ママさんバレーボールに素足で参加する青年
毎週木曜日の夜7時に小学校の体育館で行われるママさんバレーボールの練習に参加することになった。この日は初参加で、僕は緊張していた。ママさんバレーボールといえば、既婚女性だけが参加できるものと思っていたが、アルバイト先の職場に出入りしている保険の営業の女性から誘われたのだ。彼女は小林美由紀さんという40歳のシングルマザーで、ママさんバレーボールの副キャプテンを務めていた。サバサバした性格で、明るい茶髪に濃いめのメイク。年齢のわりに短めのスカート。ナチュラルストッキングが似合うすらりと引き締まった脚に、よく磨きこまれた黒光りするハイヒールを履いてかつかつ音を鳴らしながら闊歩していた。
僕は二つ返事で「行きます!」と言ったが、夕方、アルバイトが終わり家に帰ってから、ママさんバレーボールの練習に参加するための支度をしながら、緊張で心臓がばくばくした。服装は上下とも高校のときの体操着のジャージに「素足」である。僕は、体育館で履くためのシューズを持っていなかった。30歳にもなれば普通、体育館シューズの一つや二つ持っていそうなものだが、僕は空手をやっていたので、体育館では常に素足だった。だから空手の動作である摺り足によって、素足と板張りに摩擦が生じ、足裏は鍛えられて厚くなっていたし、何より素足の足裏の感触が好きだった。できれば素足で参加したい。しかし、バレーボールはシューズを履いてするスポーツだから、素足ではまずいのではないか。僕はここまできたら心を決めて素足で参加しようとも思ったが、せっかく行ったのに参加を断られたらどうしようと悩んだ。そんなことになったら、せっかく誘ってくれた美由紀さんの顔に泥を塗ることになる。僕は早めに体育館に行き、美由紀さんに事情を話すことにした。校舎から渡り廊下でつながっている体育館は、外側から入れる玄関があった。そこで10年以上履いている古くてぼろぼろのスニーカーを脱ぎ、蒸れた素足ですのこに上がった。木目と砂粒のざらざらした感じが足裏に心地よかった。体育館の中はまだ薄暗く、高い天井のたくさんある電灯の一部が付き始めたばかりのようだ。ステージのところにうずくまる女性の影があった。白いハイソックスに黒いサポーターを履いた美由紀さんが、シューズの紐を固く結んでいるところだった。僕は素足でぺたぺた歩いて美由紀さんに近づき、大きな声で挨拶した。
「今日はよろしくお願いします!」
美由紀さんは顔を上げて、僕を見て嬉しそうに言った。
「よかったあ!来てくれたんだー。まだ誰も来てないけど、そのへん適当に荷物置いていいから、」
と美由紀さんは言いながら、ふと僕の足下に目を留めた。
「あれ、裸足?シューズ忘れたの?」
「すみません!自分、シューズを持っていなくて。あの…素足で参加してもいいですか?」
「えー!!裸足でバレーボールやるってこと!?」
武道を嗜んでいる僕としては、「裸足」よりも「素足」と言うのを好む。漢字も語感も、何となくなまめかしく、恥じらいを感じさせる。「裸足」はどちらかというと粗野でわんぱくな泥だらけの子供っぽいイメージだが、「素足」はいかにも無防備で、爪先や足裏から汗が染み出てぬめり、歩くとぺたぺた音がしそうで、鼻を近づければ酸っぱかったり、じわじわ匂い立つようなところがある。だが、裸足と素足の違いなんて、美由紀さんにはどうでもいいことだ。
「はい、裸足でやらせていただければと思います」
「うーん、どうしようかなあ。足、何センチ?私の男友達に貸してくれる人がいるか今から聞いてみよっか」
「いえ!そこまでしていただかなくて結構です。自分、空手やってて体育館での素足に慣れているんで。素足の方が動きやすいし、しっくりくるんですよ」
「ふーん、そうなんだあ。でも、裸足だと踏まれるよ。ほら、私たち、みんなシューズ履いてるから」
美由紀さんはそう言って、バレーボール専用シューズを履いた足で、僕の素足を踏む真似をした。美由紀さんのバレーボールシューズは踵が高く、底は厚くて滑り止めの突起の形状がエグかった。こんなので素足を踏まれたらと思うとゾッとしたが、興奮した。
そうこうしているうちに、他のメンバーのママさんが続々とやってきた。既にシューズとハイソックスを履いて完全武装しているママさんもいれば、ハイソックスだけ履いて、あるいは素足で、お世辞にもきれいに掃除されているとはいえない体育館を歩いてくるママさんも少なからずいた。また、職場では事務系のママさんなのだろう、会社の制服に黒ストッキングを履いたまま、スポーツバッグとシューズを手に提げて来たママさんもいた。僕は自分が素足のくせに、ママさんたちの白いソックスや素足の裏が汚れてしまうのが気になって仕方なかった。
「こんばんは!○○と申します。美由紀さんから紹介され、今日から皆さんの練習に参加させていただきます。よろしくお願いします!」
僕は来たママさん一人一人に頭を下げて挨拶した。年上の女性たちに気に入られるには、最初が肝心であることを心得ていたのだ。しかし、ママさんたちはすぐに僕の服装の異常に気づき、指摘した。
「あら、なんで裸足?」
「ほんとだー。シューズ忘れたの?」
「ええと、あの元々シューズ持っていなくてですね。でも、大丈夫です!自分、空手やってて、素足、鍛えているんで」
僕はその証拠にと、右足を持ち上げ、足裏をママさんたちに見えるように晒した。元々家からここに来るまでの間、外では素足で古いスニーカーを履いて蒸れていたこともあり、足裏は体育館の埃が吸着して薄汚れていた。しかし、我ながら、土踏まずがしっかり発達し、空手の厳しい稽古で何度も剥けた皮が厚みを帯びていてたくましい足裏だと思った。
「空手だって。つよーい。でも、私たちのシューズの裏、すごいことになってるけど。踏まれたら絶対、痛いよ」
「私デブだがら、裸足を踏んだら怪我させる自信ある(笑)あはは」
「自分、学校の体育でも素足でバスケやバレーボールやってたんで、よくシューズで踏まれましたけど、全然平気でした。踏まれても自業自得なんで、気にしないでください」
「そう?じゃあ、踏んだらごめんね」
僕は胸を撫で下ろした。やったぞ!素足でバレーボールに参加できるなんて夢のようだ。まさか大人になって、学生時代のように、足裏に伝わる体育館の床の感触をたしかめられる日が来るとは思わなかった。なんという運命のいたずらだろう。僕はずっと素足でいるのが好きだった。よし!思いきり素足で体育館を駆け回り、足裏の皮が摩擦で擦り切れるまでママさんたちの打ったボールを追いかけるぞ!
ママさんバレーボールチームの練習は先ず、ウォームアップから始まった。皆で円をつくって時計回りに順に、「いっち、に、さん、し」と数えた。前屈のとき、僕は薄汚れた素足の裏をママさんたちに見せるような格好となり、恥ずかしかった。一方、ママさんたちは、凶器のようにエグい滑り止めのついた靴底を晒していた。無防備な素足の僕に対する当てつけのように思え、興奮した。
前屈はそれで終わらなかった。次に、右隣の人とペアになり、お互いに足裏をくっつけ、手を引き合うことで身体の筋を伸ばすのがあったのだ。僕はショートヘアのよく似合う30代のおっとりとした肉付きのよいママさんとペアになった。シューズはやはりゴツい。しかも真新しく、鋭く硬そうなゴムの溝のある靴底はまったくすり減っていない。これはヤバいと思った。いざ足裏をくっつけた状態で、彼女に腕を引っ張られたとき、僕の素足の裏には針で刺されたような痛みが走った。僕の様子に気づいたのか、そのママさんは心配そうな口調で言った。
「痛いですか?裸足ですものね…もしでしたら私、シューズを脱いでソックスだけになりましょうか?」
「いえ!そ、そんな!だ、大丈夫です!あの、ありがとうございます」
この展開…僕は現実に自分がそういうシチュエーションに出会えるとは思ってもみなかったので、頭が混乱して吃った。奇跡のようにありがたい申し出だが、さすがにこのママさんの白いソックスの裏を、薄汚い素足で汚してしまうわけにはいかない。それに、滑り止めのついた靴底を足裏に押しつけられるのも慣れてしまえばツボ押しのようで快感になった。ママさんの足は幅は広いが、シューズを履いた足は、僕の素足より小さかった。僕の爪先の足指がママさんのシューズの先からはみ出ている。僕は足指の股を広げ、くねくねさせた。
「すごい、空手やってると、そんなふうに足の指が開くんですね」
「ありがとうございます!これは空手というより、長年、素足で過ごしてきたせいです」
「靴や靴下は履かないと決めているんですか?」
「外では靴を履きますが、室内では常に素足です。学校でも上履きを履かず、素足で生活していました」
「え、学校で裸足?それ、先生に注意されなかったんですか?」
「小学校は6年間裸足でした。中学、高校も裸足で、最初は注意されましたが、ずっと裸足を貫いているうちに、何も言われなくなりましたね」
「へー、それは驚きました。強いですね。冬もですか?」
「もちろん、冬もです。雪が積もっても、裸足です」
「つよーい。私なんて、冷え性なんで、夏でも靴下は手放せません。冬は家の中でもタイツに靴下を重ね履きして、モコモコのルームシューズ履いてます」
「やめ!」
美由紀さんが号令をかけると、ママさんたちは立ち上がった。
「ありがとうございました」
前屈でペアだったママさんにお礼を言った。
「こちらこそありがとうございました。私、中野と言います。よろしくお願いします。これからみんなで用具室からコートの支柱やネット、ボールを出したりして設営作業をするんですよ。よかったら一緒にやりますか?あ、足、気をつけてくださいね。裸足ですから」
つづく