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まがいなりにも12年間続けてしまった野球。

こんばんは。

WBCもうすぐ始まりますね。
(野球の国際大会)

何者でもない私が
なんやかんや長く続いたこと。
続けてしまったことを紹介します。

野球です。

6歳から18歳まで続けました。

野球人生の後半は
なんとかベンチに入るレベルで
活躍全然してないのですが

こんな野球生活だったな
と言うのを振り返りたいなと思います。

「野球とサッカーどっちやる?」

僕が野球を始めたきっかけは、

6歳でした。

幼稚園から小学校に上がる時期。

母親に
「野球とサッカーどっちやる?」
と聞かれた事から始まりました。

何と答えたのかは覚えていませんが
野球をやることになりました。

地域の
軟式の野球クラブ。

最初のうちは
練習中
ふざけて歌ったり
変なフォームで
コーチを笑わせたり

そっちの方で
楽しんでいました。

「かずきはすげえなあ」

2年生に上がる頃に

新しいコーチが加わった。

下町根性熱血の人。

私は子供の頃
足が速かったりと
運動神経はそれなりにあって

「かずきはすげえなあ」

とよく褒めてもらった。

毎朝ランニングをしてた
時期もあった。

毎朝6時に起きて
ランニングをした後

コーチの家へ行って
練習。お酢を飲むのが
ルーティンだった。

野球にはピアノが効果的だと言われ
ピアノ教室にも通ったりした。

練習終わり
川に遊びに行ったり

接骨院に連れてって貰い
身体のケアをして酸素カプセルに入ったり。

エースナンバーを背負い
ピッチャーとしてプレーするようになった。

そのコーチのバックアップが
あった時の野球は
やり甲斐があったなあ

野球に対して
楽しみを感じていたと思う。

エースナンバーを背負って
何度もマウンドに立った。

6年生の最後の大会では
地区大会決勝戦。一点差をつけられて
負けた。

泣いた。

左打者への転向

地域の
公立中学校にそのまま上がった。

足がまあまあ早かったので

そこで監督に
左打者に転向するよう勧められた。

そのまま従い
僕は左打者になった。

イップス

地域でも強い中学校だったし
監督の指導にも熱があった。

しかしそれが
失敗しないようにしよう
失敗したらいけない。

と、消極的な気持ちに変わっていった。

野球をするのが怖くなっていた。

〝キャッチボールが 
ままならなくなっていた〟

高校野球

中学卒業して
もう野球はやらないだろうと思い。

陸上部の体験に行ったりしたけど。

甲子園って当時やっぱり輝いて見えて
高校野球をすることになった。

イップスが緩和された瞬間を覚えている。
進学した高校での体験練習の時

勇気を持って強めに投げた球が
相手の胸元ストライク。

少し自信がついた瞬間だった。

高校は転校したり。
ブランクはありながら
転校先の高校で引退するまで
野球は続けた。

12年間野球を続けて今思うこと。


当時も今も。
野球中継もほとんど見ない。

野球が特別好きかと言われたら
そういうわけではない。

第一、球技が苦手だし。

中々思うように楽しめない時期も長かった。

けれど
一つの競技を12年間続けたという事実はある。

チームを引っ張る時期もあった。
ベンチを温める時期もあった。

笑って泣いて、泣いて泣いて泣いてきた。

人との関わりにおける不安が
競技の中に表れた。

濃さではないけど長さというのは
そんな価値があるのかな


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