なぜ給食は『マズイ』のか?大人になればわかるその答えは『赤い彗星』が教えてくれた?
なぜ給食は『マズイ』のか?
あなたはこの問いに答えることができますか?
一つの答えは
『自分がつくった料理ではないから』だ。
『自分がつくった料理』と
『他人がつくった料理』は違う。
栄養バランスを考えられた給食や
母親がつくる毎日の食事
外食で食べるさまざまな料理
それらを『当たり前』に
消費しているあなたに送ります。
どうぞ最後までお読みください。
※今回は小学生の私に戻ってお話しますので、少し表現が荒々しくなります。
気に入らない人は読まないでください笑
小学生の時、
給食を「マズイ」というクラスメイトがいた。
おそらくどこの学校にもいるだろう。
僕はこのクラスメイトに対して
『だっせぇやつだなー』
と思っていた。
小学生ながらに僕がこのように思っていたのにはわけがある。
それは僕の母親が給食のおばちゃんだったからだ。
自分の母親を擁護するわけでは無いが
自分で料理をつくろうともしない、
ましてやつくったこともないようなガキが
人の母親たち(他の給食のおばちゃんも)が作った料理に対して
『自分の口に合わない』=『マズイ!』
と表現することに対して
『だっせぇやつだなー』と思っていた。
少し考えてみれば、
給食が口に合わないのは当然なのである。
クラスに30人、学年に60人、全体で300人ほど(小学校の場合)
いる人間に対し年間200日ほど(だいたいの授業日数)
作り続け、必要な栄養バランスを考え
家で食べるいわゆる親の味(慣れ親しんだ味)でもなく、自分の好き嫌いも反映されていない給食が毎日美味い(口に合う)わけがない。
しかしその給食は
『マズイ』のではなく、
『お前の口に合わないだけ』
なのだ。
そして基本的に食べ物に対して
「マズイ!」という人は
美味しそうに食べてる人を否定したり、
「こんなもの食えるか!」なんて大袈裟に言って周りの同調を得ようとしたりする。
そして『給食はマズイ』という流れができたりするのだ。
口に合わないのなら、黙って口に合わないことを受け入れ、我慢して食べるか、食べるのが無理なら他の誰かに譲ればいい。
それも無理なら悲しいがフードロスになるだろう。
もちろん
小学生のころの僕がこういうやつに対して
『だっせぇやつだなー』と思うだけでなく、
『おまえだっせぇやつだなー!』と口に出して
喧嘩になっていたのは言うまでもないが
それはまたの機会にしよう。
僕は料理が好きだ。
自宅でも料理担当は僕だから
『腹減ったなー』と思ったら
自分が動くしかない。
自分が動くしかない上に、
材料の買い出しや
味の調整、調理を行い、
やっと料理が食卓に並ぶ。
自分で料理をするからこそ
『頑張って自分で生きようとしてるなー』
という生の実感のようなものを
感じることができる。
それと同時に毎日給食+家の食事をつくって
くれていた母親には感謝しかない。
本当に感謝しかないのだ。
クラスメイトと同じように
『だっせぇやつ』だったころの自分は
なんなら家の食事にも、
「マズイ!」「もういらない!」
とか言ったこともあるだろう。
それでも母親は高校を卒業するまでずっと食事を作り続けてくれた。
だっせぇクラスメイトや過去のだっせぇ僕が
バカにしている食事は
『料理して僕たちを生かしてくれている誰か』がつくってくれているのだ。
外食やウーバーイーツなどが当たり前の世の中で毎日食事できることに感謝している人が
どれだけいるだろうか。
『いただきます!』と手を合わせている人を見ると僕は『できるやつだ!』と思うが、
すべてを残すことなく食べた後に
『ごちそうさまでした!』と手を合わせるところまで一貫してできる人を見ると
『人間は捨てたものではない。』と思う。
僕は宗教はよくわからない。
しかし、毎日食べるそのものに、
つくってくれているその人に
感謝することは人間が人間たる
『本質』のようなものを感じる。
たまに僕が食事をつくる気が起きないとき、
妻はそれを察して食事をつくってくれる。
それは普段僕がつくっている料理を
『当たり前だ』と思っていない証拠だと思う。
そしてたまにつくる妻の料理は美味しい。
自分とは違う味というか、つくってくれていることに対する感謝の気持ちが美味さを倍増させているのかもしれない。
妻は自分のつくった料理に不満げだが、
僕にとってはいつも美味しい。
それが『他人の料理を食べること』なんだと思う。
外食や人に料理を作ってもらうことに
慣れたみなさん。
フードロスは当たり前じゃないよ。
あなたが捨てたマズイ(口に合わない)料理を
食べたくても食べられない人もいる。
誰かに料理をつくってもらうということは
誰かに生かしてもらっているということだ。
だっせぇやつになるな。
だっせぇ大人になるな。
他人がつくる料理がマズイなら自分で作ればいい。
給食がマズイならそれを親に伝えて、
弁当を持参するよう頼めばいい。
たまには料理担当を交代して自分で料理を
してみてください。
普段出てくるのが、『当たり前』の料理に感謝することができるかもしれません。
男も料理をするのが『当たり前』の時代
を生きる一人の男より。
※表現が荒々しいのにはご容赦願います笑
(小学生のころの気持ちを表現してます)
P.S.
ネットの動画で
『なぜ日本人は外食で美味しくないものに当たった時、無理して食べるのか?
どうせ食べるなら、美味しくないものは残して、美味しいものを食べればいいのに!』
というような海外の方の意見を目にしました。
一理あるなと思う反面、少し安心しました。
お金を払ってまで『マズイ』料理を食べるのはおかしい。というこの意見には一理あるが、
この文章を読んだあなたなら私がこの方に言いたい言葉がわかるだろうか?
「だっせぇやつだな」 です。
※同上
その理由は
『食に対する感謝の気持ちを持ってるから』
だよ。
そして勘違いされては困るので
『なぜ給食はマズイのか?』の回答は
『マズイのではない、
お前の口に合わないだけだ。』です。
言い換えれば
『坊やだからさ。』
※本当にマズイ場合もあるかもしれません。
人間はたまには失敗する生き物です。
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