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女性性に降参したらお花ってすごいね〜ってなった話(1)

◆おね:サレンダー(降参)の話、まだちゃんと聞いてなかった、女性性にサレンダーしたって話

◇はぐ:あぁ、OSHOダイナミック瞑想で起きた感覚だね

この瞑想は、人を過去に閉じ込めている心身の中の古く根深いパターンを壊し、そのパターンの背後に隠されている自由、観照、静寂、平和を体験できるようにする、早く強烈で包括的な手法です。

https://www.osho.com/ja/meditation/osho-active-meditations/osho-dynamic-meditation

ダイナミック瞑想を3日続けてしてみて、3日目だったかな…

◆おね:2日目じゃない?

◇はぐ:2日目か

ダイナミック瞑想のやり方を教わって、第3ステージで手を挙げてフー!フー!っていうやつあるんだけど

第3ステージ:10分
両腕を頭の上に高く上げ、できるだけ深くマントラを「Hoo! Hoo! Hoo!」と叫びながら上下にジャンプします。着地するたびに、足の裏全体を床に着けます。そして、その音が深くセックスセンターにまで叩きつけられるようにします。あなたが持っている全てを使い、あなた自身を完全に疲れ果てさせます。

https://www.osho.com/ja/meditation/osho-active-meditations/osho-dynamic-meditation

◆おね:うん、うん

◇はぐ:あれは、サレンダーの意味で手を挙げるってことですよと教わったの

その意図でやったら、母親のこととか、おねのことが思い浮かんでね

最後には、自分の中の女性性みたいなのも含めて、それに対してサレンダーって感じだった

◆おね:自分の中の女性性?

◇はぐ:うん、自分の中の女性性を見せてもらえる対象として

例えば、おねがいるとか、母親がいるとか、 そんな感じで受け取った

◆おね:なるほど、そっか、すごいね瞑想

◇はぐ:うん、たまにやってもいいなと思った

たくさん動く瞑想なんだけど、日が経つにつれて、どんどん動きが少なくなってった

第2ステージとか、最初はハチャメチャに動いたし、すごい筋肉痛になったんだけど、3日目になると、動くのがわざとらしく感じられてきて

意識的に狂って動きましょうって言われてはいたし、意識的に動こうと思えば動ける

でも、動かない方がより自然だなって感じになったから、動くのをやめちゃった

ダイナミックじゃない瞑想になっちゃったけど、心地いいからこれでいっか、って

◆おね:へ〜不思議

第2ステージのことで前に教えてもらったの何だっけな

第2ステージ:10分
爆発です! ……放り出されるべきもの全てを放り出します。自分の身体に従いましょう。何であれそこにあるものを表現する自由を身体に与えます。完全に狂いましょう。叫び、大声をあげ、泣き、ジャンプし、キックし、シェイクし、ダンスし、歌い、笑います。あなた自身を投げ出します。何も残さないように。あなたの身体全体を動かし続けます。手始めに、ちょっとした演技をすることも助けになります。起こっていることに、マインドが介入するのを決して許してはいけません。意識的に狂いましょう。トータルでいます。

https://www.osho.com/ja/meditation/osho-active-meditations/osho-dynamic-meditation

◇はぐ:やり方みたいな?

◆おね:やり方というかね、全部を吐き出すことが目的じゃなくて~みたいな話

◇はぐ:ああ、そうそう、第2ステージはこれまで我慢してきた感覚や感情が色々出てくるらしくて

それは結構面白いよね、答え合わせみたいなところがあるからさ

これを我慢してたんだなとか、これが嫌だったんだなとか

気持ちいいんだよね、スッキリするし

で、貯めてきた感情や感覚がなくなったら、悟りとかに至れるって思いたくなる

◆おね:うん、そんなイメージはある

◇はぐ:うん、でも、次々に現れて、終わることはない

瞑想で空っぽになるわけじゃないんだよね

瞑想を通じて、結果的に空っぽになることがあったり、空っぽでなくても気にしなくなったりするだけで

空っぽにする作業が瞑想なわけではない

◆おね:うん

◇はぐ:むしろ、空っぽでないこと、色々と出てくることをただ眺められることを目指してるのね

感情とか、体の感覚とか、それから肉体とかと、自分は違いますよねって

それらと距離があることを感じながら、眺める方法を第2ステージでは学んでるんですよっていう話

◆おね:そうか!そんなようなお話だった

それは素晴らしいね

◇はぐ:うんうん、

それを勘違いして、あ、この出てくるやつがなくなればいいんだって勘違いしちゃうと、ずっと何年も何年もやり続けちゃうしね

そもそも、瞑想が何かを達成するものっていうのが間違いだからさ

瞑想って何?っていうところを履き違えていると思う、ある意味、真逆だから

◆おね:真逆?

◇はぐ:うん、出てくるものごとに何かしようとしてる訳だから

ただ見てればいい

あぁ、これは自分じゃなくて、それをただ見てたんだなっていうのを、思い出すだけでよくて

出てきてるものをなんとかしないとって思った瞬間に、出てきてるものとの距離が近づくじゃん

目が離せなくなる

それは全然瞑想じゃない

◆おね:うーん、そうか

瞑想とは!って、難しい…よく分かってないかも

瞑想って言葉がひとり歩きみたいになってて、人によって捉え方が違うかもしれないけど…

はぐが思う瞑想ってどんな感じかな?

◇はぐ:うーん、サレンダーに向かうものだったら、瞑想になると思う

もう降参って理解に向かうものだったらなんでも、瞑想って呼んでもいい気がするかな…そのためのプロセス

これはかなり広い捉え方だとは思うけど

◆おね:うん、サレンダーか

◇はぐ:うん、降参〜

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