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ファイナルファンタジーⅡ二次創作小説 『野ばらの旗』 第八章 血戦の風


   一


 夏になっていた。
 闘技場での戦闘から、ふた月が経っている。
 パラメキアは蒸し暑い日が続いているが、山頂にある城は、涼しかった。肉体が、あまり寒暖を感じなくなってもいる。修行のため、あらゆる薬を試した結果、そうなった。通常の人間にとっては致死量の毒を呑んでも、わずかに苦痛を感じる程度である。
 雨は降っているが、食料は不足していた。民は飢餓に苦しんでいるが、施しを与えるつもりはない。いずれ計画が成就すれば、すべてが解放されるのだ。
 命の尊さを説きながら、戦をやめない。そんな矛盾に満ちた、愚かな人間の世を、滅ぼしたかった。戦の原因となる、国や民族、宗教などの壁を一度破壊し、新たに世界を創り直す。それが、マティウスの計画だった。
 新たな世界では、すべての人間が平等であり、貧富の差もない。理想郷と呼べる世界を、この手で創る。そのために、まずは魔界とこの世界を繋ぎ、世界に混沌をもたらす。すべてが破壊し尽くされたあとにあるのは、再生だ。
 十六年前、前皇帝である父が死ぬと、マティウスはその後継として即位した。ほかに、兄弟はいなかった。
 南北をフィンとカシュオーンに挟まれた中で、父はよく国を維持していたと言っていい。しかし、パラメキアの痩せた国土では農地もかぎられ、また砂漠を越えてくる商人もほとんどいないため、経済の発展は見込めなかった。
 硝石が産出されるようになると、兵器開発を進めた。火薬を用いた新兵器によって軍事力を強化し、フィンとカシュオーンに対抗するためだ。自分もまた、愚かな人間のひとりなのだろう。
 一度、フィンと国境付近で小競り合いになったことがある。軍備拡大を警戒し、フィンが送りこんできた密偵を発見、処断したことが発端だった。二国間の緊張は高まり、ついに国境付近で激突した。戦死者は、双方合わせて三千といったところだが、戦場がフィンに食いこんだこともあり、フィン側は民からも多くの犠牲を出した。
 マティウスは城で戦況を聞くだけだったが、フィン軍の指揮は、騎士団長のシドという男が執っていたという。どうやら戦場となったフィン領は、そのシドが拝領した土地らしい。戦にはシドの家族も巻きこまれ、家族を失ったシドは騎士団長を辞して、ひとりで研究をはじめた。魔石と蒸気機関を組み合わせ、やがてシドは空を飛ぶ船、飛空船を独力で完成させた。ちょうどそのころ、こちらはバフスクの工廠で大戦艦の建造に着工したところだった。
 単に世界を統一するだけならば、大戦艦を建造する必要などなかった。しかし、魔界とこの世界を繋げるためには、より多くの破壊と、人々の恐怖が不可欠なのだ。そして、魔界との距離が近づくたびに、マティウスの魔力も増幅する。二千人の民を生け贄にした儀式によって、マティウスはさらなる力を手に入れていた。
 大戦艦は完成したが、叛乱軍によって破壊された。少人数で潜入し、内部から動力炉を爆破するという、鮮やかなやり方だった。実行部隊は、まだ二十歳にもならない若者たちを中心に構成されていた。
 ベヒーモスとの闘いで、実力はわかった。ひとりひとりが、優れた武勇の持ち主である。かつては臆病者と噂されたゴードンも、いまでは叛乱軍の総司令官であり、剣士としてもかなりのものになっている。
 逃げられたのではない。あえて逃がしたのだ。焙烙玉を遣う忍びの登場は予想外だったが、自ら魔法を遣い闘っていれば、全員を仕留めることもできた。しかし、彼らを失えば、叛乱軍は一気に劣勢となり、パラメキアはあっさりと勝利することになるだろう。それでは駄目なのだ。魔界とこの世界を繋ぐには、さらに多くの血と、人々の恐怖が必要である。そのためにも、もっと戦を激化させなければならない。すべては、新たな世を創るためなのだ。
 叛乱軍はいま、フィン奪回を図っているだろう。
 アルテアの総兵力は三千といったところだが、調練を重ね、精強な軍となっている。八千の軍でフィンに駐屯するゴートスは、肩書きこそ将軍であるものの、どちらかというと文官にむいていて、戦はそれほど巧くない。ただ、フィンの民を生かさず殺さずの状態で統治する手腕はある。そのまま、司令官として置いておくつもりだ。
 叛乱軍の動きを察知しだい援軍は送るが、奪回されても構わない。戦死者がたくさん出れば、それだけ計画の実現も近づくのだ。
 玉座の間に、全身を黒の具足でかためた男が入ってきた。
 ダークナイト。パラメキアへは、半年ぶりの帰還ということになる。将校に落としバフスクに送ってからは、補給もままならない状態で、常に前線で闘っていた。階級の上では将校だが、独立行動権を与えているので、軍内でダークナイトに口出しできるものは、事実上いない。
「バフスクより、帰還いたしました」
 拝礼して、ダークナイトが言った。口調こそ大人しいが、すさまじい闘気を、躰の内側から発している。全身を具足で覆っていても、その兇暴な闘気だけは隠しきれない。双眸は、まるで肉食獣のように光っている。
「叛乱軍を、ランディッシュ山の西まで押し返したそうだな」
「補給さえ受けられれば、サラマンドまで攻めることもできましたが、思いのほか、敵も激しい抵抗をしてきました」
 ヒルダが戻ってきたことで、各方面でも叛乱軍の士気は上がっていた。戦が激しくなればなるほど、自分にとっては都合がいい。ダークナイトも、手応えを感じているようだ。
「充分すぎる働きだ。しばらくは、ゆっくりするがいい。時には、休息も必要だろう」
「麾下には、二日ほど休みを与えました。ところで、例の部隊と、このパラメキアで戦闘になったと聞きましたが?」
「やはり、興味はそこか。魔物をぶつけ、実力を測らせて貰ったよ。敵ながら、見事な闘いぶりだった。フリオニールという男を、知っているか?」
「いえ、はじめて聞く名です」
「そうか。おまえほどではないが、なかなかの手練れだった。叛乱軍は、総兵力こそ少ないが、勇士と呼べる男が多いな」
「次にやつらと闘うことがあれば、その時は私をぶつけていただきたいと思います。それでは、これで失礼いたします」
 踵を返し、ダークナイトが退出した。
 ダークナイトの後ろ姿には、さきほどよりも強烈な闘気が漂っていた。大戦艦を破壊されたことへの執着はないだろう。強い敵と闘いたい。あの男にとっては、多分それがすべてだ。そしてその牙は、いつか自分にむいてくる。それもまた、一興だ。すべては、自分の掌で動いているのだ。
 マティウスは、葡萄酒の注がれた杯を手に取った。
 フィン城の蔵に保存されていた、年代ものの葡萄酒である。深みのある赤い色は、見ていると吸いこまれそうな気分になる。葡萄酒はパラメキアでも生産しているが、フィンのものほど美味ではない。
 豊潤な香りをしばし愉しんだあと、マティウスはゆっくりと葡萄酒を口に含んだ。わずかな渋味の奥に、ふくよかな果実味が拡がる。これほどの美酒を造る人間が、盗みを働いたり、人を殺したりもするのだ。
 放っておいても、いずれ人間は勝手に滅ぶだろう。滅びにむかって進む。そういうふうに創られたとしか、思えないのだ。
 この手で一度、人間を、世界を滅ぼす。新たな世界の創造。できると思った。だからやる。それだけだ。
 残りの葡萄酒を、マティウスはひと息に飲み干した。
 口からこぼれた葡萄酒が、顎の先端から滴り落ちそうになった。手の甲で、顎を拭った。
 手に付いた葡萄酒は、血によく似た赤色だった。

   二


 精強な軍に仕上がっていた。
 全軍で、三千名である。内訳は、歩兵が二千五百、騎馬が五百。ポフトの北、ランディッシュ山の西に牧があって、馬はそこから送られてくる。
 調練を終えると、ゴードンはまず馬の鞍をはずし、躰を拭い、秣と水を与えた。ゴードンにかぎらず、馬に乗る者は、みなそうする。馬は、乗り手の意思を汲む。心を通わせなければ、ともに戦場を駈けることなどできないのだ。
 夕食のあとは、居室に籠もった。
 卓上には、フィンの城郭内の地図が拡げたままだった。ゴードンは地図に見入った。何日も前から、居室にいる時はずっとそうしている。
 フィン奪回の、ときが来た。
 何度も軍議を開き、作戦を立てた。ミンウがいないのは苦しいが、ヒルダを救出したいま、全軍の士気は高まっている。
 八千の守備軍に対し、こちらは三千である。
 通常、城攻めには、守備側の三倍の兵力が必要といわれている。つまり、こちらは二万四千の兵がいて、ようやく闘えるということだ。しかし、それはあくまで兵法上での話だ。持っているすべての力を出し尽くし、足りないものは、さまざまなもので補う。
 ポール率いる蝙蝠が、すでにフィンに潜入していた。
 蝙蝠が城郭の内側から南門を開けたところに、レイラの船、赤鯱で上陸した先鋒が突入する。先鋒の総勢は五十名で、自分も含まれている。赤鯱に乗せることができる、ぎりぎりの人数だ。それ以上の人数を乗せると、吃水が深くなり、船は乗りあげてしまう。赤鯱は、アルテアの南からアルツーム海峡を回って北上し、ステリオンド湖に入る。川に架けられている橋も、赤鯱がくぐれる高さに作りなおした。
 先鋒の上陸後、レイラとその手下は、砲撃による支援をしつつ、城外に駐屯する騎馬隊の兵舎に火をつけ、攪乱する。敵の騎馬隊は、およそ二千。こちらの騎馬は五百だが、まとまる前に追い散らす。
 本隊は、ガテアの北からステリオンド湖を船で渡り、城郭内に突入する。当然、蝙蝠が見張りの兵を始末しているのが前提だが、先鋒からそれほど遅れることはないはずだ。そこから先は、死力を尽くすしかない。城攻めを想定した調練は、何度もくり返した。かつて拠っていた、フィン城を攻める。考えると、不思議な気分ではある。
 麦の刈り入れも終わり、兵糧に不足はない。注意すべきは、パラメキア本国からの増援だ。ディスト海軍が呼応する手筈になってはいるが、そのへんは、戦がはじまってみないことにはなんとも言えない。
 北では、ダークナイト率いる黒い騎馬隊を相手に、かなりの犠牲を出していた。いまのところ、ダークナイトがバフスクから動くことはなさそうだ。あの男ひとりいるだけで、作戦は失敗に終わりかねない。
 帝国軍とは、互いに通信網の切り合いが続いている。損耗は激しいが、通信の速度では、まだこちらが上だ。
 本営はガテアに置き、ヒルダも参陣する。叛乱軍の象徴として、後方から兵を見守るだけでも、士気は高まるだろう。大戦艦の砲撃で破壊されたガテアには、いまは誰も住んでいない。
 ヒルダの心の傷は、少しずつ癒えてきた。
 サラマンドから、ヨーゼフの娘であるネリーを、侍女として呼び寄せていた。ヒルダの身のまわりの世話だけでなく、話し相手にもなっている。ネリー自身も、幼い身でつらい体験をしているが、いつも元気で、よく働いていた。ふだんは文官を怒鳴ってばかりいるスティーヴも、ネリーを見ると、機嫌がよくなる。
 ヒルダとは、ひと月前に一夜を過ごした。
 夢中でわけがわからないまま果てたが、ヒルダは涙を流していた。痛かったり、苦しかったりするわけではなく、嬉しいのだという。そんなヒルダが、愛しくてたまらなかった。
 その一夜以来、ヒルダを抱いてはいない。情欲は、無限と思えるほどに湧きあがってくるが、快楽に溺れそうになる自分が恐ろしくもあった。夕食の時は、二人で話し、葡萄酒を飲むこともある。いまは、それで充分だ。帝国との戦に勝つ。それが、自分の使命なのだ。
 軍を率いるということは、さまざまなものに耐えることだ、と兄のスコットは言っていた。いまなら、わかる気がする。
 叛乱軍の総司令官、という重圧は常にある。数千を指揮しての戦など、経験がない。それがいきなり、寡兵での城攻めの指揮を執るのだ。勝てるのか。これまでに、何度となく自問していた。やはり、自分は弱い男だ。
 扉を叩く音で、眼が醒めた。いつの間にか、眠っていたようだ。
「レイラか。入ってくれ」
「あいよ」
 赤い髪をふわりと靡かせながら、レイラが部屋に入ってきた。作戦について、確認することがいくつかあった。
「物資の積みこみは完了したよ。それにしても、川を溯るなんて、鯱というより、鮭だね」
 レイラが豪快に笑うと、豊満な胸が揺れた。相変わらず、露出の多い服を着ている。眼のやり場に困って、ゴードンは地図に視線を落とした。
「調練を重ねたとはいえ、これまでにない、大きな賭けだ」
「勝てるさ。あたいは、博奕は得意なんだ」
「頼もしいな。不足しているものはないか?」
「スティーヴ殿が、すべて手配してくれたよ。船乗りだから、重い具足は着けられないけど、ミスリルの剣なんかを貰って、手下たちも喜んでた。スティーヴ殿は、あたいを見るといつも怒るけどね。あまり、派手な恰好でうろつくなってさ。年寄りには、刺激が強いのかね」
「確かに、眼のやり場には困るな」
「ふうん、ゴードン様も、やっぱり男だね」
「あまり、私をからかうなよ」
「これは失礼、総司令官殿。でも、冗談抜きで、最近ほんといい男になったよ」
「ありがとう、レイラ。そうだ、また今度、みんなで酒でも飲もうか。あの砂糖黍の酒は、癖になる」
「いいね。フィン城を取り戻したら、派手にやろうじゃないか」
 その後、一時間ほど細かい話をして、レイラは部屋を出て行った。
 心の中にあった重圧が、いつの間にか軽くなっていた。
 フィン城を奪回し、みんなで酒を飲みたい。いつかヒルダと、正式に結ばれたい。
 勝てる。とき。掴んでいるのだ。

 十日間の調練が終わり、兵たちには二日の休みを与えた。フィン奪回のための出動は、いよいよ三日後に迫っていた。
 マリアが、調練によく耐えた。フリオニールにも疲労はあったが、兵たちの前では、疲れている素ぶりは見せなかった。ガイは、まだまだ余裕があるようだ。
 選りすぐった四十六名の兵を、さらに鍛えあげた。自分とガイとマリア、そしてゴードンを加えた五十名が、先鋒となってフィンの城内に攻めこむ。民を巻きこまないためにも、速やかに内門に到達しなければならない。
 すべてが賭けだが、不安はなかった。ポールと蝙蝠は、確実に任務を遂行するだろう。先鋒は、本隊の到着まで耐える、いわば楔のような役目だ。城内に突入し、通路で闘うことができれば、数で押されることはない。決して自惚れではなく、ガイと二人だけでも、二百くらいは相手に闘える自信がある。
 勿論、戦は個人の武勇で決まるものではない。軍略や、兵の質や数。そして、それよりも重要なのは、指揮官の肚が据わっているかどうかだ。
 ゴードンは、優れた指揮官に成長した。軍の指揮だけでなく、剣の腕も上がっている。抜き撃ちの速さには眼を瞠るものがあり、稽古でも五、六本に一本は取られるようになった。
 かつては運命を嘆き酒に溺れていたが、心身ともに、見違えるほど強くなった。友であり、互いに競い合う好敵手でもある。自分が義兄のレオンハルトを目標とするように、ゴードンは、兄のスコットを目指しているのだろう。稽古をしていて、それはよくわかった。
 ひと月前から、なんとなくゴードンの雰囲気が変わった。きっと、ヒルダとの恋だろう。ゴードンはいま十九歳で、フリオニールよりひとつ歳上ではあるが、それ以上に大人びて見えるようになった。
 本来なら、ヒルダは、ゴードンの兄スコットと結ばれるはずだった。しかし、そのことについて、とやかく言う者はいないだろう。それに、大事なのは二人の気持ちだ。帝国との戦に勝利した時、二人はみんなに祝福され、正式に結ばれるはずだ。
 二日後の夕方、アルテアにいるすべての兵に招集がかけられた。これより、ゴードンの演説が行われる。いよいよ、フィン奪回の作戦が動き出すのだ。
 広場には、三千の兵が整列した。一年前、同じように広場に集合した時は、三百人だった。いまでは、サラマンドやセミテの軍を合わせれば、全軍で一万五千に達し、全体を見れば、帝国軍を少しずつ押し返してもいる。
 各戦線の細かい状況は、逐一司令部に入ってきている。
 いまや、ダークナイト率いる黒い騎馬隊の強さは、叛乱軍のすべての将兵に知られるようになった。黒の装備で統一された百騎が、まるで一頭のけもののように、原野を駈け、陣を切り裂いていくのだという。
 黒い騎馬隊と闘ったことはないが、ダークナイトの強さは、身に沁みてわかっている。いまはバフスクにいるらしいが、いつか決着をつける時も来るだろう。いま闘って、勝てるとは思えなかった。
 フリオニールは、噴水の方に眼をやった。噴水のまわりには、野ばらが茂っている。花はもう終わり、秋になれば、実をつけるだろう。大戦艦の爆撃を受けても枯れなかった野ばらを見て、民たちは希望を捨てず、町を復興、発展させたのだ。
 少しして、ゴードンが司令部から姿を現した。後ろを、ヒルダが続く。兵たちが直立し、周囲の空気がぴんと張りつめた。
 二人が、ゆっくりと壇上にあがった。ヒルダは白い上品な衣装で、髪と胸もとには、銀の飾りが付いていた。ゴードンは、新調した緋色の具足に、白い外套といういでたちだ。具足の胸当ての部分には、カシュオーン王国の紋章である、太陽が描かれている。
 白い外套は、作りは立派だが、少し汚れていた。なにかいわくがあるものなのか、フリオニールは小声で隣りにいる隊長に訊いた。隊長は、涙を流していた。あれは、かつて国王陛下が身に着けていた外套だ。涙を拭わず、正面をむいたまま、隊長は答えた。
「われらがアルテアに拠って、ちょうど一年になる」
 やや緊張しているようだが、ゴードンの声はよく透っていた。
「兵は増えたが、死んで行った者も数知れない。この一年間、諸君はよく闘い、よく耐えた。いまこそ、フィン城をわれらの手に取り戻すときだ。それぞれが、限界を超えろ。超えなければ、勝つことなどできない。先鋒には、私も加わる。私に続き、死を恐れず闘え。以上だ」
 ゴードンが身を翻すと、白い外套がふわりと舞いあがった。かつて、フィン国王ロベールが身に着けていたという外套には、野ばらの紋章が刺繍されていた。
 兵たちの間から、鬨の声があがり、周囲の空気がふるえた。この野ばらの紋章に続け。ゴードンの背中が、そう言っていた。短い話だったが、言葉など、いくら並べたところで意味はない。闘い、勝利することにこそ意味はある。ヒルダはまったく話さなかったが、その表情には、野ばらの旗を再びフィン城に掲げる、という強い意思があった。
 解散後は、ガイとマリアと三人でトブールの工房へ行き、研ぎや手入れを頼んでいたそれぞれの得物を受け取った。
 夜は蒸し暑く、なかなか寝つけなかった。兵舎にいる兵たちは、もっと寝苦しいだろう。ぼんやりと考え事をしながら、フリオニールはしばらく寝たり起きたりをくり返した。
 明け方、遠くからかすかに具足の鳴る音が聞こえた。
 本隊が、進発したようだ。     

   三


 ようやく、外が暗くなってきた。
 出された酒を、ポールは嘗めるように少しずつ飲んでいた。
「いよいよ、今夜か」
 杯を布で磨きながら、ヤニックが呟いた。
「こいつを飲み終わったらな」
 ポールのほかに、仕切り台の前に座っている客はいない。後ろでは、二つの卓で七人の帝国兵が飲んでいた。
 ヤニックの話では、以前と較べると、帝国軍の締めつけは多少緩くなったらしい。フィンの民が飲みに来ることもたまにはあるというが、相変わらず税はかなりの額を徴収されている。
 一年前は、ひどいなんてものではなかった。最も豊かで、しかも最後まで抵抗した国に対する見せしめのつもりか、数千人という単位で虐殺され、略奪や強姦なども、昼夜を問わず当たり前のように行われていたという。
 ポールの家も荒らされていたが、金目の物は床下に隠してあり、無事だった。今回の作戦が成功したあと、それらはすべて現金に換え、フィンの民や、叛乱軍のために遣うつもりでいる。もともと、盗んだものなのだ。
 雑穀から作られた蒸留酒は、氷が溶け、ほとんど水割りになっていた。それをひと息に飲み干すと、ポールは立ちあがり、銀貨を一枚置いた。
「おい、金はいいんだぜ」
「屍体を七つも片付けるんだ。手間賃とでも思ってくれ」
「それだったら、少なすぎるな。まあ、足りない分は今夜の見物料ってことにしとくか」
「せいぜい、戸締まりをちゃんとしとくんだな」
「どのみち、今日はもう店仕舞いさ」
 卓の方に眼をやって、ヤニックが口もとだけで笑った。七人いた帝国兵は、卓に突っ伏すか、床に倒れるかしていた。酒に、遅効性の毒を入れておいたのだ。
「仕事が終わったら、麦酒を飲みに来る。あれは小便が近くなるからな、いま飲むわけにゃいかねえ」
 店を出ると、ポールは城の内門へ走った。人通りがほとんどない暗がりを、音もなく走っているので、誰にも気づかれることはない。
 空は曇っていて、月明かりも少ない。風もなく、少し蒸し暑い夜だった。
 少しずつ、部下が合流してきた。
「外門の方は、西、南ともに片付きました。次に見張りが交替するまで、まだ時間はあります」
 報告を聞きながら、ポールは人数を確認した。全員が黒装束をまとい、夜の闇に溶けこんでいるが、十五名いる部下は、ひとりも欠けていないようだ。
 もともと蝙蝠は諜報や破壊工作を主任務とし、争闘には不向きだったが、帝国の間諜や特殊部隊と暗闘を続けるうち、腕の立つ者だけが生き残った。十五名全員、正規の軍に入っても、指揮官として通用するだけの能力はある。しかし、闇の中で闘い、闇の中で死んでいくのが、蝙蝠の宿命だ。それは、全員がわかっている。
 内門付近の植え込みに身を潜め、ポールは城壁の様子を窺った。門の真上の高台に、二名の見張りがいる。高台はないが、東西も同じように見張りを配置し、そちらは歩哨として常に移動している。
「鉤爪」
 ポールが言うと、全員が手に鉤爪を装着した。一斉に飛び出し、堀にむかって駈けた。並の者では跳び越えることのできない幅でも、蝙蝠の者なら跳べる。全員が堀を跳び越え、城壁に取りついた。気づかれた様子はない。音をたてず、しかし素速い動作で城壁を登っていった。身を軽くするため、ポールも今回は焙烙玉を仕込んでいない。
 頂点付近で全員が跳躍し、音もなく城壁の上に飛び移った。着地した時には、見張りは二人とも部下が始末していた。
 左右に二名ずつが移動し、東西の見張りを始末した。手裏剣が得意な部下が何人かいて、離れたところからでも、的確に急所を打つことができる。
 中庭には、ひとりの兵もいなかった。罠はないようだ。仮にあったとしても、それほど簡単にかかる者たちではない。
「赤鯱は、すぐそこまで来ているようです」
「ああ。どんぴしゃだ。すぐに降りて、門を開けろ。確認しだい、俺が橋を降ろす」
 門を開けたあと、敵兵が殺到することも考えられる。援護を考慮して、全員を下に行かせることにした。
 部下が着地したとたん、爆発が起きた。
「罠です」
 爆風で、下の様子はわからないし、状況を見きわめる余裕もなかった。
「とにかく、門を開けろ」
 言いながら、ポールは鎖を解き、橋を降ろした。火薬を使った罠、ということはすぐにわかった。しかし、なぜ匂いに気づかなかったのだ。酒に酔ってはいない。空気が湿り気を帯びているからか。いや、密閉した容器に入れ、地中に埋めてあったのだ。それならば、確かにわかりにくい。一定以上の重量がかかると、作動する仕組みなのだろう。
「まだか」
 言いながら、ポールは中庭に飛び降りた。立っている者は五名。二本あるかんぬきを、ようやく一本引き抜いたところだ。
 中庭に、敵兵が殺到してきた。手には、見馴れない長い得物を持っている。
 火薬の匂い。今度は、はっきりとわかった。

 上陸と同時に、爆発音がした。
 次に、連続してなにかが炸裂するような音。そしてまた、爆発音。
 ポールと蝙蝠は、敵と戦闘に入ったのか。なにが起きたかはわからないが、作戦に狂いが生じたのは確かだ。民家の明かりは、次々と消えている。
 後方では、砲声が轟いていた。レイラの船が、城外で野営する騎馬隊に、砲撃を加えているのだ。こちらの騎馬隊も、すでに突撃をかけ、攪乱しているはずだ。
 途中で、十名ほどの敵兵と出会した。先頭のゴードンが二人を斬り、フリオニールも二人斬った。残りは、ガイと味方で片付けただろう。駈けながら、いちいち確認する余裕はない。
 途中、マリアがひとつの路地の奥を見ていた。あの路地を入って、三つ目の角を左に曲がったところに、かつて住んでいた家があった。去年潜入した際にも通りがかったが、ただの焼け跡だった。いまは、どうなっているかわからない。
「止まれ」
 建物のかげから男が飛び出してきた。ポールだ。
「路地に入るんだ。城門は、敵がかためている」
 ポールの左腕は、付け根のところからなくなっていた。ほかにも、かなり傷を負っている。
「右の路地に入れ」
 ゴードンの命令で全員が路地に入り、しゃがんで円陣を組んだ。ポールは横になり、マリアが魔法で手当てをはじめた。
「なにがあった、ポール?」
「罠にかかっちまいました。部下は全滅。門は爆破しましたが、敵は銃を持っています」
「銃?」
「火薬を使って、弾を飛ばす武器だ。砲を小型にしたものと思えばいい」
「ポール殿の傷は、銃でやられたんですか?」
「左腕以外はな。銃は連射が利かないが、数が揃うと厄介だ」
「この人数で突撃したら」
「全員、蜂の巣になりますぜ」
「本隊の到着を待つしかないな。しかし、よく城門を開けてくれた」
「発破を持った部下がいて、自爆したんですよ」
「ポール殿の左腕は、その時に?」
「これぐらい、大したことねえよ。もうそのくらいでいいぜ、マリア。ありがとよ」
 言って、ポールが立ちあがった。
「ポール殿、どこへ?」
「レイラに応援を頼む。それでいいですね、ゴードン様?」
「すまんな、ポール」
「俺も死んだ部下たちも、勝ってくれりゃ、それで満足ですよ」
「必ず、勝ってみせる」
 にやりと笑って、ポールはゆっくりと走り出した。足取りが、少しふらついている。片腕がない上に、血も失っているのだ。自分なら、立っていることすらできないかもしれない。
「敵が守りに入っているのが救いだ。いまのうちに、銃弾を防ぐための土嚢どのうを作るぞ。警戒は怠るな」
 ゴードンの命令で、全員が作業にかかった。

 兵舎が燃え出した。敵の騎馬隊は、完全に崩れたようだ。
「砲撃やめ。上陸する。二十人、ついて来な」
 遠眼鏡を畳みながら、レイラは手下たちに言った。
 南門付近で、ポールと行き会った。
「どうしたんだい、ポール。腕、取れちまったのかい?」
「まあな。本隊は来てるか?」
「もうしばらくかかりそうだね。なにか、あたいに頼みでもあるのかい?」
「応援を、頼みたいんだ。城門は破壊したんだが、敵が守りをかためてる。銃まで用意してな。先鋒は、動きがとれないでいる」
「ちょうど、行こうと思ってたところさ。しかし、本隊が来るまでに、敵が攻勢に出るとまずいね」
「頼む、レイラ」
「任しときなよ。あんたは、あたいの船で休んでな。幸い、船医もいる」
「今度、酒でも奢るぜ」
「あたいだけじゃなく、こいつらの分も頼むよ」
「まったく、海賊にものを頼むもんじゃねえな」
 笑いながら、ポールは船の方へ歩いていった。かなりの深傷だが、死ぬことはないだろう。レイラも、再び駈け出した。
 街の中心から、西へむかった。
「お頭。先鋒の応援には、行かねえんですかい?」
「急がば回れってね。敵は、銃を持っている。このまま行ったところで、どうにもならないさ。まずは、敵の馬をいただく。味方の騎馬隊は、追撃でそれどころじゃないだろうしね」
「なるほど。さすがはお頭だ。しかし、俺ゃ馬に乗ったことなんかありませんぜ」
「馬を一ヵ所にまとめるだけでもいい。とにかく、やるんだよ」
「へい。しかし、陸の上ってのは、どうも落ち着かねえ」
 潮の匂いが恋しいのはレイラも同じだったが、なにも言わなかった。
 西門が見えた。地図で見るよりも、フィンの城郭は広い。
 とにかくいまは、駈けるしかなかった。     

   四


 敵の兵舎が、炎をあげ燃えている。その炎に照らされ、城郭は赤く染まっていた。
 ヒルダは、ガテアに置いた本営から対岸を見ていた。
 本営といっても、護衛が四名と軍医が一名、それにスティーヴとネリーがいるだけだ。それだけ、総力をあげた戦になっている。
 さきほど来た伝令によると、蝙蝠は内門の破壊に成功したが全滅、先鋒は内門の手前で食い止められているらしい。
 作戦に狂いが生じ、戦局はますます不利になったが、ヒルダはそれでも、叛乱軍の勝利を疑ってはいなかった。ゴードン自ら、先頭に立って闘っているのだ。兵たちの力を、そしてなによりも、ゴードンを信じていた。
 まるで別人のように、ゴードンは逞しい男に成長した。すべてを受け入れ、自分のことを愛してもくれた。決してスコットのことを忘れたわけではないが、ゴードンの気持ちに応えたかったし、自分もまた、ゴードンに魅かれていた。この気持ちばかりは、うまく説明できない。
「伝令は、まだか?」
 弱々しい声で、寝台の上に横たわるスティーヴが言った。このところ体調が思わしくなかったが、夕方ついに倒れてしまった。アルテアに帰そうとしたが、それだけは頑として拒否した。
「さっき来たばかりですよ、スティーヴ殿」
「そうじゃったな、ネリー。どうも、意識が朦朧としてな。おまけに、眼もよく見えなくなってしまった」
「気をしっかり持ってください。叛乱軍は、必ず勝利します」
 言いながら、ネリーはスティーヴの額の汗を拭った。
「そうじゃ。フィンを取り戻すまで、わしは死なんぞ」
「次はきっと、いい知らせが来ますよ」
 しばらくすると、スティーヴの寝息が聞こえてきた。眠りに落ちたようだ。軍医がずっと付いているが、もはや手の施しようはないらしい。
 今回の戦でも、スティーヴは武具や糧食、その他あらゆる物資を手配した。若い文官に任せることを勧めても、フィンを奪回するための戦だ、と言って聞かなかった。スティーヴのフィンに対する思いを考えると、止めることもできなかった。スティーヴは、家族を帝国軍に殺されてもいる。
 ヒルダは、再び視線をフィンの方へ移した。こうしている間にも、兵は死んでいる。闘えない自分にできるのは、兵たちを信じ、後方から見守ることだけだ。
 ネリーがそばに来て、ヒルダの脇に立った。お互い無言で、しばらく対岸を見ていた。

 大広間で、ゴートスは床机しょうぎに腰かけ、戦況を分析していた。
 奥には玉座があるが、軍人である以上、玉座に座るわけにはいかない。玉座に座ることは、皇帝のマティウスに対する叛逆を意味する。
 のどが渇いたので、兵に水を用意させた。腹も減っていたが、兵を闘わせておいて、自分ひとりで食うことはしなかった。このところ、食いすぎてもいる。フィンに来てから、ゴートスはさらに肥った。食い物も酒も、パラメキアよりずっとうまいのだ。
 水を飲み干すと、ゴートスは大きく息をついた。
 いくら叛乱軍に勢いがあるとはいえ、寡兵で攻めてくることはない、とどこかで高をくくっていた気もする。これまでにも、ガテア付近で調練をやっていたようだが、すべてはこの時のためだったのか。
 およそ二千五百が城郭内に侵入し、城の手前まで押し寄せてきた。味方の騎馬隊も奇襲を受け、潰走させられたようだ。城内の兵力は六千で、そのうちの四百が銃を装備している。
 兵力も装備もこちらが有利だが、叛乱軍には魔法を遣う者がいて、犠牲は双方に出ていた。橋も落としたが、敵も瓦礫や土砂を使って、少しずつ堀を埋めてきた。
 完全に膠着した状態だが、こちらよりもずっと、叛乱軍は苦しいはずだ。とにかく、いまは耐える時だ。援軍が来るまで持ちこたえれば、確実に勝てる。
 天下などに、興味はなかった。いまの地位にいれば、金にも女にも、食い物にも困ることはない。ここで叛乱軍を撃退すれば、今後の人生も安泰なのだ。
 のどが、まだ渇いている。兵に命じて、ゴートスは再び水を運ばせた。

 膠着して、一時間というところか。
 土嚢にもたれながら、ゴードンは大きく息を吸って、吐いた。銃弾を防ぐため、積みあげた土嚢の上に楯を出し、浅くではあるが溝も掘り、身を隠した。敵は城門の位置に柵を築き、そのむこうから銃で攻撃してくる。
 本隊と合流し、前進をはじめたのは、およそ三時間前だ。
 橋が落とされたので、マリアの魔法や弓隊の援護を受けつつ、土砂や瓦礫、さらには味方の屍体まで使って、犠牲を出しつつも、少しずつ堀を埋めていった。
 一度突撃を試みたが、それは失敗に終わった。わずか二時間のあいだで、およそ五百名が銃撃で命を落とした。負傷した者は、その倍はいる。残りの兵力は、一千というところだ。
 闘えなくなった者は、応急処置をするだけだ。後方に移送しようとしても、土嚢のかげから飛び出したとたん、狙い撃たれてしまうのだ。マリアには、回復よりも攻撃を優先させた。死ぬ者は、力か運、あるいはその両方がないだけだ。
「くそっ。このままじゃ、埒が開かないぜ」
 汗と泥にまみれた顔を拭いながら、フリオニールが言った。右の頬に、銃弾による掠り傷がある。あと少し右にいたら、死んでいたところだった。
 ゴードンも数発被弾していたが、銃弾は鉛でできていて、ミスリルの具足を貫通することはなかった。衝撃はものすごく、銃弾を食らったところは、痣になっている。弓矢より威力が高く、すさまじい速さで飛んでくるので、銃弾を眼で捉えることはできない。
 銃は連射が効かないという欠点があるが、そこは敵もうまく工夫してきた。三段に分かれ、一段目が射撃を終えると二段目、その次は三段目、という具合に入れ替わっていく。三段目が射撃を終えるころには、一段目の装填は済んでいる。この戦法で、突撃は阻止されたのだ。
「頭を下げろ、フリオニール。狙い撃ちにされるぞ」
 城壁の上にも、敵はいる。楯の隙間から顔を出した兵が、何人か撃ち殺されていた。
「それにしても、レイラは遅いな。もしかして、ポール殿は途中で力尽きたんじゃないだろうな」
「焦る気持ちはわかるが、滅多なことを言うな。それにこの状況では、レイラの魔法でもどうにもならんぞ」
「ああ。このままじゃ、もう一度突撃を試みても、結果は一緒だな」
 フリオニールが言うと同時に、後ろで馬蹄の音がした。単騎で駈けてくる兵がいる。伝令だ。何発も銃声がして、馬が倒れた。伝令は起きあがり、肩や脚を撃たれながらも、土嚢のかげまで走ってきた。
「報告いたします。北に、敵の援軍あり。ディスト艦隊が、沿岸から砲撃を加えています。騎馬隊は、まとまりつつある残敵を掃討中です」
「騎馬隊をこちらに回す余裕はないか」
「はい。ただ、レイラ殿が鹵獲ろかくした馬をまとめています。間もなく、やってくるかと」
「わかった。早く、手当てをしろ」
 伝令の撃ち抜かれた脚から、血が流れている。二名の兵が、すぐに手当てをはじめた。
「なるほど、考えたもんだな、ゴードン」
「敵の馬を鹵獲というあたりが、いかにもレイラらしい」
 少しして、地響きとともに、馬群が姿を現した。三百頭くらいはいるだろうか。レイラと手下たちが、懸命に追い立てている。馬に馴れてないのか、手下の中には、馬の首にしがみついている者もいた。
「進路をあける。正面の土嚢を崩せ」
 ゴードンの命令で、積みあげた土嚢の一部が崩された。敵が発砲してきて、四、五人が倒れた。銃声に驚き、何十頭かの馬が横にそれたり棹立ちになったりしたが、ほとんどの馬は城門に突っこんでいき、柵も破壊した。鞍が乗せてある馬に飛び乗り、ゴードンは突撃の号令をかけた。味方が続き、堀を渡りはじめた。馬に乗れるものは、乗ったようだ。
「待たせたね。このまま行くよ」
 馬を寄せてきて、レイラが言った。頷いて応えると、あとは敵の方だけを見、中庭に突っこんだ。敵は混乱しつつも、一部では隊列を組み直し、射撃してきた。
「騎乗するものは、私に続け」
 馬群に紛れながら、一番脅威になりそうなところめがけて駈けた。敵の射撃で、前を駈ける馬が倒れた。何発かの銃弾がゴードンの躰を掠め、兜も弾き飛ばされた。馬上で緋色の具足だから、狙われやすいのかもしれない。後ろをふり返った。騎乗で続いてきているのは、五十名ほどか。全員、姿勢を低くして次の射撃に備えている。敵の隊列が入れ替わった。ゴードンも、姿勢を低くして剣を構えた。銃は確かに脅威だが、当たらなければ、どうということはない。
 射撃とほぼ同時に、敵の中へ突っこんだ。馬が倒れ、躰が地面に投げ出された。転がりながら立ちあがり、二人斬った。横合。躰をひねって、刺突をかわした。銃の先に、短い剣が付いている。踏みこみ、剣を振り降ろした。敵兵は銃で剣を受け止めようとしたが、銃ごと両断した。正面の敵が、銃口をむけてきた。構わず突っこむ。銃声とともに、風が頬を通り過ぎた。下から斬りあげ両腕を飛ばし、肩から斬り下げた。
「銃を恐れるな。ここは、われらの城なのだ。死んでも取り戻せ」
 全身を、熱い血が駈けめぐっているのがわかった。
 見ているか、兄上。今度こそ、私はフィンで闘っている。もう決して、逃げたりはしない。     

   五


 闇の中で、両軍は再び膠着に入っていた。城の内部へは、まだ突入できていない。
 中庭を見たのははじめてだが、かなり広い造りである。泥濘にまみれて、数え切れないほどの敵味方の兵や、馬の屍体が転がっている。
 二時間ほどの戦闘で、三千近くの敵を斃した。雨が降ってきたことで、敵の銃には不発が目立つようになり、それが有利に働いた。それでもまだ、敵には数千の兵力が残っているようだ。扉の前で、扇形の陣を組んでいる。こちらの兵は、四百まで減っていた。中庭に少し入ったところで、五十人単位の方陣を八個組んでいる。
 雨はまだ、止みそうにもなかった。
「余裕のある者は、兵糧をとっておけ」
 ゴードンの声が聞こえた。フリオニールは、干し肉をひと切れ口に入れた。銃を持った敵はすべて斃したので、狙い撃たれる心配はない。
 右脚に一発、銃弾を貰っていた。至近距離から、具足の隙間を撃たれたのだ。傷はそれほどでもないが、全力で駈けることはできそうにない。ガイも数発撃たれていたが、重傷というほどでもなかった。マリアはほとんど無傷だったが、魔法の遣いすぎで消耗したため、負傷兵とともに後方に退がらせた。
 フリオニールは、泥濘でいねいに落ちている銃を拾った。銃口の向きに注意し、干し肉を噛みながら各部を触ってみた。
「怪我はどうだい、フリオニール?」
 水を飲みながら、レイラがやってきた。レイラも、細かい傷をいくつか負っていた。
レイラについてきた手下たちは、ほとんどの者が死んでいた。全員の名前を、フリオニールは憶えている。何ヵ月も一緒に航海した、仲間なのだ。しかし、彼らの名前を思い出すのは、闘いが終わってからでいい。
「大したことはない。ところで、こいつの遣い方、わかるか?」
「ちょっと、貸してごらん」
 干し肉を呑みこむと、フリオニールはレイラに銃を手渡した。
「まず銃口から、火薬と一緒に弾を籠めて、撃鉄を起こす。そしたら、ここの照準器で狙いをつけて、引き金を引く。それだけだよ」
「扱いさえ覚えれば、力のないやつでも簡単に人を殺せちまうんだな」
「これからは、銃で戦をする時代になるのかもね」
「俺は、剣があればいい」
「そうだね」
 銃を放り投げて、レイラが水筒を差し出してきた。受け取って、ゆっくりとふた口飲んだ。
 少しして、隊長格の者だけが集められた。
「全員が兵糧をとり次第、突撃を敢行しようと思う。異存はあるか?」
「俺は構わないぜ、ゴードン。まともにぶつかり合えば、兵力差がもろに効いてくる。だったら残った四百全員で、扉を目指した方がいい」
 フリオニールの意見に、ほかの隊長たちも頷いた。伝令によると、敵の援軍は、ディスト艦隊が撃退したらしい。騎馬隊は、残敵を掃討しつつ、こちらにむかっているという。さすがに、騎馬隊の到着まで待ってはいられなかった。長い膠着は、それだけ敵に余裕を持たせることになる。疲弊しているのは、敵も一緒だ。だからこそ、一回の突撃に賭ける。
 先に動き出したのは、意外にも敵の方だった。数をたのんで押し潰そうというのか。それだけの兵力差は、確かにある。魚鱗のような陣形で、じわじわと距離を詰めてくる。
 フリオニールは、二十騎とともに前に出た。わずかではあるが、騎馬を確保していた。ゴードンとガイ、レイラも騎乗している。
「あたいが先頭に出るよ」
「魔法は、まだ遣えるのか?」
 レイラの方に馬を寄せ、ゴードンが訊いた。
「あと一回が限界だね。さすがに、しんどいよ」
「すまんな」
「ここを突破すれば、勝てるんだろ。早く酒が飲みたいね」
「よし、行くぞ」
 ゴードンの号令で、二十騎が縦列で動き出した。敵は、魚鱗を維持したままむかってくる。敵も、腹を括っていた。ここを突破するか、あるいは守備するかに、お互いの勝利は懸かっていると言っていい。
 敵の手前で左右に分かれ、反転した。魚鱗が少し揺らいだ。再びひとつとなり、今度は楔の隊形で敵にむかう。レイラが、敵のど真ん中に雷撃の魔法を放った。密集していただけあって、かなり効いた。十人ほどが黒焦げになり、さらに二十人近くがのたうちまわっている。それでも、敵の前進は止まらない。構わず突っこんだ。強烈な抵抗で、思ったほど前に進めない。それほど経たないうちに、半数近くが落馬させられた。後ろでは、歩兵同士がぶつかり合ったようだ。勢いではこちらが勝っているので、敵に呑みこまれることなく味方は続いてくる。どれだけの人数が突破できるかはわからないが、自分ひとりだけでも、城内に辿り着いてみせる。
 馬をやられた。倒れる前に、フリオニールは自分から跳んだ。着地すると同時にひとりの首を飛ばし、横から来た二人をまとめて薙ぎ倒した。ガイも、地上に降りていた。双斧が唸るたび、敵兵は肉片となり飛び散っていく。
 斬り進むうちに、返り血と汗で、視界がぼやけてきた。自分も傷は負っているだろうが、痛みや疲労は、ほとんど感じなかった。前へ。ただ、前へ。それ以外はなにも考えず、剣を遣い続けた。ゴードンたちの発する気合いが、時たまぼんやりと聞こえた。剣の重さを感じなくなり、頭の中が、真っ白になった。
 われに返った時には、敵の包囲をほとんど抜けていた。城内へ続く扉が、すぐそこに見える。
 雨は、すっかりあがったようだ。

 急に、疲労がこみあげてきた。いったい、どれだけの敵を斬っただろうか。剣がやけに重い。腕の感覚もあまりなく、銃で撃たれた右脚は、ふるえていた。
「もう少しで抜けるぞ。踏ん張れ」
 ゴードンの声がした。ガイとレイラのほかには、三、四人くらい付いてきていた。みんな、馬を失っている。後続がどうなっているかは、わからなかった。
「前進しているのは、俺たちだけか。後ろはどうなった、ゴードン?」
「円陣を組みながら、ゆっくり進んでいる。フィンの民が決起して、義勇兵も集まったようだ」
「そうか。どうやら俺は、意識がないまま、闘っていたようだ」
「見ているこちらが恐ろしくなるような闘いぶりだったぞ、フリオニール。おまえとガイの二人で、三百人以上は斬っている」
「敵さんの腰は、完全に引けてるよ」
 話しながらも、剣は遣っていた。数は多いが、敵兵の練度はそれほど高くない。だからこそ、ここまで斬り進めたのかもしれない。ミスリル製とはいえ、さすがに剣の切れ味は落ちていた。
 ガイは、左手の斧を失っていた。左側から来る剣は、手刀で叩き折っている。ヨーゼフから習った技だ。
「抜けたぞ」
 フリオニールが先頭で、城内へ飛びこんだ。
「行きなよ。あたいとガイで、足止めする」
「頼んだぞ、レイラ」
 入口にガイとレイラを残し、ゴードンと三人の兵とともに、奥にむかった。
「敵の司令官は、大広間にいるはずだ」
 駈けながら、ゴードンが言った。白い外套は、返り血で赤黒く染まっていた。緋色の具足も、どす黒く変色している。多分、自分も似たような状態だろう。
 ゴードンの先導で進んだ。当然ながら、フィン城へ入ったのもこれがはじめてだ。
 三階に上がったところで、敵の伝令と遭遇し、味方のひとりが斬り捨てた。
 フリオニールは、限界を感じていた。躰全体が、鉛のように重いのだ。中庭での戦闘では、一度限界を超えた。もう一度意識が飛ぶような闘いをすれば、燃え尽きて死ぬだろう。敵の司令官さえ仕留めれば、この闘いは終わる。あと少し。気力をふり絞り、両脚に力を籠めた。
 四階まで駈け上がり、大広間に飛びこんだ。両脇に兵を侍らせ、でっぷりと肥った男が、床机に腰を降ろしていた。あれが司令官か。確か、ゴートスという名だ。
「馬鹿な。三千を抜けてきただと。片付けろ」
 立ちあがりながら、ゴートスが濁声で叫んだ。二十ほどの敵兵が、押し包むように前進してくる。
「雑魚は引き受けた。ゴードン、豚は任せたぞ」
「わかった」
 にやりと笑って、ゴードンが駈け出した。返り血で染まった外套が靡く。二名がゴードンの両脇につき、フリオニールともう一名は、その後ろについた。
 ぶつかった。雑魚とは言ったものの、敵の二十は、手練れが揃っていた。肩を浅く斬られた。のけ反りかけたまま、躰ごとぶつかるように斬った。腕が痺れ、あがらなくなってきている。両脇の二人が、ゴードンを庇って斃れた。フリオニールともうひとりが両脇につき、ゴードンの進路を拓いた。自分の呼吸音が、やけに大きく聞こえる。
 フリオニールが最後のひとりを斬ると同時に、ゴードンが跳躍した。ゴートスは、眼を見開き突っ立っている。剣が閃き、蝦蟇がまのようなゴートスの首が飛んだ。首を失っても、ゴートスの躰は立っていた。少し間があって、首があったところから大量の血が噴き出し、それからゴートスの肥った躰はゆっくり倒れた。見届けてから、フリオニールもその場に倒れこんだ。
「意外と元気そうだな、ゴードン」
「おまえとガイが、先頭で頑張ってくれたからな」
「すまんが、しばらく寝かせてくれ」
「大広間で寝る気か。まあいいだろう」
「ヒルダ様には、内緒にしといてくれ」
 言って、フリオニールは眼を閉じた。
 ゴードンが兵になにか命じたようだが、なにを言っているかはわからなかった。
 東の空が、明るくなってきている。それだけはわかった。

 眼が醒めた時には、陽が暮れかかっていた。
 いつの間にか、別の部屋の寝台に寝かされ、傷も手当てされていた。卓の上には、水差しと杯が置かれている。水差しにそのまま口をつけ飲むと、フリオニールは起き出した。
 城内では、兵たちが慌ただしく動いていた。
 道に迷いながら大広間に行くと、ゴードンが兵にあれこれと指示を出していた。
「起きたか、フリオニール」
「ゴードン、おまえ、ずっと休んでないのか?」
「もうすぐ、ヒルダ殿が湖を渡り上陸してくる。いろいろと、整えておく必要があるからな」
「総司令官は、忙しいな」
「ガイたちも、別室で休んでいる。腹が減っているなら、中庭で炊き出しをやっているぞ」
「そうだな。行ってみるよ」
 中庭に行くと、民による炊き出しが行われていた。血の痕は残っているものの、屍体はすっかり片付けられていた。兵から話を聞くと、集まった義勇兵や民たちでやったらしい。そういえば、城内には具足を着けていない者が多かった。投降してきた敵兵は、地下牢には収まりきらないので、手足を縛り監視をつけてあるようだ。
 中年の女から麺麭パンと汁物を受け取り、壁際に腰を降ろした。麺麭をちぎって、汁物に浸しながら食べた。塩が効いていて、うまかった。
 ちょうど食べ終わるころ、伝令が駈けこんで来た。どうやら、ヒルダたちが上陸し、馬車でこちらにむかっているらしい。
 到着した馬車を、城門の手前で出迎えた。ガイとマリアも、外に出てきている。兵たちの顔には疲労が色濃く出ているが、それでも隊形は整然としていた。
 ゴードンに手をとられ、ヒルダが馬車を降りた。もう片方の手で髪を抑えながら、眩しそうに城を見あげた。
「ついに、フィンを取り戻したのですね」
「ああ。われらの、本拠だ」
 ゴードンとヒルダが、並んで城を見あげた。フリオニールも、後ろをふり返った。正面奥の城塔には、野ばらの旗が翻っている。
「おお、ついにやったか。一年ぶりの、フィン城じゃ」
 スティーヴの声だ。馬車の後部で、ネリーに支えられ、上体だけを起こしている。
 容態が思わしくないとは聞いていたが、スティーヴの命の灯は、もうほとんど消えかかっていた。ヒルダの方を見た。眼が合って、ヒルダが頷いた。フリオニールは、ガイとマリアと三人で、馬車へ駈け寄った。
「フリオニールか。伝令が来るたび、おまえたちの活躍は聞いていた。ガイもマリアも、ほんとうによくやってくれた」
「らしくないですよ、スティーヴ殿。それよりも、城塔を見てください。旗、見えますか?」
「見えるとも。夕陽に染まって、綺麗じゃのう」
 笑ったスティーヴの両眼から、涙がこぼれ落ちた。命の灯が、消えていくのがわかった。
 笑みを浮かべたまま、眠るようにスティーヴは息を引き取った。ネリーは、嗚咽おえつを懸命に噛み殺している。
「弔旗を」
 ヒルダが言うと、ゴードンが頷き、城塔にいる兵に命令した。一旦野ばらの旗は降ろされ、黒い弔旗とともに、再び掲揚された。
「全員、作業の手を止めよ。これより、黙祷する」
 ゴードンの号令で、城内にいる全員が旗に正対し、黙祷した。
 フリオニールは、死んだ仲間たちの名前を、ひとりずつ思い出していった。

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