ハコベルで最初の思い出にすると決めた「みんなで夢を叶える日」。その夢を追ういまを全力でまっとうする!
さまざまな年齢層やバックグラウンドを持つハコベルのメンバーにあって、とりわけその存在感ひとつで「この人がいてくれる頼もしさ」を提供してくれるのは三橋 正樹かもしれません。その理由には、業界経験30年のなかで三橋が大切にしてきた人との関係性・想いに基づく数々の経験があるのです。「ハコベルはまだまだの会社」と言い切る、その理由とは?
「東日本の関東地場はハコベルが強い」。その圧倒的な強みをつくってきた実績
—— 最初に、三橋さんは現在どのようなお仕事に携わっておいででしょうか。
一般貨物事業部の配車グループで、東日本エリアのリーダーを担当しています。売上はもちろん、受注率、粗利率等、すべてを管理しており、配車業務も見ています。関東発関東、関東発東北、関東発新潟といった3路線を私が管理しています。
東日本の関東地場と言われるところは、当社は一番強い、強みを発揮するエリアなんですよ。他の競合大手さんから見ても、ハコベルの関東地場は飛びぬけて強いはずです。ハコベルは軽貨物向けのマッチングでサービスを開始して、その後一般貨物に進出していったように、Webマッチングの歴史が長いです。その積み重ねがあり、ずっとついてきてくださる運送会社さんもなかにはいらっしゃいますからね。こうした背景があるわけです。
—— 三橋さんはリーダーでいらっしゃるので、配車業務はご自身ではなく部下の皆さんが実行しているのですよね。
そうです。あとはもう「見る」って感じです。Webマッチングといっても、荷物の種類が難しかったり日程が難しいとなかなかWebだけではマッチングしないものもあります。そういったものに関しては裏でまわってマッチングさせるとか、お客様と交渉して条件を緩めていただくとか。そうしたなかなかマッチングしないものをどう成立させるか?と言ったら、カンでしかないので…。これまで30年ほどこの仕事をしていますから、やっぱり関係性ができた運送会社さんはどうしても配車マン個人についてきてくれるというところがあります。ですから、私が仲良いところに別の誰かが電話をしても、たとえ空いていたとしても、車両を出してもらえないものなんです。
もう関係性ありきというのは仕方がないところですので、チームのみんなもそれは多分自覚しているんですよ。「自分の仲の良いところをつくっていきなさいよ」というふうに体制づくりを進めています。配車を始めたら最初にまずわかることですから、そこはみんな実行していると思います。
実運送での配車業務で磨かれた力。物流業務をトータルに経験することに徹する
—— 自分が開拓して育て、それを人に譲ることができないというのはかなり厳しいものですね。さて、先ほど「業界経験30年」とのこと。ハコベル入社前のご経験をお聞かせください。
ハコベル入社前は実運送事業者に16年、そこからステップアップで商社系ロジスティクス企業へ転職し8年勤務しました。そのあとがハコベルです。実運送では当初運転手で入社しまして、「日本全国に行きたい」と思って長距離トラックの運転をしていました。その後は会社の意向で配車、営業へと異動。配車マンって、なかなか続かないんですよ。仕事量が膨大なことに加えて、プレッシャーも大きいですから。
配車業務について少し触れますと、ハコベルは利用運送事業者ですが、「実運送事業者」と「利用運送事業者」とで、配車業務もまったくの別物なんですよ。ハコベルも最初のころは、本当の意味で実運送経験者は私と瞬さんだけだったんじゃないかと思うんです。
要は30台の車両を実運送事業者さんがお持ちです。そうしたら30台の配車組みをしなくてはなりませんよね。となると、毎日仕事があるかというとそうでないこともある。それを仕事をもらいにいかなくてはならないですし、当然売上の管理もする必要がある、と。トラック1台の売上を設定しているので、それにコミットするように30台の配車組みを月曜から金曜までずっとしなくてはならないのです。ハコベルがやっているマッチングはまったく別物なので、はじめは戸惑いました。
—— なるほど、実運送での配車というのは車両あたりの設定売上額まで管理して仕事をつくり切るということなんですね。どれだけ積んだかがお金になる世界である、と。
話を経歴のことに戻すと、商社系ロジの会社に転身したのは、やはり倉庫業をやってみたかったというのがありました。倉庫、運輸をやれば、物流を全部覚えられる、コンプリートになると考えたのです。
そこではローテーションが徹底されていて、2年に1回、転勤になるんですよ。2年という期間は、種をまいて育てて、これから発展させようというタイミング。そこでセンターを異動になるんです。30代でしたから、2年間サイクルで各センターの立ち上げをすべてやってきたというのは、若かったこともあって楽しかったですね。ただ、どうしても月の残業が100時間を超過してしまう、そんなことがけっこうありました。だんだん自分としても疲れてきてしまったというのが本音としてありました。
もちろんいまは人も補充されたり、改善も進んではいるかと思いますが。ある意味では常態化してしまって業界的にやむを得ないという認識は有るんだろうと思います。
目標は高ければ高いほど楽しい。「物流の次を発明する」ことに懸けた想い
—— 物流業務をコンプリートし、第三の挑戦の場としてハコベルをお選びになった理由は?
「物流の “次” を発明する」というミッション。正直これで一番最初に選びました。「別に受からなくてもいいや」と、ダメ元で選考に臨みました。当時まだラクスルの事業部だった頃ですね。そのときに瞬さんが最初の面接担当者で、次がいまは退社している当時のマネージャーのかたでした。私このお二人だけなんですよ、面接していただいたのは。
そのマネージャーのかたといろいろお話をして、さらに瞬さんの「物流を変えたい」という熱い想いも聞いて、「一緒にやりましょう」という話になりました。その日、面接1回しかしていなくて、そのときに仕事内容や条件面などすべて提示されてその場でサインしたという。現在ではこうした選考はもうあり得ないですが、1日で選考から内定まで出てしまいましたね。立ち上げ当初で、どうしても経験者が必要だったのだろうと思っています。
また、「ラクスル」社の看板も魅力に感じました。ITというかベンチャー。ベンチャーで物流をやろうとするその面白さです。どういうことをやるんだろう、どういうことを目指しているんだろう、というのが気になったんです。そして、面接のときにそれらのことを直接聞くことができたわけです。こういうことが解決されて、こんな世界になるよ、というのはやっぱり夢があるなと感じましたね。
—— そうした、ベンチャーが目指す新たな世界線ということに強く共感なさったわけですが、ハコベルの高い目標をリーダーとしてやり切っていくことにはどんな感想がありますか。
目標は、高ければ高いほど楽しいというのは、正直あります。そりゃつらいですよ?それはつらいですもちろん。けっこう狭間CEOは達成できないような目標を掲げますから。ですが、狭間CEOも経験した上での発信なんだといつも思っているので、有限実行が必須なんですよ。と言いつつ、期待に応えられない私たちも現実にあったりするんですけれど。
でもまあ、目標が低ければ楽しくないじゃないですか。そんな誰でも達成できるような目標だったら。
だって何十兆円と言われる世界ですよ。「物流の “次” のを発明する」と掲げているんだから小さい目標に向かっている場合ではないと思いますね。
大切にしているのは「義理人情」。人との関係性のなかでプロの仕事をする
—— 三橋さんが仕事をするうえで特に大切にしていることはなんですか。
運送会社さんには義理人情ですね。そこだけは忘れないようにしています。ただそのことのみです。あと、最終的には忍耐。最後は忍耐です、耐えること。
たとえばですが、いただいているお仕事のなかには現場でいろいろな問題が発生しますよね。コミュニケーションの漏れもあればトラブルも起きてしまう。ハコベルという会社は1歩ずつ進歩、階段を昇っていっている会社なので、いまは忍耐が必要。ハコベルが大きくなっていけばもっとなめらかに取引や仕事が進んでいくと思います。そこまでは耐えるとき。
義理人情には「ここからここまで」という線引きがないものです。要は、私たちはトラックを所有していませんから、本当に忙しいときに助けてもらったという事実って、関係性がないとできないことです。それに対して御礼の電話とか、閑散期に挨拶訪問を欠かさないとか、個人的な礼節を大切にしています。物流の仕事が嫌いだったら多分、こういうこともやっていないでしょうね(笑)。
—— ハコベルに入ってから、忘れられない出来事や体験はどういったことでしょうか。
まだないです、ハコベルでは。まだまだふり返るタイミングではないので、それは「これから」起きることなんだと思っています。
過去の経験でいうと商社系ロジ企業で、グローバル展開している有名なスポーツアパレルメーカーが日本参入したてのとき。そのメーカーの入出荷を一手に引き受けていたんですね。そのころ東日本大震災が起きたあとに、東北に自社倉庫をメーカーがつくることになりました。その立ち上げを担当したんです。
要はそのロジ会社のノウハウをメーカー側に教える、引きつぐということで1年ほど私も現地に行って、一緒に立ち上げをしたんですがそれが一番思い出深いことでした。
まずそういった倉庫の立ち上げが初めての経験でしたし、自分の所属企業の社員に教えるんだったらまだわかるんですが、メーカーサイドのまったくの素人の若手を集めた方々に1から始めたので、楽しかったんですよね。もちろん、そのときの皆さんとはいまもつながっています。
ハコベルは「まだまだだけど夢のある会社」。ベンチャーのダイナミズムを全力で体感
—— なんだか目に浮かぶようです。では、ハコベルを人に紹介するとしたら、どんな会社と言いますか。
「まだまだだけど、夢はある会社だよ」。具体的にはまだ基盤づくりの最中で、いろんな部分がありますけれど。まだまだだけど、それでも本当に夢がある会社だと、私自身はすごく思っています。狭間さんと飲みに行ったときに言われた言葉で、一番残っていることがありまして。「そう遠くない未来にみんなで目標を達成しよう」って、そういわれたんです。だから、さっきの質問の「ハコベルでもっとも忘れられない出来事」というのは、みんなの夢が実現された、この先の未来に起きることであるべきなので、まだなんですよ。これを一番最初の思い出にしたい。
手の届かない夢ではないから、すごく刺激的なタイミングなんです、いま。
ハコベルの良いところとして、上下関係がないということがあります。悪いところはそりゃ、いっぱいあるんじゃないですか(笑)。ですがだからいまは土台づくりをしっかりする時期であるということで、みんなに忘れないで欲しいのですが「私たち、ベンチャー企業だよ」ということ。
入社して毎年バンバン給料があがるような大企業ではないですから、一緒に夢に向かっていく段階。うちに入ったら、夢を一緒に追いかけながらスキルアップできます。ベンチャーのなかでも物流のベンチャーですから、特殊なんですよ。なかなか数だって少ないわけですし、ひと山ふた山も越えたラクスル社のベンチャーというイメージをして入社するかたも多いでしょうけれど。
—— ベンチャーのいまのフェーズでしか追いかけられない夢がある、ということでしょうか。では最後、これからどんなことを実現していきたいですか。
ひと言。みんなで夢を実現する。それだけです。