一首評

B2F 太陽なんてなくたって あなたの反射でわたしは光るの/御守ミコ(きのホ。)

そもそも「地下アイドル」という言葉の由来が「地下のライブハウスで活動しているから」らしいけど、地下のライブハウスって言うほどあるか? と考えてみたら、きのホ。を初めて見たのはマーズだし、本格的にハマるきっかけになった無銭ライブはシェルターだった。無自覚に地下にいた。

地上から降りて、もうひとつ潜った地下二階。太陽の光が届かない場所で「太陽なんてなくたって」と言い切る。そこに悲壮感や諦めを感じないのは「わたし」も「あなた」も、「地下」にある光のことをよく知っているからだとおもう。「アイドル短歌」というジャンルにおいて、アイドル(詠者)とオタク(読者)だから共有できているコンテキストを感じる。

実際には、アイドルを照らすのはステージ照明で、“あなたの反射でわたしは光る”は比喩的な表現である。ここで言う「光」は、きっと目に見える光線よりも、目には見えないものを意味していて、この「光」こそ、アイドルの世界を動かすエンジンそのものであるとおもう。

この歌において、「あなた」を反射して光る「わたし」というモチーフは、「太陽」というワードによって「月と太陽」の関係性のイメージに結びつく。恒星ではないので自ら光れない月が、太陽の光を受けて光るという、一般的に使われる比喩のイメージがある。
しかし、太陽の光を跳ね返して月が輝けているのは、太陽がたまたま光っていて、月がたまたまその光を跳ね返す位置にあったからというだけで、そこには何者の意思も介在しない。
対して「わたし」は自分の意志でステージに立ち、「あなた」は自分の意志で「光」をステージに向けている。ここに、「あなたとわたし」と「太陽と月」のあいだに、明確な差異を感じる。
考えてみると、地下アイドルとオタクの関係は、歪なものである。ふつうに生きていたら出会わないような"クソデカ感情"を持ちあって、毎週のように顔をあわせることもある距離感なのに、個人的な関係を持つことはもちろんご法度だし、芸名やハンドルネームではないお互いの本名すら知らない場合もままある。強いようで脆いアンバランスな関係で、その細い糸をギリギリで繋いでいるのはお互いの意志だけだったりする。アイドルがその立場を降りたら、オタクがその立場を降りたら、そこから一生会うこともなくなるような関係である。そういった、アイドルとオタクの、お互いの意志だけで成り立っている関係が、「月と太陽」との対比で浮かび上がり、そこに灯る「光」を見せつける。

「わたし」が反射する対象を「あなたが向けた光」ではなく「あなた」自身としている点もいい。ダイナミズムが歌に秘められた感情の静かな強さを補強しているし、「あなた」自身をまるごと受容するような愛情を感じた。

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