そういう人
とある保育園の現場で見える、聞こえてくる声。 不安を煽る要素が含まれている為、閲覧は慎重に願います。 なお、個人を晒し上げたり非難するなどの意図はございませんので誤解なきようにお願い致します。 当事者としての意識を持って感じる全てをここに記します。 こちらのマガジンに関してましては人に見せることを意図していなません。しかしながら金庫にはしまわず、ふと目につくところに置いてあるような日記のような感覚で書き落としていきたいと思います。 落ちてあるものを安易に拾うことはオススメしませんが。
「どうせ無理」 簡単に言われるけど、強い言葉やなと。 結果でしか反論できない。
子どもの主体性?はぁ? 共主体?はぁ? まず保育士配置基準見直してからほざけよ!! 綺麗事を抜かすんじゃねえ! 事故があったらてめぇらすぐに私ら保育士のこと袋叩きにすんだろが! SNSで名前特定してさ!社会的に二度と立ち上がれないように叩きのめすやろが! 私らはそれが怖くて怖くてたまんねーの。 でも子ども好きやからさ。 やから今日も今日とてあくまで"事故"がないように 徹底的に管理して保育するわけ。 主体性ね、分かってても怖くて尊重出来ねぇよ 無責任な立場か
やりたくねーことは 「やりたいこと」以外でし で、今そン中でやりたいこと以外のことを仕事にしてんだけど、それはもうマジでストレスマッハなわけ。 あ、もちろん仕事自体にやりがいはあるよ? 需要もあってそれなりに成果が出れば認められっしさ 必要な仕事だってこともじゅーぶん理解してっし んでもっておきゅーりょーもそれなりにいいしな でも"やりてーこと"じゃねーわけよ。(笑) で、やりてーことってなんだっつー話なんだけど そりゃ子どもたちと関わることなんだわなやっぱ。
noteを再開して... 何のご縁か初めの方にフォローしてくれた方がいて、 その人は今、死ぬ為に今日を生きている。 本当はコメントとかで書くべきなのかもしれないけど... 私はここで書く。読んでほしい。 私は仕事合間の時間に車の運転中に色々考えるのだけれども 見たこともどんな人生を歩んできたかも全くわからないただの他人 生きていても明日亡くなっていても私は気づかない。 ただ今も死にたいと思って生きていることを想像して勝手に止めたくなるし勝手に悲しい 私には何の
気づいたら日が経ってる 遊びたい
軽く自己紹介だけ書いてみたんだけど、 もう少し詳細に書きたいんだよな〜
カテゴライズすることに長けに長けた世の中の風潮 人を見る時、 「障害」「血液型」「性」「国籍」「育ってきた環境」「病気」など 他にもいっぱい 名前の前にこれらのタイプを当てはめてモノを見てしまう奇妙さ ポ◯モンじゃないんだから、、 医療が発達してることや情報が簡単に手に入る時代だからこそってのもあるんだろうけど、 自分や他者に対してラベリングするの、息苦しいよ。生きづらいよ。 そうしたくなるんならさ、話そう もっとブレていこうよ。
とある保育園で行われている保育の一部。 不安、不信感が高まる要素が含まれている為、閲覧制限の意味も兼ねて有料です。 保護者がお迎えにくると、玄関での引き渡しとなる。 「今日も元気に過ごしていました!」 笑顔で保護者とコミュニケーションをとる。 「さようなら!」「さようなら〜」 挨拶を終えて保育室に戻る。
2:30起床 2:50出発 3:30〜17:00仕事 18:00帰宅、片付け、次の日の準備 18:30風呂 19:00夕飯 20:00睡魔爆誕 20:30〜21:00就寝 仕事の都合でさまざまな現場に行くのだが、 道中は車での移動になるのでさまざまな悩みや思考はその時に溢れ出る。が、運転中なので文字に起こすことは出来ずそのまま心に留まる。 帰宅後は風呂〜夕飯と済ませる。するとすぐに眠気がやってくるのでそうなれば思考は完全に停止。落ちるように眠りまた次の日となる。 ここ2ヶ
昨日、記事を書こうと思ってたけれど 気づいたら寝ていました。 他にも返したいメッセージがあったけれど 出来なかった。今日は出来たらいいな。
「レールの敷かれた人生」ではないことの怖さから逃げたくなってる。ある程度見通しが持てる場所に戻って安心したいとか。 保育士になった時、漠然と決めてた 「5年したら辞める」 ってこと。 5年後したいことがあったわけでも、1年目から辞めたくて辞めたくてたまらないのを5年間は耐えるみたいな理由でもない。 ただ漠然と決めてた。 ただ決めてただけなのに保育士が楽しくてたまらないたまらない時期にその5年目はやってきて、 その時プライベートでも転機が訪れて... まるでそれが「予
久しぶり、初めまして、こんばんは。 私は今年で27歳になります。 今は訳あって別の仕事をしているけれど、 去年までは保育士をしていました。 保育士はとてもとても楽しい仕事でした。 これから呟いたり、記事として書いていくことは 日記のような、ただのぼやきのような、思いつきのメモのような、自身の感情の整理のような、 そんなものです。 これから書く記事がたくさんの人に見てもらえたり、読んでもらえると嬉しいです。