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わたしは変わらずここにいるよ

4年か5年ほど前に気功の先生と出逢って、初めてのセッションでいきなり相談したのが
『死ぬのが怖い』
という話だった。

今思えば、初めて相談することではないような気もするけれど、子どもの頃からずっと悩んで苦しかったから、話せて良かったと思う。


このときからわたしは
『闇を見ること』をやり続けているように思う。

「考えないようにしないと」とする方が苦しい。
そうやって隠そうとしてしまうから拗れてしまう。

脳が飽きるまで考える。

出てこなくなるまで考える。

死ぬのが怖くなったら、ただひたすらそれだけ考える。


そもそも『闇』とはイコール『悪』ではない。
闇そのものが悪いわけではない。

『悪意』というのは光の中にも存在する。

全ては『ものの見方』であり『解釈のしかた』



先生と出逢ってから、学んだりセッションを受けたり。

楽しいこともあったけど、苦しいことの方が多かったかもしれない。
たくさん悔しい思いや、イヤな思いもしてきたし、たくさん泣いた。

だからこそ、わたしの中では喜びが大きい。


苦しかったことから解放されること。
からだが緩むこと。

なにより、『わたし自身』を取り戻すこと。


今まで積み重ねてきたことは、わたしと先生しか知らない、わたしだけの宝物で。

この感情はなかなか人には伝えられないなと思うのだけど。


ただ、わたしのこういう経験がまた、誰かの役に立てたらいいなとは思う。


これは2022年9月に、ある講座とセッションを連続で受けたときのわたしのフィードバックで、
わたしはこのとき、本当に救われたと感じた。

ものすごく大きな転機のような。

そうか、もうそんなに昔なんだな、懐かしい(笑)


このフィードバックは当時、業界でもみんなビビるレベルの結果だったらしく。

「わたしのフィードバックです!」
って言っていいよって言われたけれど。

あのとき言っておけばよかったかな、なんて今になって思う。


昔できていたことができなくなって、わからなくなって。


やっと自分の感覚が戻ってきたような嬉しさと。

「また昔みたいに感じたりしたい」という、わたしの言葉に
「その域を超すよ」と言ってくれたこと。


これは、わたしが学んだりやってきたことが少しは身になってるから…だと思いたいけれど。

わたしは超せたかな。

それから、彼女がくれたFBの中で最も重要である部分。

”わたしの一つのゴールをずっと手放さなくてよかった"
という部分。

なんでもそう。
”絶対に達成する”
"絶対に乗り越える"
"やり切ると決める"

そうすれば、おのずと脳はその道へと導いてくれますし、そのチャンスは必ずやってきます。
結果として彼女のゴールが流れを引き寄せ、、そして未来へのチャンス、脱洗脳、全てを一緒に手にしたような形となりました。

2022年9月の先生の記事より引用


最後の『そして未来へのチャンス、脱洗脳、全てを一緒に手にしたような』とあるけれど。

このときの講座と施術の感動がきっかけで、タイへ行き、タイ古式マッサージを学んできた。

このときわたしは、しっかりと未来へのチャンスも手にしていたんだ。


気功はまるで乗り物のようで。
1年があっという間で、あっという間に過去が遠くなる。
それだけ自分の変化も早い、時間が稠密な感じ。


わたしは今まで気功を学んで、セルフケアに使ってきたり。

ライブ配信や講座、遠隔ヒーリングをしてきてはいたけれど、自分が『ヒーラー』と名乗ることに違和感があって。

そしてヒーリングには、少し懐疑的。

というのは以前どこかに書いた気がするのだけど。。。


スピリチュアルや、こういったヒーリングでお仕事をされている方は素晴らしい。

そういうものが当たり前の場であれば求められる。

自分でそういった場を作ることもできる。


だけどもっと外に行くと、やはり不審な目で見られることもあるし、受け入れられないこともある。


『認知科学に基づいた』や『論理』と言っても難しいものは難しい。


そして、わたしはやっぱりアートが好きだし、からだも好きで、物理寄りでプレーヤー。

とにかく、『やる』or『やる』でしかない。


ライブ配信などで教えることも楽しかったけれど、それでも、わたしがやりたいやるべきことが止まってしまうから、負担だったりもする。


それでも気功の話は楽しいから、できる人にはするけれど、『隠れ気功師』がわたしにはきっと、ちょうどいい。


ちなみに、『隠れ気功師』が「かっこいい!!」と言ってくださった方もいて嬉しいのと、最近は個別でのメッセージのやり取りで、気功の話ができるのも嬉しい。


認知科学をベースにした気功もツールのひとつ。
そのツールを使って何を表現するかは、人それぞれだからおもしろい。

絵や歌、ダンスで、モデルとして、スピリチュアルとのかけ合わせで、美容とのかけ合わせで、整体とのかけ合わせで、ビジネスで、などなど。

気功ってどんなことにも使える。
自分の才能、能力で使って発揮していけばいい。

だけど、やっぱりわたしは、物理とのかけ合わせ、こっそりと気功を入れる方がいいなと思う。


わたしは一般的には『美意識が高い』らしい。

それは、わたしの中のゴールが勝手にそうさせているし、子どもの頃からなぜかこだわりが強かった。


だからといって、みんなが同じような意識を持つ必要はなくて。

なんでもそうだけど、『正誤』や『優劣』で物事を見ないこと、考えないことが大切だと思う。


わたしは、品性や気品がある方がいいけれど、堅苦しいのは苦手だし、
静けさや落ち着きが好きだけど、イコール暗い、辛気臭いではないし、
明るい方がいいけど、うるさいのは苦手だ。


成長することを選ぶ
このままでもう十分だと思う

どちらもその人の人生であり、どちらも正しい。


ただ、物事には『タイミング』というものがあって。

出逢いや出来事で何か突き動かされるものがあったなら、それがきっと『タイミング』で。

その時また考えて選べばいい。

その時、言っていたことややっていたこと、価値観などが変わるけど、変わっていいものだから。


ただ、幼少期から積み上げてきた価値観を捨てること、壊すことはとても怖い。

『決める』ことができないときもある。

過去に引きずられてしまいそうになることだってある。


そういう変わるタイミングは、多分そんなに多くなくて。

だからこそ、チャンスも掴んでいけたらと思うし。


そんなとき、わたしは誰かにとっての『頼れるわたし』でありたいと思う。

今まではそれで苦い思いをしたこともあったけれど。


来年は『わたしは変わらずにここにいるよ』という看板を掲げようと思う。

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