なんで呪術廻戦が好きなのか考える


 ジャンプの人気漫画、芥見下々先生作の「呪術廻戦」。
 人々が感じる恐れ、不安、後悔などの負の感情から生まれる呪い(化け物や呪霊)。
 その呪いによって持たらされる奇奇怪怪な出来事から人々を守るため、呪術を使って呪いを祓う呪術師たちの物語です。

 3年前、アニメ放送が始まってから、私は、まんまとこの作品のファンになりました。

 そう、多くの女子たちと同じく、領域展開キラキラ五条を目撃してしまったからです。

 領域展開とは、呪術廻戦においての必殺技みたいなもので、作品内、現代最強の呪術師、五条悟がそれを繰り出す瞬間、彼がいつもしている目隠しが外され、現れた"六眼"(りくがん)と呼ばれるキラキラの瞳と超イケメンのお顔。あれで心を掴まれない女子がいるんだろうかと思うほど、カッコよすぎる演出に、完全にやられてしまいました。

 キッカケは、何とも浅はか。

 幼い頃、幽遊白書の蔵馬が好きだったように、そしてスラムダンクの流川が好きだったように、こと2次元においては、天才、最強などと呼ばれるイケメンが好きという単純な私です。

 加えて、時期を同じくしてファンになったのがYouTubeの「わしゃがな TV」。

 声優の中村悠一さんと、フリーライターのマフィア梶田さん、漫画家の大川ぶくぶさんが出演されているYouTubeチャンネルなのですが、私は世代的にもちょうど3人の真ん中辺りなので、ゲームやアニメ、漫画やおもちゃなどのお話がとても楽しくて、今も毎週更新されるのを楽しみに視聴しています。

 この中村悠一さんこそ、"五条悟"を演じられている声優さんで、それぞれ別々に自分のアンテナに引っかかってきたものが、結び付いたという感動も加わって、アニメ1期が終わると同時にコミックを全巻購入し、今も継続して追いかけています。

 そんな私なので、もちろんSpotifyで配信されているPodcast番組「呪術廻戦 じゅじゅとーく」のリスナーでもあり、今回のアニメ2期の放送に合わせて配信された番組も嬉々として聞いていました。

 そんな時、「じゅじゅとーくニキ」第9回の中で、中村悠一さんが、こんなことをお話しされていました。

 「考えることが好き」なので、一緒に出演している声優さんがどう演じるのか、監督がどんな演出をかけるかで、「感じたことを言葉に置き換えたい。データとして出力できる形にして飲み込みたいんだよね」と。

 これは、声優として役を演じる上で、どんなことを大事にしているかという話の中でお話しされていたことで、中村さんの仕事の矜持のようなものを聞けたとても良い回だったのですが、この話を聞いて改めて「なんか好き」と、ぼんやり思っていた呪術廻戦について、「なんで好き」なのか、2期のアニメを見ながら私も考えて文章にしてみようと思うに至ったのです。

 2期の始まりは、懐玉・玉折編。
 五条と夏油(げとう)の若かりし高専時代の話でした。
 なぜ五条が五条となり得たのか、そして夏油は、なぜ別の道へと足を踏み入れることになったのか。その辺りが、アニメの解釈も入って丁寧に語られていました。   

 呪術師として覚醒し最強となっていく五条と、呪術師として生きることに憤りを感じる夏油。

 人を守るために、呪いを祓う。
 だけど、その呪いを生むのは人。

 終わりのない戦いに、あるべき未来とは何か。悩み抜いた末に、2人は道を分かつことになってしまいます。

 私が呪術廻戦に一番魅力を感じているのが、やはりこの部分で、呪術師は決して正義のヒーローではないということだと思います。
 命懸けで戦っているけど、誰もその事実を知ることはない。感謝されることも崇められることもない。
 人々を守る為に戦うのに、呪いを次々と生むのも、また人々。そんな呪いに仲間たちがバタバタと殺されていく。
 何のために戦うのか。
 翻弄され、迷い、苦しみながら、それでも強くあろうともがく。

 この切なさと儚さこそ、呪術廻戦の大きな魅力だと感じています。

 そして、現在アニメで放送中の渋谷事変編。

 物語の大きな転機となるパートとなることは、コミックや本誌を追いかけている人たちには分かっていたことでしたが、渋谷事変編の1話目が、心温まる日常回だったことが印象的でした。

 この「そういうこと」と題されたエピソード。コミックでは、懐玉・玉折編の前にあるエピソードなので、アニメ放送時には順番が逆になっています。

 このお話は、主人公・虎杖悠仁(いたどりゆうじ)の中学の同級生だった小沢優子が、呪術高専の虎杖の同級生、野薔薇(のばら)に話しかけてくるところから始まります。

 中学の時、太っていた優子は、勇気を出して撮ってもらったという虎杖との卒業式のツーショットを野薔薇に見せ、高校に入って15センチも身長が伸び、スタイルも良くなり、すっかり別人のようになった今の自分ならもしかしてと思い、偶然見かけた虎杖と一緒にいた野薔薇に話しかけたことを打ち明けます。

 「それって、そういうことね?」と野薔薇が聞き返すと、「そういうことです」と優子は返し、恋心を認めます。
 そこで野薔薇は、もう1人の同級生である伏黒(ふしぐろ)を呼び出し、相談しますが、本人を呼ぶのが早いという話になり、結局、虎杖を呼び出すことに。

 しかし、虎杖は、痩せてすっかり別人となった優子に会っても、あっけなく「小沢じゃん。何してんの?」と言い、見た目の変化には少しも触れません。

 つまり、虎杖は最初から優子の外見ではなく中身を見ていた。優子自身も気付いていない優子そのものを見てくれていたと悟り、下心で近付こうとした優子は何だか情けなくなって、連絡先を交換することもなく、そのまま別れるという内容です。

 ジャンプの主人公此処にあり的なエピソードですが、ふと思ったことは、この時、虎杖は呪術とは別の形で優子の呪いを祓ったのかもしれないということでした。

 太っていて男子に相手にされなかった自分が、背が伸び、痩せて綺麗になったから、虎杖に恋愛対象として見てもらえるのでは、そう期待することは、自分をバカにしていた人たちと同じ尺度で生きている。

 そう気付いた最後のカットで、優子は涙を拭っているように見えます。

 優子のこれからのことを想像すると、きっと彼女はこれからもっと自分を大切にするだろうし、人のことも違った尺度で見られるようになるでしょう。
 虎杖への恋心が叶うことはなくても、虎杖がすぐに自分を認識してくれたことで、優子の心に棲みついていた呪いになり得る不穏な気持ちは無くなったかもしれない。

 それは大きくて強力な呪いになるようなものではなかったかもしれません。
 だけど、虎杖との出会いは、優子の人生に大きな意味を持たらしたと想像できます。

 つまり、そういうこと。

 呪いが生まれることがなければ、呪術師は要らない。巡り巡る戦いに終止符が打てる。

 そう解釈してもいいのかもしれないと思ったのです。

 もちろん、野薔薇や伏黒が、「虎杖のことを好きってこと?」とは聞かずに「そういうことね?」と、本題をぼかして確認する場面は、ギャグ絵で面白く描かれていて、そこからタイトルが「そういうこと」と付けられているのでしょうが、つまり呪いとの戦いとは「そういうこと」なんだよ。という芥見先生の投げかけだとしたら、この話が差し込まれた意味が、ありありと輝いてくるなあと思うのです。

 そして、まだ明かされていない九十九由基(つくもゆき)が目指していると語った、「呪いの生まれない世界」を作る方法。
 ここにも繋がってくるのかもしれません。

 この辺りの奥行きのあるストーリーも、呪術廻戦の大きな魅力といえると思います。

 コミック最新刊まで読んでいる私としては、ますます絶対絶命な展開になりつつありますが、主人公・虎杖悠仁には希望があるような気がしてならないので、最後までしっかりと見届けたいと思っています。

 好きだなと思っているものを、なんで好きなのか掘り下げて考えてみるのは面白い。

 考えるきっかけをくれた中村さん、ありがとう。呪術愛がますます深まりました。

 アニメでも、漫画でも、これを機に気になった方はぜひ作品に触れてみてください。

 そして、呪術愛をお持ちの皆さま、一緒に最後まで完走しましょう。

 最終回を迎えた際には、またここで深く書き留めたいなと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?