晩夏の宵、おわらの夢が見たい。
今年も「おわら風の盆」が終わりました。
この祭りに魅了されて以来、毎年8月末から9月頭は、狂ったように毎晩富山へ通うのが恒例です。
今年も、前夜祭11日間、本祭3日間。それはまるで、靄の中に浮かび上がる夢のような2週間でした。
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おわら風の盆の舞台は、富山市八尾という小さな町。
積み上げられた石垣の上に町家が連なる、風情ある宿場町です。
この時期、八尾は一帯を「おわら」の空気に包まれます。
情緒、静寂、哀愁、妖艶、哀調、気品、優雅、叙情…
多くの人が、おわらの空気感をあらゆる日本語を駆使して表現します。
たしかにどれも、まさにそんな感じ。
でも、いずれも完全に的確ではないのです。
組み合わせたとて、あの空気感を言語化するには足りない。
それは特別な空気、まるで別世界。
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3年前、初めて諏訪町の町流しを見たとき、身震いするほどの感動をおぼえました。
橙黄色のぼんぼりが立ち並ぶ石畳、その両脇に連なる格子戸の古い町家。
決して広くはない道幅の、ゆるやかな路地に沿って、観光客が隙間なく場所取りをしています。
残暑の夜。
体に張り付くじんわりとした湿り気を、吹き始めたばかりの秋風がかすめとっていきます。
ピンと張りつめた空気の中、かすかに鼓膜を揺らす三味線の音。
踊り子たちが近づくにつれ、ざわついた雰囲気は吸い取られるように消えていきました。
三味線の音に重なるのは、琴線に触れるような胡弓のビブラート。
そこに、おわら節のゆったりとした歌声が流れ落ちてきます。
そろいの浴衣に、深くかぶった編み笠。笠から覗くのは、口元だけ。
しなやかで凛々しく、艶やかで品のある舞は、まるで秋風に踊る花びらのようです。
ぴんと伸びた指先に、流れるような腰つき。
そして、ときおり強く袖をはためかせ、静止してそろう一瞬。
惹き込まれるように、陶酔。感じたことのない美しさでした。
何百もの観衆がいることを忘れるほどの、強く儚い別世界が、そこにありました。
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「おわら」を知るきっかけは、2006年に観た映画「愛の流刑地」でした。
菊治は、八尾の出身である冬香のしなやかな佇まいに、いつか見た「おわら」の踊り子の仕草をフラッシュバックさせます。
そして二人は禁断の恋へ…という大人のラブストーリー。
「見てはいけないものを見ている」。
トヨエツと寺島しのぶの大人の情事に、目が離せない高揚感と、究極の愛が行き着くやるせなさを感じたものです。
おわらを題材にした漫画「月影ベイベ」(小玉ユキ)にも、許されざる恋の描写が登場します。
同じく、高橋 治著の「風の盆恋歌」もまた、人目を忍ぶ恋の物語。
しっとりとした大人の雰囲気が、そうさせるのでしょうか。
編み笠の下、表情の見えない踊り子たちに、自らでは体現し得ない幻想を重ねてしまうのかもしれません。
おわらの踊り子たちは、25歳までの未婚の男女とされています。
踊りが終わり、編み笠を脱げば、天真爛漫な若者らしい笑顔。
そんなギャップにも心を奪われるのです。
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今年は、思い入れのある諏訪町で、月夜の踊りを見ることができました。
本祭3日目、おわら風の盆最終日の夜。
始まる前には、空に立ち込めた雲から雨粒が落ちないか心配していました。
雨が降ると、踊りながら町を歩く町流しは中止になってしまうのです。
しかし、心配をよそに月は雲間から町を照らし、次第に美しい星空までも。
それはそれは、美しい月夜となりました。
流し踊りが終わる前、こんな囃子が唄われます。
しょまいかいね しょまいかいね
いっぷく しょまいかいね
いっぷく してから
それからまた やろまいかいね
さて、ひと休みしましょうか。
ふわっと魔法がとけるような、あたたかい囃子に甘えて。
おわら風の盆は、また1年後。
坂の上の別世界は、2週間しか現れないのです。
少し長めに一服して、また来年、会いに行く日を楽しみに待つことにしましょう。
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