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才能のない凡人がはたらく意味はなんだろう

ライターとして独立してから5年、ずっと嘘をついていた。

いつも自分のことについて書く記事は「少しでも良く見せたい」という邪念が働き、どこかしらカッコつけていた。だってフリーランスだし、仕事につながるように箔つけなきゃと思って。
でも本当は、そういうドヤ顔の文章もキャラクターも好きじゃないし、我ながら「お前は何様だ」と胸焼けする。

だから今日は、初めてカッコ悪い話を書く。

学生時代から「書くのが好き!」と公言してきたので、ライターになってから「ちゃんと夢を叶えてすごいね」とよく言われた。
そのたび「うん、夢が叶ってうれしい」と笑って、まるで満点を取った優等生みたいな顔をしていた。

でも、それは嘘だ。
私の3歳からの夢は小説家で、まだ叶っていない。

ライターは妥協策だ。

ずっと何かしら書き続けているが、小説だけはちゃんと書き上げたことがない。
書いたのは平面美男子のまわりにバラが狂い咲きするBL小説だけ。
それでも長編をきちんと書き上げたら胸を張れるけど、自己満足の短編小説しか書いたことがない。

昔から文章だけはよく褒められて「うまいね、ユーモアがあるね」というザラメのように甘い言葉を丸呑みにしていた。
「私にしか書けないものがある。学生のうちに小説家になって『期待の新星現る!』なんて言われて、ちやほやされるんだ」
と綿菓子のような妄想をもくもくと膨らませていた。

でも1回も小説を書き上げないまま、高校を、そして大学を卒業した。
その間にたくさんの“期待の新星”が現れてきらきら輝き出したが、ただ指をくわえて見上げていただけだ。

要するに、ただの凡人だったのだ、私は。

誰でも名乗ればライターになれるのに、私は3年もかかった。

「何のためにはたらいているんだろう」
何百回、そう思っただろう。

卒業後は、書く仕事とまったく無縁の営業になった。
入社してすぐ、山のようなテレアポと飛び込み営業。
雑居ビルの階段をのぼりながら、受付で門前払いされながら「この仕事、いつまで続けるんだろう」と思っていた。
こんなゲリラ的押し売りを展開するために四年制大学を卒業したんだっけ?

夜遅くまでやりたくない仕事やできない仕事に追われ、毎晩ストレス解消のために家系ラーメン(大盛り400g)をすすった。満たされるのは胃袋ばかりで心は1gも満たされず、10キロ太ってぽっちゃりさんデビュー。腐った心に肉のコートを羽織ってモテるはずもなく、彼氏不在の干からびた日々を送った。

上司に「制作部に行きたい」と言っても「そりゃあ無理だよ」と相手にされず、報連相ができないので制作部に嫌われ、仕方ないからクライアントの求人広告を勝手に書いた。
それも疎まれる一因だったが、とにかく書きたかったから書いた。

でも、営業はどこまでいっても営業でしかない。
1年経ったところで転職し、ライターアシスタントとしてポテンシャル採用してもらった。
ようやく書く仕事に向けて一直線、未来永劫薔薇色のキャリアに続くかと思ったが、そうは問屋が卸さない。

唯一任された書き仕事、メルマガの執筆担当を外され、コールセンター配属になったのである。少しでも早くライター職になれるようにと微々たる貯金をはたいて約20万円のライター講座に通っていたのに、青天の霹靂、翼の溶けたイカロス、墜落真っ逆さま。
新しい担当者は「なんで私がメルマガ担当?」と増えた仕事に閉口していた。

いやいや、聞きたいのは私のほうだよ。
なんで私がこれだけ努力して必死で頑張っている仕事を、私よりやる気がない人に渡すの?
なんで私じゃないの?

答えなんてわかってた。
私が「書く人間」として評価されていないからだ。

先が見えなくなって社史制作会社に転職、ようやく正真正銘のライター職になった。
「ライター」と印字された名刺がうれしくてうれしくて、「君の名刺だよ」と渡されてから穴があくほど見つめていた。

なのに、やる気が出なかった。
資料を書くのは全然楽しくなくて、まったく筆が進まず、ただデータを見つめているだけで日が暮れていく。
ライターという肩書が与えられ、書く仕事もあるのに、できなかった。
環境のせいじゃない、自分のせいだ。だれにせいにすることもできない、逃げ道の無さ。

「やればできる」はやった人だけが放てる言い訳で、やらないうちはただの負け惜しみだ。
やる気が出る・出ないも実力のうち。ていうかそれこそが才能だし、力だ。
自分の低空飛行っぷりに打ちひしがれていたら、地方の学校のパンフレット制作の仕事が舞い込んできた。
俄然興味が湧き「それならできる!」と喜び勇んで新幹線に飛び乗り、何時間もの取材音源を文字起こしした。

でも、東京に戻って文字起こしを終えると、上司から
「これ、Aさんに送っておいて。Aさんに書いてもらうから」
と言われた。

わざわざ地方に行って、関係性を作っていい話を引き出して、全部文字起こししたって、それを原稿にするのは私じゃない。
これまでちゃんと書いてこなかったから自業自得だ。
反論する権利もなく、はらはらと塵になって消えそうだった。

いよいよ何のためにはたらいているのかわからない。
「小説家になれないなら、せめてライターに」と負け犬なりにあがいて、ずっと書きたい書きたいって3社も転々として、ようやく「ライター」という肩書をもらったのに、まだ書けない。

書くのだけは得意なはずで、人より才能があるはずで、私にしか書けないものがあるはずで。
なのに、どうしてこんなにうまくいかないんだろう?
もしかして、もしかして、もしかして。
才能なんて、書く力なんて、最初からなかったのだろうか。

不安を振り払うようにして副業を始め、美容コラムや店舗紹介記事を書いた。
店舗紹介の記事は、企画提案・アポどり・取材までやって1本3000円。
食べていくにはあまりにも安いけど、当時は喜んでやった。
楽しくて楽しくて、休日返上で書きまくっていた。
これならがんばれる。やり切れる。いくらでもやれる。

でも会社の仕事は相変わらずで、上司に
「やる気がないならやめちゃえよ!」
と怒鳴られた時、独立を決意した。
「はい、やめます」
上司は鳩が豆鉄砲を食ったようにぽかんとしていた。

私には社史制作の適性も能力もないけど、副業のライター仕事は楽しいし、がんばれる。
やけっぱちで始めた副業が自信になり、希望になった。
怒鳴られて辞めるなんて情けないしカッコ悪いけど、ちゃんと書いて生きられるなら本望だ。
「何のためにはたらいているのか」という疑問が、ようやく晴れていった。

本当はとっくにわかってる。
私には突き抜けた才能なんてないってこと。

もう大人だから、自分に足りないものがわかってしまう。
だから前みたいに裸の王様になれない。
恥ずかしくて恥ずかしくて「私には才能がある」と言えない。

でも、本当は。
心のどこかで「私には才能がある」って思ってる。

別れた恋人の写真を棚の奥にしまうように、願望を胸の奥に持ち続けている。
そう思い続けるために、小説じゃなくても、ライターじゃなくても、ずっと書き続けてきた。

私にとって書くことは生きる力だ。
モヤモヤした感情、解けない葛藤、見つけたい希望。
霧のような心を言葉にすると、見えなかったものが見えてくる。
自分の心の輪郭を、言葉でたどる。書いて自分を知る。
どんだけ苦しくてもつらくても、書いていれば、生きようと思える。
言葉で伝えて、言葉で認められたい。
私の一番好きな表現方法で、人と交わりたい。

「自分にはできる」と「自分にはできない」のはざまで、ゆらめいている。
信じたいけど自信がない、でも信じたい。
信じたいから、あきらめられない。
信じるためには、行動し続けるしかない。

何のためにはたらいているんだろう。
生きるために。
あきらめないために。
信じるために。
夢を追い続けるために。
はたらいて食っていかねば、夢も追えない。
はたらくという行動が、夢につながる一本道なのだ。

たとえ才能がなくても、思うようにいかない人生でも、はたらいて、食べて、生きる。
そうやって命を灯し続けることが、人生を肯定するたったひとつの手段だ。
書く仕事を続けて、いつか絶対に小説を本にする。

はたらいて、夢を描こう。

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秋カヲリ@星天出版代表
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