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ひとりひとつの宇宙
人はそれぞれ、ひとつの宇宙を持っている。
『内部表現(脳と心とからだ)』はブラックボックスになっていて、入ってきた情報が内部表現を通ってアウトプットされる。
だから、『似ている』と言っても厳密には全く同じではなく『似ている』だけ。
昔どなたかが、
「パソコンにもNECとかIBMとか富士通とかあるのと同じ」
と言っていたけれど、そんな感じなんだろうと思う。
『内部表現』というブラックボックスから何が出てくるのかはわからない。
それは記憶だったり、経験だったり、価値観だったり、感じ方だったり。
いろいろ複雑に絡み合って出てくる。
だから同じ言葉でも、捉え方が違ってしまったりもして『話が通じ合わない』ということが起きる。
会話だけではなく、人はそうやって自分の内部表現でしか世界を見ることができない。
『認知科学』というのは簡単に言うと、そういった『物の見方』を変える学問。
ブラックボックスの中で何かが不協和音になっていたり、歪んでいたり。
そういったものを丁寧に紐解いていく。
認知科学をベースにした気功は、そういったことを『非言語』でやっていくのだけど、
相手が求めていなければ、それは『呪い』になってしまうこともある。
だから普段から使う言葉というものも、自分に対しても他者に対しても思いやりを忘れずにいたい。
言葉ひとつ受け取って、出力されるもの。
『優しい人』と聞いてどんな人を浮かべるか。
愛ある厳しさを優しい人
甘やかしてくれる人が優しい人
言葉にしなくても、ニュアンスやイメージがいろいろ細かく、人それぞれに出てくる。
だから「この人は優しい人だな」
ってなったときに、
自分の中の価値観や思い込みで、「こういう人だろう」というイメージ、期待が生まれるから、
自分の思っていたとおりじゃないと、「裏切られた」
「聞いてたのと違う」
ということが起きてしまうし、
「好きな人がいるんです」
と言ったときに、恋愛を思い浮かべる人もいるし、好きな人=異性と捉える人もいる。
だけど、それは必ずしも正解ではない。
恋愛だったり、異性だったりと捉えるということは、それがその人にとって何かしら『重要なこと』ではある。
だけど、「好きな人」というだけでは、恋愛とは限らないし、異性とも限らない。
それくらい、普段わたしたちは狭い世界でものを見ている。
だから前提や背景を知る、共有するって大事だし、知ること、できるだけ高く広い視点で物事を見られるようにしたいけれど。
これがまた難しいとわたしは感じるときがある。
過去は関係ないし、
過ちや罪を背負う必要はない。
未来のために生きる。
だからゴールが大事で、自分の内部表現の中で抱えている『大事なこと』が本当に大事なことなのか。
物の見方が変わると、その重要性が変わる。
その瞬間、今まで囚われていた何かから解放かれたりもする。
見えていた世界が変わる。
好みが変わることもある。
今まで良いと思っていたことが、違うふうに感じたりもする。
それが『良いか悪いか』は、その人のゴール次第である、ということ。
そういう意味でも『善悪』で物事を考える必要はないんだと思う。
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