01:萩荘
これからお話する萩荘があるのは東京都台東区、その台東区の端っこにある谷中という地域です。有名な谷中銀座商店街から「六阿弥陀道(ろくあみだみち)」という物寂しい路地を入った静かな住宅地に建っています。昭和30年(1955年)、物資も少なかった戦後まもない時期に竣工した、木造2階建ての賃貸アパートです。敷地は隣接する寺院「宗林寺」の境内の一角に位置し、寺の墓地の塀の連なりの延長にポカンと建っています。
この宗林寺、江戸時代から境内に植物の「萩」が多く植わっていたことから、通称「萩寺」とよばれていました。そんなことから、萩荘の名前の由来がうかがえます。
建物は典型的な戦後の共同住宅で、中廊下型と言われる、暗い廊下の両側に個室を連ねた形式をとっています。各部屋が六畳の単位で構成され、それぞれ四畳半の畳部屋と半畳ずつの玄関、収納、手洗いを持っていました。当初は1階7部屋、2階も7部屋の計14部屋に分かれていたそうで、そのころの鍵束は今でも残っています。風呂なし・共同トイレで風呂は銭湯に行くことが前提。この手の共同住宅は都内でもまだ多く残っており、木造賃貸住宅、略して木賃などと呼ばれていますが、基本的には現代のライフスタイルには合わない住宅形式ということで、いの一番に解体され建て替えられるのが当然とされているような建物です。そんな安アパートにはちょっと不釣り合いな入母屋造りの屋根は、寺の境内に建つアパートというだけあって当時の住職のちょっとした意地を感じさせます。とはいえ、この萩荘も例に漏れず空き家となっていました。
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