【日本史】遊女綾絹と藤枝外記の心中事件②~なぜ心中したのか~
今回は前の記事の続き。
遊女綾絹と藤枝外記の心中事件②です。
前回の記事↓↓
前回は史実として事件の概要と、作品として「箕輪心中」を紹介しました。
「箕輪心中」のあらすじは前回の記事に載せましたので、よかったら見てくださいね。
今回は史実と作品ではどう違うのか、史実と作品で比較し、
最も気になる心中理由について深堀っていこうと思います!
皆さんも
なんで心中したの?と考えながら、
読んでいただけると、より面白く感じるかもしれません。
今回も長くて何言ってるの?って感じだと思うので、最後の私の個人的な感想だけでも見てくれると嬉しいです!
では早速いきますね。
史実と作品の比較
まず「箕輪心中」では、藤枝家は500石の旗本となっていた。
しかし実際は4000石という大身であった。(大身:身分高めの武士)
また、作品内で外記は独身として描かれるが、
史料にも記される通り、外記はすでに結婚していた。(ちなみに妻は山田肥後守利の娘)
外記の心中理由
史実からは、外記と綾絹の正確な心中理由について不明瞭であったが、
作品では、純情な恋愛と共に八方塞がりの2人の状況が描かれる。
物語内でも、藤枝家は旗本という身分の武士であり、外記の叔父は、藤枝家のために外記に切腹するよう促した。
家のために外記を消す選択を迫るというのは、藤枝家の立場的にも、少なからず世間から注目をされる位置であったと考える。
実際、藤枝家は旗本の中でも上流に値する待遇を受け、大名と旗本の中間を取り扱いになっている。旗本の中でも、身分が高いだけあって、外記の廓通いは世間からも注目されたと考える。それに加え、これだけ廓通いをしていて、金銭に余裕もなかったことも推測できる。甲府勝手も言い渡され、切腹も勧められた外記には、綾絹しか味方がおらず、八方塞がりになり心中に至ったと考える。
綾絹の心中理由
綾絹における心中理由については、外記との関係が終わってしまうことが一番に挙げられるだろう。
外記の甲府勝手を言い渡され、会えなくなることは、綾絹にとって最も免れたい状況であった。
また、武士と遊女が結ばれることは現実的ではないと考えていたため、
思わぬ人に添うことができない辛さが心中理由だと考える。
それに加え、吉原は年季10年、27歳までとされているが、借金を返し終わらなければ、遊廓から出ることはほぼ不可能である。
物語内では、綾絹が外記に惚れこんでいることが他の客にも知られたことが原因で、見揚がりもできないとされている。
綾絹も経済的に厳しい状況であったことが理解できる。
外記の立場と身請け
藤枝家は寄合で、世間からも注視される立場であるため、
外記が廓通いで役儀を怠り、家の金銭も使い果たしては、立場もない。
遊廓には身請け制度が存在し、外記も綾絹を身請けすれば、離れずに済んだかもしれないが、①の記事の史料からも確認できる通り、
外記は遊興を繰り返し、役儀を怠っていたため、遊女を身請けするほどの金銭を持ち合わせていなかったと考える。
まとめ
以上のことを考慮すると、心中の大本になっている理由は2人が会えなくなることではないだろうか。
それに加え、外記視点では、世間の目、家からの反対、綾絹と会うために金銭に困ったこと、綾絹視点では、店の者の目、客足が遠のき見揚がりする算段もないことの経済的理由が心中を助長させ、八方塞がりになったことから心中を選んだと推察する。
私の個人的な感想
遊女の心中理由って、経済的理由だと言われることが多いんですけど。
例えば客がお金に困って会いに来れなくなったとかね。
私はそうは思ってなくて、お金に困る困らない以前に
「一緒に死にましょう!」ってなるのには、
2人の恋愛関係が終わって終わってしまう危険性を感じたからだと思うんです。
これってお金だけじゃないですよね。
遊女が身請けされることになって会えなくなるとかもあるので。
だし、大前提としてお互いの恋愛感情が一致していないと、死ぬ選択しないんじゃないかな~って。
遊廓という金銭を前提とし、成立する場所にいれば、それは経済的理由の心中に錯覚しますが、
大前提は「お互いの恋愛関係」で、それに経済的なものが絡んでくると私は考えてます。
鶏が先か、卵が先かみたいになってますけど(笑)
遊女の心中について考えていると
今の世の恋愛の悩みって贅沢だなと感じる場面が多いです。大金がなくても会えますからね。
水商売以外は。。。
恋愛の話はまた今度しましょうかね~~!
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