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円をつくる(うそのある生活 26日目)

4月5日 夕方から曇り

選挙がはじまった。市議を選ぶというので、あちこちに看板が立っている。

土曜には大きな交差点に人が立った。大柄な人で、こつこつとやります、と繰り返しマイクで声を大きくしているその横を、たくさんの人が通り過ぎていく。

その候補者のことを、まだ六歳の娘が好んでいる。家の近くにあるポスターを三歳ごろから見ていたせいか、その前を通るたびに、かっこいい、と言う。瓜実型の顔をした、黒ぶちの眼鏡をかけた候補者で、ポスターでは僕の古い友人によく似ていた。

今朝は、その候補者も載った候補者一覧が投函されていた。それぞれの主張と、大きく顔写真が載せられている。その一覧を、娘が「新聞が届いた」と言って喜んだ。新聞ではないけれど、素材はたしかにそうだし、我が家は新聞を取らないので娘にはめずらしい。それで、それを、数日前から通いはじめた学童保育に持っていきたいと言いだした。

予想外のことだったけれど、予想外のことをするのは素晴らしい。なんにせよ興味を持つことはいいことだし、持って行ってダメな理由だってない。持って行っていいのかなぁ、と言う娘に、いいじゃん、みんなで見なよ、とすこし嬉しくなって言った。妻も嬉しそうに笑っているが、ただそれは画面越しのことで、単身赴任をしているので、平日は娘と離れている。

やったぁ、と娘が喜びながら画面の外にいってしまうのを見ながら、彼女がそれを学童に持ちこんで、幼い子どもたちが、円になるように囲んでその“新聞”を覗き込むのを想像した。きっとそれは天気の良い日の窓際で、暖かい陽ざしに包まれて、円をつくる子どもたちは床に座ったり寝転んだりしてそれを見ている。そうして、そのままずっと眺めていたら、子どもたちは猫になってしまうような気がした。

そういえば、猫がほんとうに円をつくって、井戸端会議をしているのを見たことがある。あればどこかの島に行ったときのことで、海岸沿いの道を港の手前で折れて登っていく途中に猫が集まっていた。やっぱり暖かい陽ざしが注ぐなかで、猫たちは向かい合い、目を細めあって動かなかった。

反対に、ひとりきりの猫はだいたい物陰で見つける。いつか、どこかの商店の裏手に回ると、資材の散らばるあたりに白い痩せた猫がいた。近づいて話しかけていると、だんだん猫が震えだす。震えが続くので、だいじょうぶ、と聞いたところで、ついにぶるぶると大きく動くと、口から、カマキリのような虫をぺっと吐き出した。

その猫がいたのも、波音が聞こえるほど海の近くだった。海の近くに猫がおおいのか、海のあたりで僕が猫を探すのかはわからないけれど、思えば近ごろ野良猫がめっきり減った。海のあたりだと猫が放免される事情があるのかもしれないが、よくわからない。


週末には娘と選挙に行く。

一度、候補者の名前を書いて、その投票用紙を娘に渡して投票箱に入れさせたことがあったけれど、すぐさま係員に叱られた。娘にも投票のことを教えておこうと思ってそうしたが、考えてみれば僕が投票したのだから、投票箱に入れるのも僕でないといけないのは当たり前だ。もうそういうことはしない。

今度の選挙で誰に入れるかは、まだ決めていない。あの一覧でそれぞれの主張を読もうと思うけれど、いつもなかなか決めきれない。だからたぶん、今回も投票のぎりぎりまで決めないことだろうと思う。

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