
妄想旅行、せんだくもの。下町の小さな喫茶店。
神戸市灘区のとある市場の外れに、小さな喫茶店がある。
明るい木を基調に、とても落ち着いた雰囲気のお店だ。BGMもヒーリング、ラテン系、フォーク他。飽きずにずっと聴いていられる。
店にはいると、おじちゃんとおばちゃんが旅行雑誌を開きながら、かつて行ったであろう旅先のページを開いて、おもい出話を交換している。「ここ、行ったことあるで」「息子が行っとったわ」
私は、自家製のガトーショコラとアイスコーヒーをオーダー。ラム漬けにされたチェリーの甘酸っぱさとチョコレートの香りが、苦味の効いた濃いめのアイスコーヒーによく合う。
ケーキを食べ終わる頃、おじちゃんとおばちゃんの旅話は、未来の話に変わっている。
途中、ひとりのおばちゃんが、ふらっとお店に入ってきた。買い物の荷物と一緒に、店主さんへの差し入れを持って。差し入れは、なぜかマトリョーシカだ。どうやら、かつて世界中を旅していたらしく、家にある旅のお土産を整理しているらしい。
さっそく、店主さんが棚に並べてみる。でも、マトリョーシカが大きすぎて入らない。そんな小さな空間でのやりとりを眺めていると、アイスコーヒーの氷が溶け始めてきた。ケーキを食べ終わった今、少し薄まったアイスコーヒーがちょうどいい。
残りを一気にグッと飲み干し、店を出ようとしたとき、マトリョーシカのおばちゃんが、大きな声を出した。
今日は「せんだくもの」よぉ乾くわぁ。
帰り道。もう通り抜けることができなくなった市場を歩いてみる。この前通ったときも、6時40分だったっけ。端につくと、もと来た道を折り返す。おばちゃんの「せんだくもの」を反芻しながら。