「考え方難民」から抜け出すために。
どんな考え方、どんな価値観で生きればいい?
高校3年生の夏、私は陸上部で長距離をやっていたが、地区予選で敗退した。笑い話だが全国大会を目指していた。中学の頃から部活動に明け暮れていた私は、目標に向かって努力することが何より素晴らしいことだと信じていた。だが、その夏の失敗をきっかけに、自身の生き方に疑問が生まれた。
努力して生きることと、努力せずに気楽に生きること、本当のところどっちが価値があるのか分からなくなった。
そうして悩んでいる間に、とうとう私はどう生きていけば良いか分からなくなった。足場とする場所が無くなったのだった。
思考の沼
思考には「沼」があると思う。同じような考えを行ったり来たりしても結論が出ず、次第に気を落としてしまう。感覚的に、また経験則的に沼があることは分かるけれども、だが、考えようとせずとも考えてしまうし、気がつけば落ち込んで分別がつかなくなっている。その時にはもう沼に嵌っているのだ。高校3年生の私もそうだった。
だから場合はその「沼」を意識的に避けるようにしている。思考の「沼」の場所を明確にして、積極的にを避けることを指している。
悩み事に対する結論は出そうとせずに、悩むことを意識的に避けているのだ。悩み事の結論はなかなか出ないが、悩んで気を病んだり、これまでの生活ができなくなることが良くないのは明白だ。
一つ、分かりやすくて、意識すれば回避しやすい沼がある。それは「一貫性」だ。一貫性はいつも沼になりうる。
人の行動に一貫性はない
世間一般に、理由と行動というものは切っても切りはなせない。何をするにしても、理由が無しに行動するのは不安だ。
高校生の私もこの一貫性を求めることによって、沼にはまった。人には主義や思想のようなものがあって、それに基づいて人は行動するものだと思い込んでいた。
理由と行動の一貫性、さらに言うと主義と生活の一貫性を求めようとする。主義や哲学を掲げて、まさしくその通りに行動することは、理想的な生き方と言えるかもしれないが、ハードルが高い。
だが、事実に即して考えれば、人の行動に一貫性はない。主義や価値観も変わっていくものだし、第一に人の行動は理由や主義に支配されていない。因果関係を説明できないような欲求や衝動によるものが大きい。
行動から今の自分を定義する。
これまでは、悩みを意識的に避けること、そして悩みの種となりやすいのは主義と行動に一貫性を求めることだと述べた。
だが、悩みを避けようとしたとしても、限界はある。暇を持て余すと、考えたくなくても考えてしまう。
そういう時にどうするか?それは行動を起こすことだ。悩んでいるなりに、次のアクションを想定していたりする。とにかくそれを試してみることだ。上手くいくかどうかは別にして、結果が分かる。その結果に基づいて考えればいい。また悩み出したら行動を起こして、結果を得る。その繰り返しだ。行動すれば、揺らぎようのない結果・事実を得ることができる。
主義や思想は諸行無常の如く変化して、いつまでも答えが出ない。
だから行動によって、揺らぎようのない事実を生み出して、それを起点に物事を考える。そうすることで、幾分か今現在の自分がどうしたいかが考えやすくなる。
何が言いたいのかと言えば、行動はいつだって今の貴方を定義してくれるということだ。行動こそ思考の土台になりうるし、常に今の自分の位置をプロットしてくれる。
今現在の自分は、文字を読みたいだけかもしれいし、知識を身につけて成長したいのかもしれないし、だらだらしたいのかもしれないし、何がしたいのかを考えたいだけなのかもしれない。
したいことの内、どれが1番したいことかは分からないけれど、とりあえず手の着きそうなものから手を付けていく。そうすると手が付きにくかったり、したいけど、やり出すのに勇気がいるみたいなことも、段々手が付くようになっていく。
その繰り返しの中で、アウトプットの蓄積されていく。その蓄積こそ私自身が何者であるかを語ってくれるはずだ。
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