グローバリゼーションと移民(3)

伊豫谷登士翁『グローバリゼーションと移民』(有信堂高文社、2001)

《8》1980年代、日本に突如として「外国人労働者問題」が登場した。1960年代の世界的な移民の時期に、日本には新規の移民流入が「なかった」からだ。日本経済は明治期以来、朝鮮人・在日コリアンを労働力として利用してきたものの、彼らが移民として論じられることはなかった。戦後の日本政府は終始一貫して移民の受け入れを拒否してきた。その一方で、いわゆる「バイパス」を通って、多くの外国人が「不法就労」という形で国内の労働市場に入り込んでいた。こうした非正規滞在者の存在は、「ジャパゆきさん」と呼ばれた風俗・接客業従事者や「ジャパゆきくん」と呼ばれた建設労働者の姿で目立ってくる。「国際化」や「異文化理解」の必要性を説く議論も行われるようになる。しかし、移民を受け入れないという建前のために、日本の現状は例外的であるかのように捉えられ、「外国人労働者問題」はあくまで不法就労――つまり犯罪――の問題として扱われた。第2次大戦後の世界においてアジアが移民送り出し地域であった以上、日本も世界的な労働力移動のなかに存在していたのは疑うことができない。言ってしまえば、日本社会はその実像を見失っていたのだ。

〈186~191〉外国人労働者をめぐって展開されてきた議論とその問題点。

・技術革新を遅らせる(排斥)
 低賃金労働力の存在は企業の省力的な技術開発を阻み経済発展を遅らせるという意見。政府報告書などでくり返された。
 ⇒むしろ産業の高度化を底辺で支える役割を担わされる場合が多い

・労働条件を低くする(排斥)
 低賃金労働力の流入は企業が国内労働者の生活水準も引き下げる口実になるという懸念。特に労働組合や労働関係の研究者が主張。
 ⇒むしろ組織化せず排除することによって非正規化しダンピングが起こる

・一時的な人手不足のためだ(許可)
 景気循環の高揚期における雇用拡大の反映と捉える立場。特にバブル期に頻繁に言及された。
 ⇒長時間労働、女性・高齢者労働の実態と高失業率の併存を無視している

〈194~196〉労働市場の構造変化と国内の農村社会の解体によって、日本では外国人労働者を受け入れる条件がすでに整っていた。にもかかわらず、それが問題化するのにはタイムラグが生じた。遅れの要因としては、①技術革新の成功、②女性・高齢者の活用や長時間労働の常態化、③日本型経営に基づく労働者の転属や転勤などの柔軟な活用、④中小下請け企業への外注化、⑤特にオイルショック以後の企業の海外移転ラッシュ、等々、なんとかやりくりしていた事情があったのかもしれない。いずれにしても約20年のタイムラグは日本における外国人労働者問題の「問題化」に影響を与えた。

〈196~204〉問題化の特徴は「不法」「人手不足」「恐怖」。そもそも戦後処理、特に韓国・朝鮮人と在日コリアンの問題が未処理であったため、政府は植民地責任を誘起させる外国人労働者問題に消極的だった。制度的な整備の遅れが移民労働の不法性を助長したのだ。その一方、外国人労働者の参入する職種が製造業や建設業から都市サービス業へと拡大したことで、彼らが日常的に目につくようになる。このため、都市生活が外国人労働「なしにはやっていけない」という今日まで続く認識が広がることになった。しかし、日本とアジア諸国の人口比の大きさと流入先の職種の低賃金・不安定といった特徴は労働市場の重層化を生む要因であり、移民を社会的脅威として捉える傾向をも促した。そして、欧米諸国のように人種差別や多文化共生を正面から問わずに、日本社会の「同質性」や「均質性」を殊更に強調したり、「単一民族国家」という神話作用を使って、「異質」な存在としての外国人の受け入れを慎むべきだという態度を一般化させていった。

「日本の場合、法的に外国人労働者の流入を容認しなかったことが、教育や医療といった基本的人権にかかわる領域においてさえ、形式的平等を実現する妨げとなってきた。」(204頁)

→日本社会に人種差別に対する公的な規範が形成されてこなかったことについては、梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房、2016)を参照

《9》「外国人労働者問題」として問われていたのは近代国家としての日本の姿であった。19世紀末から20世紀初頭、あらゆる近代国家は自国の人々を送り出し、異国の人々を受け入れながら、「国民」を創出していた。まず、「われわれ」と他者との区分けによって。次に、世代交代による移民集団の定住化によって。日本の国家形成も例外ではない。だが、「問題」は個々の国の条件のなかで現れる。日本の場合、欧米諸国とアジア諸国との二重の関係性の中で移民問題は展開した。かつて高度成長を支えた農村からの出稼ぎ労働者が都市へと生活の拠点を移したように、1980年代以降から増加を続けたアジアからの移民労働者たちも今や日本社会への定住化の局面に入っている。こうした現在の状況は、日本の資本主義の歴史の延長上に位置づけられなければならない。

〈210~224〉日本の国家形成と移民政策の三局面。

①近代人の創出(明治初期)
 欧米諸国をモデルに言語・宗教の統一、教育の普及、官僚機構と軍隊整備を進める傍ら、「怠惰」「不潔」などの負の価値と「勤勉」「清潔」などの正の価値によって社会集団を階層化。

②外国人差別の制度化(第1次大戦前後)
 重化学工業部門の大企業を中心に安定した雇用が創られる一方で、在来の軽工業や運輸・建設・港湾業などで出稼ぎ農民が中小企業や日雇いの社外工・臨時工として活用される。1920年代以降、ここに朝鮮などの植民地から外国人が低賃金労働力として政策的・組織的に投入され、日本人と外国人の区別を階層的分業構造として固定化する。

③企業活動のグローバル化(1960年代以降)
 農村人口の減少(農村社会の解体)によって企業が低賃金労働力の新たな担い手を途上国に求めるようになる。公式的には容認しないまま、「開発援助」や企業の海外事業展開を通して、非公式に「不法就労」の形態で外国人労働者が流入。内外人平等という戦後国際社会の原則を適用しなくて済む労働力として活用する。

→②の時期には、外国人差別と並んで女性差別も構造化された。たとえば、綿紡績業における「女工」の待遇が問題化されたことで、過重労働を担う「産業戦士」(男性労働者)と家事育児を担う「良妻賢母」(専業・兼業の主婦)の性別分業が制度化されてゆく。一方、沖縄・朝鮮・台湾など植民地出身女工は低賃金・長時間の労働を強いられ続けた。詳しくは、加藤千香子「〈女工〉観とその再編」『近代日本の国民統合とジェンダー』(日本経済評論社、2014);長志珠絵「〈女工〉言説と国民化・帝国・暴力」『ジェンダー史叢書 第5巻 暴力と戦争』(明石書店、2009)などを参照

「移民を受けいれるのか否かをだれが判断する権利をもつのか、判断できる根拠は何なのか〔…〕。移民政策とは、あたかも、白人世界としてつくり上げられてきた近代世界において、「文明化した人々」が「後発の人々」にクラブの入会を認めるか否かを自由に判断しているかのようである。」(229~230頁)

《10》外国人が移住先の社会で政治参加を求めることは、定住化の最終課題である。地域でくらす外国人にとって、行政へのアクセスを確保することは生存に直結する問題である。が、それは国民化の課題を引き受けることでもあり、これまでの歴史が示しているような「良き市民」への要請の下に「二級市民」として差別化され階層化される危険性を常に孕んでいる。それでも、現代の移民がこれまでとは違い帰る場所を失った形での移住であり、移住先で構造化されたサービス業の中心的担い手になっている状況を考えれば、彼らが市民権を獲得することの重要性を否定することはできない。現在、多くの国で移民は外国人という立場で居住する社会の政治に参加することを求めている。その背景には、国際的な人権思想の拡大によって形式的には諸権利が保護されていることに加え、同化への終わらない要求を拒否していることがある。移民の政治参加の問題は常に、変わらないマジョリティの側がマイノリティをどのように受け入れるのか、動員するべきなのかという形で提起されてきた。外国人としての市民権の要求、あるいは同化を拒みながら定住外国人として生きる人々の存在は、「受け入れ国」の側の人々が囚われている「国民」という制度への問いかけでもある。

残された課題。1)潜在的移民の研究、つまり政治的・経済的・文化的理由で移民できない人々の存在、移民政策によって生まれる移民内の分断、世界的規模での生存基盤の崩壊や環境破壊によって誰でも住む場所を失う可能性がある現在の状況など。2)移民の女性化の研究、つまり国際市場における再生産機能の商品化、家族の再構成や解体、人種差別と性差別の関係など。3)ベトナム戦争による難民のような、戦争と移民との関係の研究。

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