『T.』の謎。「利兵衛の直系江南信國氏」 Mystery of ‘T.’ ‘Enami Nobukuni family directly descended from Rihee’. #日本ステレオ伝 010
江南信國の出生が分かった。『日本袋物史』という本にこのように書かれている。
丸利の出したる斯界の名家
「時勢には不可思議な又不可抗な一の力があります。栄枯盛衰は人々の予測のできぬ所のものであります。流石に繁栄を極めました丸利も時勢の変遷の爲め遂に明治7年閉店いたしまし。然し(しかし)其丸利の形態上の店は假令(たとえ)閉ぢましたものにしましてもその丸利風と云うものは遺存して後世に大なる盆(ぼに)を與えて居ります。尤も(もっとも)利兵衛の直系江南信国氏は目下横浜弁天通り1丁目に写真業を開き家名を挙げて居るそうであります。 また、丸利製品の特徴を継承している家々も多く存在しています。」
『日本袋物史』井戸文人著 1919年「丸利 江南利兵衛の全盛 小菅孝次郎氏談」( 639頁)より
ここで語られている「利兵衛の直系江南信国氏」の利兵衛とは袋物商『丸利』(まるり)の三代目の主人である江南利兵衛(えなみ りへえ)です。
『丸利』は江戸時代後期に開業し文化文政期に全盛を迎え、1874年明治7年まで日本橋で営業していた、その当時日本で最も高名な袋物商でした。その丸利の主人である利兵衛の息子、もしくは、孫である事を示すのが「直系江南信國氏」です。
また、この談話は『丸利』で1962年から1874年(閉業)まで働き、その後1876年に暖簾分けされた『丸孝』で大成功をおさめた小菅孝次郎(1851年生)によって語られものです。
当時を知るものでしか語り得ない、謎に包まれていた江南信國T.ENAMIの出生に関する決定的な証言となっています。
ここから先は間接的な情報を掬い上げつつ考察した私の推測となります。
丸利の閉業は1974年明治7年。閉業時、信國は1959年生まれなので15才です。また、利兵衛はこの時点ですでに老境に達していたようです。
「河内山の読釋に出て来る『丸利」といふ老舗がありますが、その家の當時の主人は江南利兵衛と云ひましたが、店をつぶして、淺草公園の丸泉といふ藝者屋にごろごろしてゐました。丸泉は妾だつたのです。そこでこの丸利さんが、奇用から小細工や彫物をこしらへてゐた。根岸の木の實庵のさんしょなどを入れる人れものは、丸利老人が始めたのです。」
『芸天』 芸天社1924–10
そして相見香雨 の「是真点描」によれば
「さてもとへ戻って、原本の彦根屏風に就いて、或古老 の説によれば、幕末の頃江戶隨一と呼ばれて有名な嚢物商、浮世小路の丸利の娘のスミといふが、店の者の江南新次郎といふと結婚して、米澤町に店を持つて丸新と稱した。その婚禮の席に彦根屏風を立てられたのを見た人があつたといふことである。それは或は是真が寫した屏風ではなかったかと思はれる。」
とあります。
利兵衛と信國の年齢を考えると利兵衛の息子ではなく、スミの息子、利兵衛の孫の可能性が高いと思われます。
そして「利兵衛の直系江南信國氏」という小菅孝次郎の証言は、丸利が存続していれば利兵衛の跡を継いでいたはずの江南信國氏というニュアンスが感じとることができると思います。跡を継ぐということは信國が利兵衛という名跡を襲名するということです。
『丸利』(まるり)の「利」(り)は、1、2代目の名が利助(りすけ)、3代目が利兵衛(りへえ)である事で分かるように、名前の「利」から由来しています。
そして「利」の訓読みは「とし」(Toshi)です。利兵衛が身内や仲間たちが愛称として「とし」(Toshi)を何らかのかたちで使っていたとすれば…未だに大きな謎となっている江南写真店の外国人観光客、海外向けブランド名T.ENAMIのTは「利」の訓読み「とし」のTを使用した可能性は無きにしも非ずとなります。
利兵衛の直系で『丸利』の跡継ぎであったはずの江南信國がT(Toshi)を名乗ることで『丸利』栄光の歴史を継承しようとしたのかも…といったことです。
T.ENAMI江南信國の唯一無二のコレクターで研究者であるRob Oechsle さんは『T.』の謎についてこのように記述しています。
Q : 名前が信國なのに、なぜN.ENAMIと名乗らなかったのですか?
A : 江南はN.をT.に置き換えて写真家の屋号を作った。 これは、作家のサミュエル・クレメンズが、今では有名なペンネームのマーク・トウェインを名乗ったのに比べれば、はるかに思い切った変更ではない!
江南はなぜTを選んだのか?
現在のベストアンサー : T.はニックネームのToshiを表しているのかもしれない。 江南の実の孫も、T.について確信が持てなかったが、同じ可能性に同意した。 いずれにせよ、トシが最有力であることに変わりはないが、確かなことは誰にもわからない。 (2010年12月付けの自身のサイトT-Enamiorg(現在は未公開) のQ&Aコーナーより
江南信國は江南利兵衛の直系の親族であることはほぼ間違えのないことだと思いますが『T.』の謎については、現在確認されている資料や証言だけでは、Robさんが書かれているように「確かなことは誰にもわからない」というのが現状です。
参考
丸利を暖簾分けされた分家で主人の名前由来の商号とした店は今も銀座7丁目に現存する丸嘉ビルを建てた斉藤嘉助(さいとう かすけ)の『丸嘉』、斉藤忠七の『丸忠』、小菅孝次郎(こすげ こうじろう)の『丸孝』、江南新次郎(えなみ しんじろう)の『丸新』がある。
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