ここはルイーダの店。
⇩この記事を書いていて、ふと思ったこと。
noteでも時々書いているけれど、
わたしは人の人生に深く関わることが怖い。
『心とからだは難しい』ということも、よく書くけど、本当にそんな簡単ではないと思ってる。
ほんの小さなことでも、壊れてしまうことがあるから。
自分が人を助ける、救う。
というのは大きな責任が伴うし、「わたしが助けるんだ、救うんだ」なんて傲慢だと思っている。
決めるのはいつも相手であり、わたしではなく、『助けた、救った』というのは結果でしかない。
それでも、いつも手を差し伸べられる人でありたいと思うのは、過去のあのときの後悔と同じ思いはしたくないから。
そして本来、みんな何かに救われる力を持っているんだと思っているから。
差し伸べられた手を握り返す力。
それは人だけではなく、出来事や概念もそうで、手を差し伸べてくれるものがある。
そして、自分で自分のことを救える力も持っていると思う。
わたしはちゃんと『怖さ』を経験して知っていて、それが枷にもなっていたけれど。
この『怖さ』は宝物だとも思っている。
これがあるかないかで人との関わり方、心とからだとの接し方は違うと思う。
人生は絵でもあり、写真だったり、詩や物語だったり、アートで。
『どんな物語を紡いでいこうか』
『ルイーダの酒場』に行けば、仲間がたくさんいるかもしれない。
わたしはその『ルイーダ』のようなもので。
新しいところに行くのは怖いもの。
それは生存本能でもあるけれど、行ってしまえばなんてことはない。
大事なのは、その非日常を日常にしていくこと。
そのとき、寄り添ってくれる仲間、相棒がいたら。
気功や絵はその『仲間』と言えるし、深く自分の中に潜ったとき、見えてくる何かが『仲間』になってくれるかもしれない。
だから、わたしは『ルイーダの酒場』で変わらずにここにいる。
一緒にあなたの『旅の仲間』を探しに行く。
今は見つからないなら、気功をやってみるのもいいし、絵を描いてみるのもいい。
そんな仲間探しの旅の
『Buddyアート・セッション』
を、2025年から動かしていこうと思う。
みんなが自分のことを、人を、癒やし癒やし合える世界になるといい。
わたしもこの『Buddy』から物語が始まったんだ。
言葉では言い表せない、語り尽くせない愛。
そういうものがあると、心とからだを優しく穏やかにさせてくれるのだけど、
こういうことを、みんなが普通に話せるといいなと思う。
「愛してる」って言葉に「わたしも愛してるよ」と。
普通に返せるように。
手を握り返せるように。
「わたしも愛してる」って言葉が薄っぺらくならないように。
人でも物でも概念でも何かを『愛する』ということ。
ひとりで考えて探そうとしても、わからないものはわからない。
それは脳の働きと関係してる。
思い込みが何かを知って認識して、そして解釈を変える。
そうすると見えてくるものが変わる。
わたしは『ルイーダの酒場』でそのお手伝いをしていく。