心がしんどい時は
※不眠等が続き本当にしんどい方は、医療機関にかかられることをお勧め致します。
2020年がこんなことになるだなんて、年初の計画を立てたときに誰が予想したであろうか。「先のことは誰にもわからない」とはよく言ったものだが、まさにその通りである。私だって1月下旬ごろはこんなことになるだなんて全く思っておらず、マッチングアプリで男性と巡り会おうとしていたのだ。恐ろしいことこの上ない。
未曾有の事態としていま多くの人が向き合っているのが、「外出できなくなった。人と会えなくなった」ということだろう。私も初めて経験するが、これは思いのほかストレスになる。単身生活も10年目に入り、最近では実家の連泊でさえしんどくなるくらい「1人でいい。一人暮らしほど至高のものはない」と思っていたし、先駆けて3月から始まった在宅勤務は「空き時間で映画見放題・読書し放題じゃんヤッホー!(おい)」と思っていたが、いざそういう毎日(誰にも会わない・好きなことだけできる)が続くと流石に飽きてくる。というか、今回の最大の問題は「先が見えない・いつまで続くか分からない」という点である。
いつだったか「人はすべての感覚を遮断すると気が触れてしまう」という実験を読んだことがある。「何もせず寝てるだけでいいですよ」という触れ込みに惹かれ「それでお金がもらえるなんて楽勝だ」と集まってきた被験者たちだが、耳栓をされ目隠しもされ、手には厚い手袋のようなものをはめられ”何も感じない”状態に放り込まれると、全く耐えられないのだそうだ。喜びや快感はもちろんだが、怒りや痛みなども含めた刺激がない状況というのは、想像以上に”しんどい”のだということが分かる。
「しんどさ耐性」がある人とない人がいる。私は多分、現時点ではない方にあたると思っている。4月の中旬ごろ、変わりばえのしない毎日と先行きの見えない現状と好きな人たちに会えない寂しさがピークに達し、心が「無」になった。なりかけた。心療内科の門戸を叩かなければならないほどの抑うつ状態ではなかったが、「もう何も食べなくていいかな」と思ってしまった。これは何を差し置いても食を大切にする私にとっては、非常事態一歩手前の状態である。
有難いことに私はサラリーマンなので、毎月末には一定額のお給料が振り込まれる。パフォーマンスの違いでもちろん差はあるけれども、「家賃が払えないかもしれない」とか「どうやって生計を立てていいか分からない」という事態には直面しない。世の中にはそうなってしまった人が少なからずいるというニュースが連日流れてくる。
「こんなに恵まれているのに私は何をしているんだろう。社内のメンバーはこんな状況でも目の前のことに取り組んでいるのに、私は何をしているんだろう。家での空き時間が増えたんだから、思い切って自己研鑽に取り組めばいいのにそういう気も起こらない。私は何をしているんだろう・・・」そういう思考で頭がいっぱいだった。ただでさえ低い自己肯定感が、メリメリと音を立てて地盤沈下していくようだった。
そんな時に目にしたのがHuffpostのこの記事だった。
「世界がおそらく初めて直面する事態の中で、平常運転するのはやっぱり難しいよね」と思ったのだった。ものすごく救われた。「家に1人なんて仕事に集中しやすすぎる環境にいるのに、ご家族持ちの皆さんより何もできない自分は今の仕事に向いてるんだろうか(いや向いてない)」とまで思い詰めていたが、もう仕方ないよね、と思った。そう思えたのはこの記事を読んだからだし、時期を同じくして友人がZoom飲みをしようと声をかけてくれたことも大きかった。社内の人間にはやはり弱音を吐きにくいし、常にInnovativeであろうとする社風もあって「いや、そういうときこそ目の前の出来ることを」と切り返されるのは目に見えている。「いやですからそれがキツいんです」とはなかなか言えない。異業種の気のおけない友人と話せて、大変助けられた。
丸2ヶ月のアイドリング?期間を抜け、書き残したいことがあるので以下に示したい。慣れない在宅勤務がまだ続く方も多いだろうし、家人の在宅勤務を支える方もたくさんいらっしゃるだろう。首都圏で日々「感染するかも」と不安にさらされながら過ごしている方も少なくないはずだ。そんなストレスをやり過ごすため、何かお役に立てることがあれば幸いである。
①人には人の、砂時計。
しんどい時の焦りは無力感を生み出す。「ライバルと切磋琢磨し・・・」みたいなポジティブな活動は、元気な時にすればいい。というか、そういう時じゃないとほぼ迷走する。見誤る。「懐中電灯が電池切れしそうな時に霧の中で地図を見ようとしている」とでも言えば良いだろうか。いま同僚たちは、同級生たちは、先んじて山を登っているのだろうか、そうに違いない、なんて思わなくていい。もしそうであったとしても、プレッシャーを感じる必要はない。みんな横並びでなんて生きられない。自分の道を自分のペースで、怪我なく登り切ることの方がきっと大切である。今は霧が晴れるのを待ち、新しい電池を準備する期間だと思おう。
②良きIntakeを。ジャンクフードは胃もたれする。
準備期間と書いたが、しんどい時の心身は自分で思う以上に傷んでいる。不眠・食欲低下などの分かりやすい症状もあれば、片付けが億劫だとか好きな本も面白くないとか、自分を振り返らないと見過ごしてしまうような状態もある。そういう時はテレビを消そう。SNSから離れよう。誰が何の目的で発信しているか分からない情報(例えばこのコラムのような…)に飲み込まれないようにしよう。同じ理由で、最近出たばっかりみたいなビジネス書だって読まなくていい。その人が翌年何を言っているか分かったものじゃない。できれば、昔から読み継がれている名作や歴史的名画に触れよう。それらはもう変わることがない。あなたを何も言わずに受け入れてくれるはずだ。
③「信じてるよ。大丈夫だよ」と伝えること。
少し話が逸れるが、「声をかけることの難しさ」を最近よく思う。何の気なしに発した一言が相手を深く傷つけたり、長く思い煩わせてしまったりするケースは30年以上も生きていれば遭遇することである。ビジネスでは「フィードバック」という言葉があるが、プライベートでは求められてもいないフィードバックを人は安易に(往々にして上から目線で)相手に投げてしまうものである。それが相手をどれだけ損ねるか考えもせずに。
本当に立ち直るには、沼から抜け出すには、正直なところ自分の力で走り出すしかないと私は思う。人がくれた言葉に勇気づけられることや元気づけられることはもちろんあるが、それはどちらかというと車でいうところの「いいガソリン」に近い。そしてそれは「ああしろ・こうしろ」などの具体的なアドバイスではない。走り出すのに必要なのは、実は走り方ではなく、「君が本当は素晴らしい車だと知っているよ」とか、「エンジンさえかかれば大丈夫だよ」「今はメンテナンスの時期なんだよ」といったような寄り添いの言葉である。もし私の近しい人が苦しんでいる時は、慎重に言葉を選んでそういった意味のことを伝えたいし、自分自身にも自分のペースで走れるよう、折に触れてそういう言葉をかけたいと思う。
おしまい
お読みいただきありがとうございました。今日が良い日でありますように。