてこの方、母が私の心の奥底にさえいなかった時期などありませんでした。私がどんなに否定しても、母は常に、私の心の中核で色濃く存在していたのです。それほど、母親と子どもの絆は強いというか、母親の子どもへの影響は大きい、大き過ぎて……どうにかならないでしょうか……ほとほと疲れました。そんな人生でした。

〝母に尽くす娘という私〟も、〝母から離れたい娘という私〟も、母に十分に愛されなかった心の傷によって生まれた副産物であって偽物の私に過ぎません。どちらも本当の私ではない、それが私の結論でした。偽物がいくら母を大事に扱おうが、偽物がいくら母から離れたがろうが、知ったことではもうありません。どちらに振れても、揺り戻されて、その度に心を掻き乱されるのだから、もういい加減に終わりにしたい……もういい加減にして!!!と叫び出しそうなほど(実際にクッションで口を抑えつつ叫んでいたような……)その気持ちが極まっていたところにやってきた母の退院日。この日また、この葛藤、この苦悩は、過ぎ去っていきました。その上で今、私は母といます。

ねこも母といます。母のベッドはねこのベッドです。

吹き飛んで-心は決まった

実は8月の終わり、またもや母は緊急入院していました。今度は一週間程と短期間で退院することができ、体力や気力が落ちるでもなく、元気いっぱいで帰宅することができました。このときは以前とは違い、急に体調不良に陥ったと思ったら、すぐに急浮上、嘘みたいに体調がすぐに整い、日頃自分の意思を言葉にすることが苦手な母ですら、意気揚々と退院したい旨を自ら主治医に申し出るほどの回復ぶりでした。

「ご本人、血色も良く、元気です。ですが……」

退院のその日、主治医に母の病状を伝えられました。元気な姿とは裏腹に、その病状は深刻だといいます。母に残された時間がどれほどあるのかは、主治医にも分からなければ、私にももちろん分からず、本人はまた、自分がそれほど長くはないということすら未だ察するでもなく、その時が来るその少し前までは誰もその時を知ることはできません。ですがその時、どのような最後を母が迎えるのか、それを選べるのだとしたら、母はどうしたいのか?私はどうしたいのか?それを知っておく必要があります。

化学療法は様子見状態が続いていますが、もうあまり効果は見込めないようですし、再開は困難かもしれません。緩和ケアへの移行が迫っているようです。それだけであればQOLが上がることは期待できるので、もしかしたら母は能天気に喜びそうなところですが、一方で、いつどうなるかわからない爆弾を抱えている状態でもあるようで……どこで最後を迎えるか、そういったことを考えておかなくてはいけません。

私は、母を家で看取ると決めました。

母の気持ちは改めて聞かずとも分かります。今の段階ではまだ、母に自分の死期を悟らせたくありません。ですから、母に面と向かってそのことを聞くことはできません。私が察するに、母は十割十分、家で最後を迎えたいのだと思います。通院ですら毎回相当なストレスになり、通院日前日には決まって体調を崩す母です。母が家にいたいのであれば、できる限り家にいさせてあげたいです。病院にいなくていいのであれば、家で過ごさせてあげたいです。

私のこの夏のくだらない思い煩いは、これによって吹き飛んでしまいました。これ、というのは、母の死が近づいていることを再認識させられたということです。それによって、荒ぶる思いは治まる所に治まり、心は不思議なくらい軽くなりました。ということは、偽物はどこかに吹き飛んでいなくなった?であればいいのですが、影に潜んで休んでいるだけなのかもしれません。恐らく根本解決にまでは至ってないのでしょう。ですがとりあえず、良しとします。もうこれ以上、自分を責めることも母を憎むこともしたくはありません。そんなものには〝取り付く島もなく〟私は母と今を生きます。

そんなこんなでこの秋の入り口に私の心は入れ替わり、母娘の通い介護生活は、母の退院を機に何事もなかったかのように再開されていました。ですが、穏やかな日々は長くは続かず、先日の夜、母の体調が急変。救急搬送され現在入院中です。

ここから先は、今までとは同じようにはいかなそうです。通いで何とかなるのはいつまでか分かりませんが、その時が来たら本腰を入れて、母と生活を共にする覚悟もできています。気持ちの面では準備万端。体の方はもうちょっとかな……。母が退院するまであとどのくらいかかるのかは分かりませんが、夫との我が家での暮らしを満喫しながら、体調も万全に整えておきたいと思います。

それから、体と並行してやっぱり無視できません、心の奥底にもできる限りのケアを行っていければと思います。


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