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78億7500万の公式を作っても、多様性は生まれない。

「俺、実はこっちの人間なんだよ」

彼は片手で拝むようなポーズをして告白した。私は1回瞬きし、深く納得した。

代官山イケメンとでも称したくなる爽やかさが際立つ彼には、長らく彼女がいなかった。
いかにもモテそうなアラサー男性に何年も彼女がいないのは違和感があり、恋愛に興味がないのだろうと思っていたのだが、いろいろ聞いてみると「結婚はしたい、子どもも好きだからいつかは欲しい」と答えたので、私はいよいよ首を傾げた。

「結婚相手を探そうと思えばいくらでも探せるでしょう。結婚願望もあって、子どもも欲しくて、爽やかな好青年ルックスで……いくらでも女性からのアプローチがありそうだけど。理想が高いの?」
「理想が高いってわけじゃないけど」
「いやなら答えなくていいけど、性欲はどうしているの? あんまりないの?」
「ないわけでもないけど」
「そういう相手はいるの?」

歯切れの悪い言葉に質問を重ねたら、彼はひどく困った顔をした。ひそめた眉に戸惑いの影がよぎり「しまった、踏み込みすぎた」と焦る。私にはデリカシーというものがいささか欠けていて、たまに立ち入りすぎてしまう。

「ごめん、私は絶対に彼氏が欲しいタイプだから、気になっちゃって」

慌てて身を引いた瞬間、彼は一拍の沈黙を挟み、冒頭のセリフを言った。
「俺、実はこっちの人間なんだよ」と。

その言葉を聞いて、驚きと同時にうれしくなった。長年の謎が晴れた爽快感と、ゲイの友達ができた喜びが広がる。友達の少ない私はどうも似たり寄ったりの輪のなかに留まりやすく、昔から同性愛コンテンツが好きだったこともあって、ゲイやレズの友達も欲しかったのだ。

「え、ゲイだったの! ゲイの友達が欲しかったから、うれしい!」

ずいぶん不躾な発言だが、彼は少しびっくりした顔をしただけで、やわらかく笑ってくれた。

「ストレートの人に打ち明けたの初めてだよ」
「そうだよね、私がしつこく聞いたから。打ち明けてくれてありがとう、納得したよ」
「うん」
「じゃあ、彼氏がいるの?」
「いや、いないよ。彼女しか作ったことない」

また頭上に「?」が浮かぶ。ゲイなのに、彼女しか作ったことがない?

「なんで? 最近ゲイになったの?」
「社会人になってからゲイだって気づいたんだ」
「じゃあ、それまでは彼女がいたんだ」
「そう。でもわりと受け身だった。ゲイ寄りのバイだったんだろうね」
「今は女性に興味がないのね」
「そうだね、男が性的に好きだって気づいてからはない」
「でも結婚に興味があるっていうのは……同性婚ってこと?」

彼は首を振り、コーヒーカップを見つめた。説明するための言葉を選んでいるようだった。

「性的な関係は男とがいいけど、パートナーは女性がいいと思ってるんだ」
「どうして? 魅力を感じるのは男性なんでしょ?」
「だって、同性と付き合っても先がないじゃないか」

さっぱりとした口調で言った。先がない。切れ味のいい言葉にひやりとして、小さく絶句する。彼の声色からは割り切って削ぎ落された思考が感じ取れた。

「それは……社会的な理解が得られないということ?」
「うん。もちろんLGBTへの理解は広がっているけど、それでもゲイは気持ち悪いって感じる人も多いし、結婚もできないし。それらを乗り越えてまで、男と付き合う気になれないんだ。でも生涯のパートナーは欲しいから、女性と家族になりたい。性的な関係はなしで」

すごく素直な意見だと思った。彼は理性と感情の両方を天秤に載せて、自分と社会を照らし合わせて、この意見を導き出したのだろう。これが彼の本音なのだ。

その言葉通り、彼はレズビアンの女性と結婚した。恋人は別で作るが、家族としてはお互いを選び、尊重している。性愛でなくても、愛はある。「友愛でも家族になれる」という事実を目の当たりにして、とても美しいものに触れた気がした。

でもきっと彼は、もっとLGBTが受け入れられる社会だったら、性的に愛せる男性とてらいなく結婚したのだろう。そういう社会じゃなかったから、生きやすさを優先して女性をパートナーに選んだのだ。

思えば、私も女性を好きになったことがあった。でも友人にすら打ち明けにくいし、好きな相手に受け入れられるかもわからなくて「男性を好きになるよりずっとしんどい」と思った。基本的には男性が好きで、女性を好きになることは稀だったから、自分をストレートだと認識していたが、私も社会を見て自分のセクシャリティを調整したのかもしれない。無意識に男性を選ぶようにコントロールしているのかもしれない。

社会には、私たちの心すら、無意識に変える力があるのだ。

LGBTの人々には「もっとLGBTが理解される社会になってほしい」という主張があるはずだと思いがちだが、そうやって社会に一石投じようとせず、彼のように順応しようとする人のほうが多いのかもしれない。少数派の人々は、そっとひそやかに、本音を自分の中にしまって生きているのかもしれない。多数派と違う意見を浸透させるには心身ともにかなりの負荷がかかるし、理解されずに否定された時の痛みははかり知れない。

私はLGBTの当事者が発信しているYouTube動画を多く見ていて、それなりにLGBTを理解しているつもりだった。カミングアウトする人もいればしない人もいて、同性しか愛せない人もいればバイの人もいて、相手の性別にかかわらず好きになる人もいて、性欲がある人もいればない人もいて。性のあり方は多種多様なんだと、分かっているつもりだった。

でも、よくよく考えてみればYouTubeで顔出しをして自分のセクシャリティを公開している人々の情報ばかり見ているわけで、ものすごく偏った情報しか受け取っていなかった。当然カミングアウトしている人が多く、パートナーといっしょに登場している人ばかりだったから、彼のようにセクシャリティをひた隠しにして、性的な関係を持つ相手とパートナーを切り分けている人はいなかった。

人は多種多様なんだと分かっているつもりで、実際は「ゲイの人は男性と付き合う」という公式しか頭に入ってなくて、紋切り型の思考しかできていなかった。「A=B」という一般常識に、目の前の人を当てはめて、自分が理解しやすい枠にはめて他人を理解しようとしていた。

私が枠にはめたことで、目の前の人が息苦しさを感じ、本音を打ち明けにくくなってしまうかもしれない。自分が社会から疎外された気になるかもしれない。やっぱり社会と打ち解けられない、とあきらめてしまうかもしれない。

こういった「かもしれない」を、私たちはもっと深く考えるべきだと思う。もっと想像力がほしい。想像力を膨らませるために、自分と違う人とたくさん触れ合って、公式にはめずに相手そのものを見つめる力をつけたい。

「多様性」という言葉で乱暴にひっくるめて、相手の前に自分が知っている方程式をいくつも並べるだけでは、ただの独りよがりな知ったかぶりだ。いっそ公式なんてすべて捨てて、まっさらの自分でありのままの相手に触れて、本音を打ち明けてもらえる人になりたい。

無知な私は、ほかでもないあなたの声を聞いて、世界を知る。
この目に映る世界が、社会の枠組みなんて関係なく、もっと広く深いものになったなら。
みんなで無限のパレットを持って、遠慮なく自分の色を重ねていったら、どんなに美しいんだろう。


もう元号が変わってから3年も経ってしまった。
そんな世界を見られる場所に、走って行こう。

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秋カヲリ@星天出版代表
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