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モヤりへの瞬発力

アルテイシアさんの著書を読んだ。一応風通しの良い企業に勤めている有り難みで本の中に出てくるようなシビアなシチュエーションにはなりづらかったり、あと私も35歳になりヤワさが年々薄れていることもあって、「目の前のセクハラからどうにか身をかわしたい」という状況ではない。でも、それこそ昔は通学中に痴漢に遭ったり、社会人になってもすれ違いざまに絶句するような卑猥な言葉を投げられたりという目に遭ってきた。

「いやよいやよも好きのうち」とか「そんなこと言ったって内心は喜んでるんだろ」とか「イケメンならOKなんだろ」とか、「そんなこと言ったら恋愛なんか始められないじゃん」とか、「いやもうアホか違うし」と何から正せばよいかわからない言葉たちが、こうして書いている今も脳内を容易に過ぎる。これらはずーっと長きに渡って日本の若い女性が投げられてきた言葉だ。我が国が”オリンピック”という外圧だけでは出し切れないほど膿や埃がたまり切った恥ずかしい国だということが毎日明らかになっていて本当に感覚が麻痺してくるが、読んだ後にこんな一個人で何ができるか考えてみた。

目的は「次世代にこんな状態を残さないため」である。次世代と言っても定義通りの30年後ではない。もう5年後10年後、今年の新社会人からでもいい。性別問わず弱い者を標的とした「いじめ」という名の暴力≒犯罪をひとつでも減らしたい。そして私は女なので、主に(自分もされた経験を踏まえて)若い女性の側にまずは立ちたい。そのためにできることは何か。

意思表示である。著書の中にも「プーチン顔・ハシビコロウの眼で威嚇を」とあった。「私をあまり怒らせない方がいい」「お前なに言ってんだ・やってんだ」とビシッと表すことである。「お前は間違っている」と即座に威嚇することである。誰もに愛想良くする必要なんてない。「女が強くなった」だの「生意気だ」だの言われても気にすることはない。相手の期待通りに生きる必要なんて全くない。「そんなんじゃモテないよ」と言われても「そんなんで好いてくるつまらん男、こっちから願い下げだ」で十分だ。「それ目の前にご家族がいても言えるんですか?」でもいい。「それはNoだ」とガンガン表していきたい。

あと、読んで良かったと思ったのが、自分がやってしまう軽い気持ちの発言に気づけたことだ。主に想像力の欠如から来るのだが、多分もうルックス・見た目について誉めることはトレンディーではないのだと思う。「太った・痩せた」の類はもちろんだが、「疲れてる?」「今日きれいですね」も多くは余計なお世話なのだ。ルッキズムに加担しないためにも、自分の言動には気を配りたいと思う。

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晴海通り
お読みいただきありがとうございました。今日が良い日でありますように。

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