10年前に書いた映画短評に、自らコメントしてみる
10年くらい前、何も趣味がなかったころに(今もないけど)、気になる映画のDVDを買ったり、レンタルしたりして書いていた短い感想文のようなものを、最近発見しました。
読み返してみても、全然思い出せないくらい、もはや誰か別の人が書いたものなんじゃないかと思うくらいに、記憶にない文字の配列。
記録として、noteにそのまま載せておこうかと思いましたが、それも少し味気ない気がするので、自分の書いた短評に10年後の自分からコメントをしてみることにします。
『チャンプ』
1979年のアメリカ映画。
父と息子の親子愛の話です。
何度も観ているのに、毎回泣いてしまいます。
その間に、歳も重ねているからかもしれません。
観ていない人には、ぜひ観てほしい映画です。
父親に対する息子の想いが、もう、すごいんです。
【コメント】
自分に息子ができることを、このときはまだ知る由もなかったな…
『パーフェクト・ゲッタウェイ』
不得意なサスペンスですが、グロテスクではなさそうだったので観ました。
前半の雰囲気は好きですが、犯人がわかってから、雰囲気変わりすぎです。
最後はハリウッド的オシャレで、嫌いじゃないんですけど、ジョイントをうまくつくって、上手に繋げてほしいです。
外国人俳優の顔が、みんな同じに見えちゃうから、理解に時間がかかるのは僕だけでしょうか?
観客を裏切りたいのはわかるけど、あそこまでやると辻褄合わないというか、都合よく解釈するにも無理があると思います。
【コメント】
わりと辛口批評やけど、映画の内容も覚えてないし、逆に見たくなってきたぞ。同じ風に思うのかしら。
『愛のむきだし』
園子温監督が脚本も手掛けている237分の長編映画。
満島ひかりさんが観たいってだけで選んだら、とんでもなく厄介な作品でした。
愛を得られなかったことで生じる空洞を埋めるものとして、性欲や宗教や暴力が登場。
監督の思考を紐解いてみようと思います。
あくまで勝手な分析なので、外れている可能性はかなり高いです。
園子温さんは宗教と精神障害を、ほぼ同次元で見ている。
防衛本能から生まれたこの壁に、園子温さんは愛をぶつけ続ける。
そして、園子温さんは性欲を強く肯定している。
愛と性欲は本来一体のもので、性欲を罪として切り離そうとしたのが宗教。
罪として意識された性欲が暴走し、暴力を生み、却って性欲が悪となってしまう。
ここで暴力は、それほど罪とされていない。
本来の愛と性欲を、園子温さんは取り戻そうとしている。
そんな風に思えました。
【コメント】
この分析が当たっているかどうかは今もわからんけど、さも正解やろみたいな顔で分析する癖は今も変わってないよ。
『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』
2003年のフランス映画。
イスラムとかユダヤとか出てきますが、そこをソフトに扱っています。
バチバチ議論することなんか、望んでいないのでしょう。
大事なことは何なのか、それを優しく描いています。
90分ほどの短めな映画で、展開が多少急激だったりしますが、見やすいです。
心揺さぶられ涙する、なんてものでもありません。
あっさり、あっさり、ちょっと温かいスープのような映画です。
【コメント】
この数年後、「あったかいスープをあげる」的な歌ネタがヒットすることも、もちろん知る由もなかったな…
今回の記事を書きながら、10年も経つと、その間にいろんなことが起こるんだなと実感しました。
まだまだ過去に書いた感想文があるので、またやってみようと思います。