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能ある鷹は爪を隠すけれど

何をどれだけやって、どれだけしんどくても頑張って、どれくらい変わったかとか、
自分にはこれだけお客様がいて売れていてとか。

そういうものにわたしは興味がないから、あまりそういう発信をする気はなくて。

自慢できるほどのアレでもないし。


たとえば、
『絵を1000枚描けばいいよ』
って言われて、わたしはまだまだ全然足りなくて。

そう思ったのならすぐ描けばいいのに、
紙を買わなきゃ、画材を揃えなきゃっていうクリエイティブアボイダンスが瞬間で発動する。


セルフケアや自分との向き合いなんて、どれくらいやったか、どれくらい苦しかったか、どれくらいがんばったか、そんなものは見せる必要がない。

作品と同じように見せればいいだけ。


見えない努力をする人はしているけれど、
そういったことをしていない人には、それは見えない、想像できない。


ただ、見る人が見れば、この人はやってる人だなというのはわかるものだから、ウソはつけない。

そういう怖さがわたしにはあって、言えないというのもある。

全然やり足りてないと自分でも思っているし。

だけど、全くなにもやっていない口だけというわけでもない。

………はず。


わたしは言葉でアピールするよりも、見てもらった方が早いと思うし、見てもらいたいとも思う。


表現と体現。
現実世界で体現しているかどうか、一致しているかどうかが大切で

アーティストは夢、自分自身に酔いしれて周りを泥酔させなさい。

という言葉をどこかで見たけれど、


「お前が言うなよ」って言われたくないから24時間気を抜かない。

言葉は嘘をつけるけれど、行動は嘘をつけない。
心は嘘をつけるけれど、からだは嘘をつけない。

君子は其の言の其の行いに過ぐるを恥ず

孔子『論語』憲問篇

別に立派な人間になりたいわけではないけれど、自分に恥ずかしくないわたしでありたいと思う。

だから口先だけではなく、行動が伴っていたい。


だけど逆に、言葉が行動を変えてくれたりもする。

今はできなくなっていたとしても、その言葉を『本当』に変えることはできる。

そしてそのために孤独があるようにも思う。


『能ある鷹は爪を隠す』
というけど、

鷹は鷹で、爪を隠していようが何しようが、わかる人にはわかるものだから。

敢えて声を大にして言う必要もないかと。


だけど、やっぱり、そういう声が大きい人が
多くの人にはすごいと思われたり、認められたり、称賛されたりもして

見てももらえない、というようなこともある。


それでもやっぱり見てくれている人は必ずいて。

多くの人の称賛よりも、見てくれている人をわたしは大切にしたい。

ものすごくありがたくて嬉しいことだから。

そういう感動をしていきたい。


本気だからこそ、本気でやっているからこそ、人には言えないということがある。

これからどうなるか、実現するかどうかなんてわからないから不安だし、
いっぱいいっぱいやっても、できないかもしれないし。


すべてを知りたがる人、すべてを知った気になる人っているけれど、
ひたすらに、『誰にも見せていない自分』っているからね。

SNSとかの発信だけで人や物事を見て判断して、すべてを知った気になるなよと思う。

言わないけど。

あえて言わないというかっこよさがあるから。

プレーヤー、アーティストであるなら、体現で語ればいい。


沈黙も美しいもの。


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