私は占いには全く興味がないのだけれど、近所の占い学校で知り合いの講師が、無料占い会をしていたので、手相を見てもらった事がありました。 先に夫がみてもらい 「この手相は、天才的な人が持っている稀な手相ですね〜」なんてカッコいい事を言われているので、昔から小さい手とやたらと薄い手相は気になっている私は″(美人)薄明だったらどうしようかしら?”なんて思って、待っていました。 で、いよいよ自分の番。 占い師は手相をサラリと見ると 「特に可もなく不可も無い、平凡な人生ですね」と。
自分のこどもというのは、かわいいもので、こどもはずっと健康でいて欲しいと願ってしまうのです。 ただ、そうもいかないもので。 こどもは産まれた瞬間から、親の手の届く範囲から離れていくのです。 私はこれを勝手に「あきらめ」と呼んでいます。 よく小学校に入る前に、周りのママさん達が話す「1人で通学させて、変な人に連れさらわれないかしら?」って話。でも、集団登校だとその列に車が突っ込んだって話もあったね。こわいこわい。 そこで、やっぱり産まれおちたときから、むしろお腹の中に
運動で歩くようになったのだが、目的もなく歩くのもつまらないので、行き先の喫茶店でコーヒーを飲んで帰るということにした。 もともと、コーヒーは好きなので喫茶店は入ってみたかったのだが、なにぶん人見知り。1人で知らない店に入れない。 そんな克服をしたいのもあり、喫茶店巡りが日課になり、やや1人で入る事も怖くなくなった。 私は、何年も前にタバコは辞めてしまったので、タバコを吸って、コーヒーを飲むという嗜好はできなくなってしまったのだが、喫茶店にはその他にもトーストとサラダとか
絵を描くようになった。 もう、何十年も描いてなかったのだけれど、コロナ禍での暇や気持ちの整理もあったりして描き始めてみた。 そこにあるものや好きな人物を描くのは、楽しい。しかし、そのものが好きなのであって、描いているものは偽物でそのものにはなれない。そんなウダウダ考えて、日々の生活のせいにして描かないうちに、自分はそんなに絵が好きではない事に気付いた。 今も同じ事をウダウダとやっぱり考えている。 しかもたまに、描きたいものが見つかっても気力が持続しない。 私の周りに