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頭でっかちさんからの卒業

多分Threadsだったと思う。

アーティストは『厨ニ病』を治さない方がいい

というスレを見かけた。

『正気』に戻ってしまうと、とたんに描けなくなる、と。

これは確かにそうで、わたしは紛れもなく、この状態だった。


自分自身が体のことや心のことの論理を学ぶのは好き。

だけど、それをブログという形で発信、アウトプットするとなると、
わかってもらえるように全部を書かなきゃ!とか、
こう書いたら誤解されるかもしれないから、こういう文章も入れておこうとか、
間違えたことを書いたら、一緒に学んだ人と違うことを書いたら、頭悪いと思われるかもしれない、
先生にも迷惑かかるかもしれない。

そればかりになっていった。

「もっと論理的に」と言われれば言われるほど、プチパニック状態。

だから逆に考えすぎてしまって、考えすぎた嘘くさい文章になる。

多分わたしの中で『論理的』を誤解してるところがあるんじゃないかな。
多分だけど。


昔から「変わってる」と言われる。
大人になってからも「ちょっと何言ってるかわからない」とか
「それ、大抵の人にはわからないよ」とか。

絵もギャラリーの方から
「表現が独特」だとか「独創的」だとか言われて、
それって、『人と違う』ということなんだろうな、と思ったら嫌で嫌でしょうがなかった。

ますます孤独になるようで。


『厨ニ病を治さない方がいい』
というのは、昔も似たようなこと言われてたんだけど。

頑張って論理論理!になってしまうと、それだけになってしまう、白か黒か、0か100かみたいな。

いい感じに書けてるものもあるんだけど。

ただ、ちょっとわたしは、守りを固めがちで、
人の目を気にし過ぎで、

『わたし』という表現の中には不要なものまで取り入れすぎてしまうんだなぁ、きっと。

だからどんどん重たくなる。

わたしの表現ではなくなっていく。


絵でも文章でも、それらを出すということは、すっぴんで素っ裸な自分をさらけ出すようで、いつも恥ずかしい。

すっぴんなわたしでいたいのにね、矛盾してる。


歌の練習でもなんでもそうだけど、
取り繕ってばかりで、そうなると『技術』ばかりに囚われてしまうんだ。

そして身近に『すごい人』がいると、身の丈に合わない、背伸びしすぎてしまう。
置いてかれないように必死になりすぎて。

がんばらなきゃ!ってますます頭でっかちさんになっていく。

重たい何かを着込んで取り繕う。


そういうのが割と長いことしんどくて。


頭でっかちさんな自分のブログ記事を読むと、『厨ニ病』的な文章を読むより恥ずかしくて悶える(笑)

なんか違う恥ずかしさがある。


『教える人』で仕事をしていくのなら『論理的』に説明できたほうがいいし、言語化できたほうがいい。

それは、わたしもできなくはない…と思う。


だけど『何かを表現していく人』であるなら、やっぱり『厨ニ病』は治さない方がいい。


どっちもバランス良くというのは、わたしにはちょっと難しい。

『教える人』なのか『表現する人』なのか、自分はどっちに比重を置くのかは大事かも。

じゃないと、せっかくいただいたアドバイスもおかしなことになるし、
アドバイスもしにくくなるよね。

noteだって、厨ニ病でいいやって始めたのに、いつの間にか頭でっかちさんになってて。

アメブロもnoteも頭でっかちさんな記事消したい〜って悶えるんだけど、
こんなわたしもわたしだったなぁと残しておこうと思う。

いつか、こんなことで悩んでたんだなぁ〜なんて笑えたらいい。

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HACHI
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