わたしの価値観、世界がすべて!ってなると…
わたしの価値観、世界がすべて!
ってなると、しんどい。
そんなに世界は狭くない。
結局は、そういったもののぶつかり合いだったりするから、拗らせないようにしたいと、いつも思う。
自分の価値観や世界があっていいし、あるべきものなんだけど、
違う価値観や世界も知らなければ、それは確立されたものではないと思う。
自分の価値観や世界の中が苦しいのであれば。
『怒り』もそうだし、人を好きになる気持ちだったり、愛だったりもだけど。
「こうだから、こうしたらダメだ。」
って、感じている感情を抑えようとしたり隠そうとしたりするから拗れてしまう。
もしも今、自分の価値観や世界が苦しいと感じているのなら、
それはきっと、その殻をやぶるタイミングなんだと思う。
こういうとき、必要な人と出逢ったり、必要な言葉と出逢ったりする。
その時、やっぱり大切なのは、
「助けて」と言えるかどうか。
差し伸べられた手を掴めるかどうかだと思う。
わたしは、手を差し伸べられる人でありたいと思っているけれど、
それも求められていなければ、ただのお節介になってしまうから。
だから、掴もうとする手がなければ意味がない。
跳ね除けられたら、そこで終わってしまう。
なのだけど、つらいのに、変わりたいのに、助けてほしいのに。
本心、いわゆる無意識、エゴと言ってもいいかもしれないけれど、
そういったものが「変わりたくない」と言ってくる。
だから、自分が安心する言葉や人を見つけるし、自分が正しいと思っている世界の情報しか集めない。
何も変わっていないのに、変わったように感じてしまう。
だから同じことを繰り返す。
現状の中でループするだけになる。
難しいのは、そういったものがスコトーマ(心理的盲点)で隠れて見えないこと。
自分で探そうとしても見つからない。
それは見つからないものだから探そうとしてもダメで。
だから、いわゆるコーチやメンターと言われる、『抽象度が上の人』からの言葉がすごく大切。
自分よりも高いところから広いものを見ている人。
似たような経験を乗り越えてきている人。
答えを教えてくれるわけではないけれど。
わたしがこういう話をすることができるのも、わたしが経験して乗り越えてきたものがあるからだし、そういった方々の教えがあるからで。
すべてを正しく理解しているかと聞かれたら、まだまだ浅いとは思うけど。
自分が今まで信じて疑わなかった価値観や世界以外を知ることは怖い。
今まで大切にしてきたものが壊れてしまうから。
だけど変化、転生や脱皮というものは痛みを伴う。
簡単に楽に痛くもなく変われるなんて、きっと思わないほうがいい。
だから自分で選択することが大事でゴールが大事。
他人の責任にするのではなく、
自分の行きたい世界に行くために自分で選んだ道。
それは先の見えない真っ暗な闇で茨の道だけど、自分のゴールが必ず光を灯してくれる。
そして、その中に、本当に大切にしたいものが残る。
〇〇という概念が存在しない世界
のようなものがあって、
〇〇には何を入れてもいいのだけれど。
上の人にはわかる。
だけど下からは見えないもの。
それはきっと限りなくて、
お釈迦様のいう『悟り』『空』の世界は果てしなくて
「なんとなくわかるなー」なんて言っているうちは、まだまだ遠いんだろうと思う。
だからというわけでもないのかもしれないけど、
なんとなく。
だから『理想の現状』ではなく『現状の外』にゴールを置くのかもしれない、とも思ってみたりする。
だけどこの『現状の外』が難しくて『理想の現状』になってしまうんだな。
わたしももう一度、この本を読んでみよう。