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「おかえり、ただいま」

職場から、家への帰り道。
家の灯りが消えてるのを見て、同居人が今日は留守にしている、ということを思い出す。

「おかえり、ただいま」

私はドアを開けて、こう口にする。

久しぶりの、感覚だ。

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物心ついた頃から、私の実家には不思議な慣習があった。

家に帰ってきた人も、それを迎えた人も「おかえり、ただいま」と口にするのだ。

私の家は共働きで、学校から帰っても親が不在にしていることは、当たり前だった。今となっては珍しくないけど、私たちの暮らしていた地域のママさんの多くは、専業主婦だった。

薬剤師としてフルタイムで働いていた母の口癖は、「あなたたちを家で迎えられなくて、申し訳ない」だった。
母が仕事から帰るまでのおよそ2時間、幼い私たち三姉妹は、手をとって近くの公園にでかけたりした。でも、日が暮れる頃には家に帰って、夜遅い母の帰りを待った。
寂しくなかったと言えば、嘘になる。でも、私たちは自分の家がそんなに裕福でないことを幼心に理解していて、何も言わなかった。
それでも母は、他の家庭でやっていることを自分がやってあげられない、ということに、心を痛めていたらしい。そんな、気にしなくてもよかったのに。

そこで彼女が考えたのが、自分が帰ったときに「おかえり、ただいま」と言うことだった。
この言葉によって、私たち三姉妹は、家にいながら、自分の帰りを誰かに迎えてもらったのだった。

いつしか私たちも、母に向かって「おかえり、ただいま」と返すようになった。

迎える側と、迎えられる側。私たちは、同じ瞬間に、両方の立場になることができる。それは何だか奇妙で、でも手放し難い体験のように思えた。

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親の心、子知らず。
昔は何とも思わなかった母の優しさに、今改めて思いを馳せる。

ただいま、という言葉に、おかえり、と返ってくることが、母にとっては「あってほしい家族の姿」だったのだろう。
何て過保護な、と笑い飛ばすこともできるけれど、私はそんな母の思いを受け継いでいきたい。

「おかえり」という言葉を聞いて初めて「これこそ我が家だ」と思えることだって、あると思うのだ。

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翌日の夜。
外から、トントントン、と階段を上がってくる音がする。
私は自室から、にゅっと顔を出す。

玄関のドアが開く。
同居人が声に出すよりも先に、私は「おかえり、ただいま!!!」と言い、そしてニカッと笑った。

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佑梨
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