寄せ場と野宿者と外国人労働者

青木秀男『現代日本の都市下層』(明石書店、2000)、特に第5章・第7章

《5》経済のグローバリゼーションは、東京・横浜・大阪・名古屋などの主要都市を「世界都市」へと変貌させた。と同時に、そうした都市の下層に形成されていた労働世界にも変化をもたらした。都市下層の労働世界とは、土木・建設・運輸などの業種の特徴だった重層的下請け構造の最底辺で、主に日雇いで働く労働者たちの生活世界である。1980年代後半、ここに外国人労働者が急増し、複数のマイノリティが競合・共存する多元的な民族社会を形成した。

(1)サスキア・サッセンによれば、世界都市化と労働力の国際移動は多国籍企業による途上国の開発を契機としている。急速な工業化によって生み出された途上国の過剰人口(没落農民や失業者)がサービス業化しつつある先進国の産業構造の下層に流入するのだ。ここでは、1980年代後半以降に「寄せ場」を核とする都市下層に参入した男性の外国人労働者に注目する。彼らの多くはフィリピンなどの東南アジア諸国の農村出身者であり、まず現地の都市部へと職を求めて移動し、そこから日本へと渡ってくる。1990年代以降、地方都市と農村との格差が縮まり人口移動が減退したことで、農村部から直に外国へ移住する者が増える。これには、周旋業者がパスポート・ビザ取得の経費や渡航費に加え当座の生活費も貸与するリクルート方法を採るようになり、貧しい者でも移住労働市場に参入しやすくなったことも影響している。一方、受け入れ国である日本では、かつての中心だった製造業と建設業からサービス業へと産業の比重が移り、長引く不況によって日本人労働者の間でも安定就労層が縮小し、不安定就労層へ、そして都市下層へと流れる者が増えていた。外国人労働者もこの流れに加わった。

〈参考〉サスキア・サッセン『労働と資本の国際移動――世界都市と移民労働者』(The Mobility of Labor and Capital: A Study in International Investment and Labor Flow, 1988)森田桐郎他訳、岩波書店、1992;同『グローバリゼーションの時代――国家主権のゆくえ』(Losing Ground? Sovereignty in an Age of Globalization, 1996)伊豫谷登士翁訳、平凡社、1999

→周旋業者(プローカー)による諸経費の貸与(前借金)による貧困層のリクルートは、日本において外国人労働者が奴隷的な待遇で働かされる構造を支えているものであり、「移住インフラ」として問題視されている。詳しくは、巣内尚子『奴隷労働』(明石書店、2019)を参照

(2)都市下層における外国人労働者の実態は、「不法就労」として入局管理局に摘発された超過滞在者・非正規入国者の稼働内容に概ね反映されている。多いのは「建設作業員」「工員」で、「雑役」「店員」がこれに続く。建設業は階層的な労務供給システムで知られる。建造物は動かせないため労働者を現場へ動員する技術が不可欠で、かつ仕事の量が不安定なため下請けや日雇いなどの外部労働力による雇用調整を行ってきたのだ。したがって、現場では本工・下請・社外工が入り乱れる。その中で外国人労働者は雇用調整弁としての社外工に組み込まれる。彼らが調達される経路は大きく分けて5つある。寄せ場周辺の低家賃アパートから現場へ出かける場合、寄せ場のドヤ(寄宿舎)や飯場に住まう場合、外国から周旋人や雇主を介して寄宿舎や飯場へ直に送り込まれる場合、アパートに住み寄せ場ではなくターミナル駅や公園で手配師と会う場合、アパートに住み求人誌や新聞の求人欄(最近では求人サイト)で仕事を探す場合。

〈参考〉法務省入国管理局『平成4年版 入国管理』109頁

(3)都市下層と外国人労働者の関係は、戦前の朝鮮人労働者と戦後の在日コリアンに始まる。ここでは大阪の事例を紹介。強制連行期前、朝鮮人は土木、鉱夫、職工、雑業(砂利採取・清掃)、伝統工芸、女工など、日本人が就労を嫌がる重労働分野で働いていた。朝鮮人の経験は現在の外国人労働者問題のほとんどを網羅している。まず、彼らは日本人の募集人を介して渡日した。そして、「非熟練」「単純」の下層労働市場において重労働、悪環境(危険・不衛生)、低賃金、無権利(労働災害補償など)の状態におかれた。また、日本人家主の差別のために家を借りることができず、住居は劣悪であった。しかし、大日本帝国の支配下で「日本人」とされた彼らの就労は、さまざまな差別にもかかわらず名目上「正規」であった。戦後、在日コリアンの中から中小・零細企業の経営者となる者が現れ、同胞内で職業階層が分化してゆく。

(4)戦後の下層労働市場における階層分化の概観。上層~中層~下層~最下層にかけて日本人、沖縄人、在日コリアン、新来の外国人の順で分布。階層化の基準ないし要因は、在留資格の法的地位(lawfulness)、日本での社会的基盤(social network)、労働熟練度(skillfulness)、可視性(visibility、特に一般的日本人との外見的類似性)、文化的類似性(cultural similarity)、文化的柔軟性(cultural flexibility、移住先文化の重要度)が挙げられる。

(5)在日コリアン経営者・雇主の存在は、下層労働市場の民族関係を複雑にする。特に、彼らが日本人労働者を雇う場合、階層的地位が逆転し、このために却って、日常的な民族的蔑視が増幅されて、差別として表出する。一方、彼らが新来のコリアン労働者を雇う場合、同胞意識によって労使関係が円滑になることもある。ただし、コリアン労働者からすると、在日コリアンは日本人同然の文化をもつ「近くて遠い」存在であり、労使関係における収奪者でもある。

《7》「寄せ場労働者」は差別される。身体的に差異のある外国人労働者を除けば、彼らは「一般労働者」と区別できない不可視の存在でありながら、日雇い労働への階層的偏見と、都市における寄せ場の周縁性から生まれる空間的偏見に晒されている。「怠け者」「流れ者」「浮浪者」として、彼らは「市民社会」から排除される。しかし、寄せ場労働のサービス業化と就労人口の高齢化によって、差別の内容に変化が起きつつある。かつて、寄せ場は労働争議や暴動に象徴される「危険」で「恐い」「土方」の世界であった。しかし、1990年の釜ヶ崎での暴動を最後に、そこは「惨め」で「憐れな」「浮浪者」あるいは「孤独者」の空間に変わった。老人や障害者といった社会的弱者が増えるにつれ、労働運動の焦点が炊き出し・夜間パトロール・高齢者特別事業の要求など窮乏層の「救援」に移ったのだ。誰にも気づかれず死んでゆく彼らは、資本が排出した過剰人口である。

〈2~4章より〉寄せ場(人足寄場)とは、日雇い労働者が手配師や人夫出しから日雇い仕事を斡旋されて労働現場に送り出される場所のことである。東京・横浜・名古屋・大阪などの大都市に形成された。寄せ場の就労は臨時かつ不安定で、労働者は密集するドヤ・飯場・簡易宿泊所への一時的居住と野宿をくり返しながら滞留する。そこは流動的過剰人口の集積地であり、近代日本の雇用社会の安定性を担保する調整弁の役割を果たしてきた。近年、この「寄せ場」が社会に全般化している感がある。つまり、かつて寄せ場労働の中心を占めた製造業と建設業がサービス業に取って代わられると同時に若者の参入が目立つようになり、斡旋の方法もドヤ街を介さずに新聞の求人欄やウェブ広告によって行われるようになった。ドヤ街自体も再開発によって消滅しつつある。高齢化したかつての寄せ場労働者たちは、野宿者として大都市の街頭に忽然と姿を現した(かに見える)。

→寄せ場の全般化あるいは寄せ場労働のサービス業化・若年化とは、当時「フリーター」問題と言われ、現在では「ワーキングプア」問題あるいは「ブラック企業」問題として分析されている現象である。

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