【鶴見入舟】ゆっくり朽ちゆく秘密の楽園
今回は(誰が名付けたか知らぬが)
「鶴見入舟カフェー街」
でございます。
がしかし、書いとかなければならないのが、
青線のため資料無し
なので、働いていた妓がどんな娘たちだったかとか、相場とか、そういうのが今回は分かりません・・・。なので、ざっくり書いていきます。
レトロな鶴見小野駅
JR鶴見駅から鶴見線に乗り換えて二駅。鶴見といえば川崎を越えればすぐ大田区に入る、都内へとほど近い横浜なのであるが、こんなレトロな駅舎なことに驚く。
▲横浜市民は7年やってましたけども、鶴見線に初めて乗りました。こんなレトロとは・・・
▲駅を降りたらすぐにこんな飲み屋が密集。におうなあ
商店街の看板建築
商店街のHP(あまり更新されていない)を見ると、1945年には既に小野町通り共栄会というのが発足しているみたいなので、歴史は古そう。
うわさの妖しいエリアへ潜入
▲ここがかつての男たちの桃源郷への入り口か
役目を終えた飲み屋群が待ち受ける
▲小さなスナックが肩寄せ合うように密集。鶴見小野は、京浜工業地帯のすぐ側なので、そこに勤める男たちの疲れを癒やす場所だったのかなーと推測。
▲こちら側もドアが密集。
▲鶴見の料飲組合の鑑札はこんな感じみたい。
▲お次は妓楼っぽい造りの建物。角をモルタルで固めてカフェー風にしているので、おそらく住居ではなかったはず。
▲横に付いていたドアも洒落ている
と、「なんか臭いな〜」と思わせる建物群を抜けて、最後に待ち構えるのがこの典型的なカフェー建築。
▲ピンクの壁に、黄緑色のタイルの偽柱がけばけばしい。ドアは左側の奥にもあるので、ドアが3つあることになります。そしてこのオレンジ色のドアの左側には、「料飲組合」の鑑札。なぜ接写しなかったかというと、現役でお住まいだから・・・・(怒られたくない)。
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商店街の共栄会が発足したのが上で書いた通り1945年なので、タイルの建物がその辺りのものと推測しても不自然ではないと思います。あと、吉原のカフェーが戦後すぐに復興したのも同じ位の時代なので、吉原に残っている遺構とこのタイルの建物を比較しても自然。朽ちたスナック群はもう少しあとで、60年台以降とかなのでしょうか、建材の感じから予想して。
かつては大勢の人で賑わっていたであろう商店街も殆ど人気がなく、時間の波に、ゆっくりと飲み込まれていく気配を感じる街なのでした。
-おわり -