タイムトラベルは楽しい
大きくて立派な美術館って素敵。
歴史を感じる建物だったり、建物自体がアートだったりして、重厚感があって。
空気もなんだか違う。
そこに飾られたアートの数々は、歴史的な作品だったり、有名な現代アートだったりして、
家に飾りたいと思っても、ゼロの数がおかしい、非日常的で異空間で。
そんな美術館へは、普段は着ないような素敵なお洋服で出かけるのもいい。
だけど街の小さなギャラリーも素敵。
少し手を伸ばせば手に入れられそうな絵が飾ってあって、
作家さんが在廊していたら話ができたりして、作品に対する想いを近くでリアルに感じられたりする。
そんなギャラリーには普段着よりも少しおしゃれして出かけたい、日常に近いものがある。
そして何よりも、美術館よりも人が少なかったりして、ひとり静かに味わえるし、
あまり広くなければ絵が近く感じる。
ちょっぴりピシッとなる美術館
素朴でゆったりとしたギャラリー
何を見たいか
何を感じたいかで
行きたいところも変わってくる。
ちょっと高級でラグジュアリーなカフェは、美術館のような感じで、静かに優雅にくつろぐ。
古民家、レトロ、アンティークなカフェは、ギャラリーのような感じで、どこか懐かしさを感じるようなくつろぎ。
違ったくつろぎ方と
違った落ち着きがある。
どちらも好きだけど、わたしはどちらかといえば、ギャラリーだったり、古民家、レトロ、アンティークなカフェが好きだけど、
そういったものにマウント合戦は必要ない。
のだけど、マウント合戦にお互いが気づいていないのが少しおもしろいと思うときがある。
わたしはあまり『好きと嫌いの分類』がないのだと思う。
まるで行動に一貫性がないようで優柔不断のようで。
だけどそれは、自分の感情や感覚の微細な変化に柔軟に対応している、とも言えるのかもしれない。
音楽や絵に関しても。
もちろんその中にも『好み』はある。
要は、多分、好き嫌いの分類をする前に、自分に合わないものなどはそもそも目に入ってないのではと。
だから好き嫌いや合う合わないでのマウントの取り合いがおもしろいのかも。
わたしの脳内はまるでジュークボックスのような、アンソロジーのような感じなのかもしれない。
過集中でのめり込むことで、頭の中の大きなわたしだけの書庫にしまっておいて、自由に取り出せる。
ラベリングされてなくて乱雑にしまいこまれてそうだけど。。。
絵にも音楽にも文学にも、
『わたしがいてもいい世界』がある。
そんな世界に自由に行き来する。
ある意味どこへでも行けるのかも。
行こうと思えば。
創作って、いろんな原動力があってどれもおもしろい。
それに病みやすいわたしには、いろいろな選択肢があることは救いにもなる。
そんな緩やかさがとても心地いい。
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美術館は異世界のようで
自分の感覚を研ぎ澄ませて没頭して無になって。
線がなくなって空間の一部になって。
タイムトラベルをしに出かけるんだ。
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昔、みんなのうたで
『メトロポリタン美術館』という歌があって、
ちょっぴり怖い歌なんだけど、なんか好きで。
この歌の元ネタになったのが
『クローディアの秘密』らしい。
多分学校の図書館だと思う、なんとなく読んだような記憶があって、また読みたいと思った。
こんなふうに、いろんなものがつながって出てくるのは頭の中が飽きない。