【福祉を読む】永井みみ『ミシンと金魚』
いやはや、ものすごい小説である。
文体が個性的な小説は多い。独白がリアルな作品もある。しかし、認知症の人の内面世界を、その人自身の内側から発せられた言葉だけを使って書いた小説は、たぶん前代未聞。比肩しうる作品といって思い浮かぶのは、少女の内面を男性作家が見事に言語化した太宰治「女生徒」か、最近では精神不安定な母親をもつ少女の独白を綴った宇佐見りん『かか』くらいだろうか。
書いたのは、本書がデビュー作となる56歳の現役ケアマネージャー。いきなりすばる文学賞を受賞した。
★★★
父親は箱職人だった。箱職人は職人の中でも一番見下されて、馬鹿にされる。たまったうっぷんを晴らすため、家では母親を殴った。殴られて鼓膜が破れ、目の裏に血がたまって、でも医者にいかず我慢していたら、目も耳も手遅れだった。我慢強い明治の女は、私を産んですぐ死んだ。
まま母がやってきた。女郎だった。兄と私を目の敵にして、毎日薪で殴った。「カケイは頭がよわいから育てたくない」と言って、私を兄に預けた。兄は私をだいちゃんに預けて遊びに行ってしまった。だいちゃんはその頃飼っていた大きな犬だ。私はだいちゃんの乳を吸って大きくなった。こっそりだいちゃんのことを「かあちゃん」と呼んだ。大きくなると家事にこき使われ、ほとんど小学校にも行けなかったけど、頑張って文字だけは読めるようにした。
後に夫となる男は、気の弱い役人だった。兄のやっているパチンコ屋に通っていたが、そこは店員も釘師もグルで客から金を巻き上げるアコギな店だった。兄は借金のかさんだその男に、行き遅れていた私を押しつけた。結婚した。夫には先妻との間の子がいた。私と8歳違いのみのるだ。
健一郎が生まれた。夫は健一郎とみのるを置いて出て行った。私はみのると健一郎を育てるため、毎日ミシンを踏んだ。
夫はいないのに、ある日妊娠した。兄は堕ろせと言ったが、夜明け前に便所でこっそり出産した。道子と名付けて、みっちゃんと呼んだ。おとなしいみっちゃんは、火鉢の中の水で泳ぐ金魚をずっと眺めていたので、私は安心してミシンを踏んだ。気づいたら、みっちゃんは火鉢の水を飲んで、疫痢になって、死んだ。
みっちゃんの父親はみのるだった。夫がいなくなってから、みのるは毎日、私とまぐわっていた。
でも、なぜ、こんな半生を振り返ることになったのか。ヘルパーのみっちゃんに、聞かれたからだ。「カケイさんは、今までの人生をふり返って、しあわせでしたか?」
どうだろう。道子は、みっちゃんは死んだけど、寝るときに天上の木目をみていると、輪郭がぐろぐろうねって、時々「ほんもんのみっちゃん」の顔が見える。健一郎の嫁は私の様子を見にきてくれるけど、健一郎は最近見ない。嫁に聞くと、健一郎は自殺したという。60歳で、パチンコで借金作って、車の中で練炭を焚いた。でも、本当にそうだったかどうか、よく覚えていない。
でも、そんなカケイさんにも、最期の時がやってくる。玄関で倒れたまま、こんなふうに、思う。
★★★
それにしても、認知症の当事者でもない50代のケアマネが、なぜこんなふうに生き生きと、その心の中の言葉を、こんなふうに書けるのだろうか。それほどに、本書を読んでいると、認知症の本人が自分で書いているような、あるいは語っているような、錯覚におちいる。
2022年3月号の「青春と読書」に、著者と金原ひとみさんの対談が掲載されている。20代で作家に憧れ、でもその頃に現れた金原ひとみの『蛇にピアス』を読んで衝撃を受け、自分には無理だと思ったという。子どもの学費を稼ぐ必要もあって介護の仕事を始めたが、その子供も著者のもとを巣立ち、ここでやらなければと奮起して本書を書き始めたそうだ。
それだけなら、ケアマネという「支援者目線」の作品になっていてもおかしくなかっただろう。じっさい、最初は「工夫する人」というタイトルで、認知症になってもこんなに工夫をしながら生きている、というような内容の小説にしようと考えていたという。
ところがそこで、なんと著者自身がコロナにかかってしまう。「エクモ以外は全部やった」というほどの重症患者だったらしい。自分自身がおむつのなかで排泄したり、とろみ食を食べる中で、それまでの自分が、無自覚な「上から目線」から認知症の人を見ていることに気づいた。でも、自分自身が介護を受ける立場、認知症の高齢者と同じ立場になった。そこではじめて、そのままのカケイさんが描けた。それがこの、神々しいとさえ思えるラストシーンに結びついたのだ。
つまりこの小説は、これまでの介護現場での経験と、みずから死を間近にのぞき込むような日々を経て生まれた、奇跡のような作品なのだ。第2作はギャング・エイジの子どもたちを描いた『ジョニ黒』で、男の子たちの躍動するような世界が描かれてはいるが、残念ながら本書ほどの「化け方」はしていない。もっとも、本作のような怪物的傑作を毎回ものにされては、他の作家はたまったものではないだろうが。
今後はどんな世界に、著者ならではの触知的描写力を展開させていくのか、期待して待ちたい。願わくばこれまでの2作とは全然違う、でもやはり、その人の内面の声がそのままに聞こえてくるような、その人に憑依したかのような作品が読みたい。まぎれもなく著者には、それを実現できる才能があると思う。