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自分の感覚を信じたい
音はいつもセットになっている。
絵を描くのも、料理するのも、なんでも。
絵を描く音、料理をする音というのは、とても心地よく、そういうASMR動画をわたしはよく観るけれど。
使う素材や作る人によって出てくる音が違うからおもしろい。
いろんな想像が広がる。
五感を使う感じる考える。
わたしは低音が好きだけど、バリバリとした低音は長く聴くとつかれるし、
長く浸りたい低音もある。
高音も同じで、つかれる高音と聴いていたい高音がある。
ナイフで切ったバナナとちぎったバナナの味は違うし、
厚く切った羊羹と薄く切った羊羹の味は違う。
『言葉の意味』なんてみんな知っているし、知らなくても調べればわかる。
絵や音楽、料理…
なんでも、歴史や生涯、作り方など、知るのはとてもおもしろい。
知ることで気づくことがあったり、つながることがあったり。
だけど、それよりもきっと大切なのは、
『自分の感覚』を知ることなのかもしれない。
みんなが「良い」というもの。
すごい人が「良い」というもの。
そういったものが、必ずしも『自分に良い』とは限らない。
鵜呑みにするのではなく、だけど、真っ向から否定するのではなく。
だけど、
「自分はこうだからこう思うな〜」
は、あっていいと思う。
いわゆるすごい人、評論家や成功してる人の言うことがすべて正しいとか、
そういう人がこう言ってるからこうなんだとか。
そればかりになると、自分の感じたことや思ったことが後回しになって、
ただ、『正解』だけを求めるようになってしまうともったいないと思う。
そのうち自分の感覚がわからなくなってしまいそう。
自然の中にも、日々の暮らしの中にも、芸術にも、たくさん何かを感じられるものがあって、
毎日一瞬一瞬、何かを見たり聴いたり触れたりして、何かを感じているはずなのに。
こっちもいいけどこっちもいいなとか、
そういうのから自分の価値観みたいなのが見えてきたりもする。
自分の感覚や思ったことが、みんなと違うと出すのは怖いけれど。
だけど、そこから新しい発想が生まれたり、おもしろい見方が生まれたりするのは、楽しい。
そういうことが自由に楽しく話せる場も作れたら…と思う。
過去、絵を描いている動画もYouTubeに上げたりしていたけれど。
インスタのリールでいいから、またそういったものも作っていきたい。
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