20代のわたしとコーチング
わたしは1995年1月生まれの28歳だ。
自分の生まれ年について話すとき、これまでなら「95年です」と言っていたのが、最近はそれだけだと済まなくなってきた。特に同じ20代の人と話すとき、「94年の代?」と聞かれることが多い。ぐぬ、と思いながら、そうです94年の代で、95年の早生まれです……と答える。
若くありたい、サバを読みたい、のような気持ちはあまりない。むしろ大人になるって素晴らしい!と、割と人生を進めることに対して(方向性の決まった話ではなく)前のめりになっている。けれども30代になることは、なかなか諸手を挙げて歓迎できない。
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思えば20代に突入した頃からずっと「若さに助けられること」に対して、有り難さ、そして焦りを感じていた。
わたしは1時間500円の時代、そしてブランク期間も含めると22歳の頃からコーチングを生業にしており、その過程「若いから」という理由でクライアントさんについてもらったり、なかなか出来ないような面白い経験をさせてもらったりした。
機会をくれた人たちにはただただ頭が下がるけれど、同時に「こうしたチャンスは今だけのもの」という、現実的とも悲観的とも取れるような考えが頭から剥がれずにいる。
この年だからこそもらえるような機会をできるだけふいにしないように、そして今のうちに歳を重ねても残るような術を身に着けられるように、と生きてきたつもりだ。あと少しで終わってしまう「20代の時間」を、別格に大切なものだと思っていた。
けれどなんだかもやもやする。ほんとうに、このボーナスタイムみたいな時間は20代こっきりで終わってしまうのだろうか?……ほんとうに?
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先日、20代コーチのコミュニティ「COACH X」のメンバーと、とあるコーチングのイベントに参加してきた。その会には世代も性別もさまざまな方が集まっていて、わたしは格好いいおじさまと、これまた素敵なおばさまと、三人でグループワークに取り組んだ。
ワークの内容は「三年後の自分たちになりきって話す」。
さんねんご、と思う。三年後のわたしは、もう20代ではない。若いからと言って仕事を振ってもらうことは減ってるだろうし、テトリスみたいに詰め詰めの予定のなかで動くこともできなくなるだろう。
けれど、わたしはコーチなのだ。コーチは人の人生、とりわけ自分自身の人生をいちばんに信じるためにいるような存在で、しかもその信心は、歳を重ねて少し身体が動かなくなったくらいで損なわれたりしない。
なあんだ、と思って、不意に肩の力が抜けた。三年後のわたしが、今のわたしの口を借りて、言葉を紡ぐ。
「わたしこれまでも本当に良くやってきたけれど、これからもっと良い時間がやってくると思う」
それを聞いたおじさまとおばさまは、二人で息を呑んで顔を見合わせたあと、祝福をするかのようにわたしに向かって微笑んだ。おばさまは「ゆりちゃん、あなたにはこの先も希望が溢れてるわよ!」と言った。素敵な予言をしてくれる魔法使いみたい、と思った。
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20代。それは魔法みたいな時間だと思う。いろんな人がいろんな機会を与えてくれる。身体がすいすい動く。30代になったら、チャンスの数も機敏さも、少しずつわたしの手から離れていくのかもしれない。
けれどそのときのわたしはきっと、若い日々とはまた別の魔法を自分にかけるのだ。それが一体何なのかはまだ分からないけれど、20代のうちには知る由もなかった景色に目を煌めかせているのだろう。
20代には20代のわたし、30代には30代のわたし。どちらもそれぞれ輝いている。だからこそ、あと一年間を目いっぱい生き、そして「ようこそ!」の気持ちでいっぱいになって、30代を迎えたいのだ。
写真は先日フランスに行ったときの、パリの街をずいずい歩くわたし。
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