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30代の学び

先日20代の学びをnoteに書かせていただきました。

今日は30代の学びについて
やったワークのまとめを書きたいと
思います。

30代の学びは環境の劇的な変化から

30代を振り返ると、東京から今いる県に戻り、
さらにアメリカ留学、また日本に帰ってくるという
住む場所の変化。
出産育児による自分を取り巻く環境の変化が
大きい10年だったと思います。



環境の目まぐるしい変化

30歳になったばかりの時は、
旦那の仕事の関係で、東京にいて、
私も東京で働いていました。
そこから31歳で、自分の出身大学の
県に戻ってきました。
旦那の実家がその県であり、最終的には
そこでクリニックを開きたいという
旦那の思いがあったので、
そろそろ戻ろうかと話して戻ることにしました。
でも私は当時病院でミュージカルをする
ボランティア団体の活動がすごく
楽しくて、自分のライフワークだ!と
思っていたので、本当に離れるのが、
悲しくて、東京から出たくなくなっていました。
夫婦で何度も話し合いを重ね、
戻ってからもそういう活動を
新たに立ち上げればいい
んじゃないかという思いになり、
東京を後にしました。

東京から戻って、その戻った年に
長女を授かり、出産しました。
毎日仕事だった日々から、
子供と向き合う日々への環境シフト。
ボランティア団体を立ち上げるどころか
仕事も産休、育休としてお休みしている状態でした。

そして長女1歳の4月から仕事復帰。
子どもを抱えながらの
仕事で、非常勤として復帰したので、
仕事の自己裁量権がほぼない状態。
それを続けながら、2人目
妊娠出産。

1人目4歳半、2人目1歳半の時に
旦那の留学について、
アメリカのボストンに1年行くことになりました。
これも大きな変化でした。
初めての海外生活。
でも、旦那の前任者の方から
家のこと、子供達の保育園のことなど
たくさんお世話になり、
すごくスムーズなスタートを切り、
有意義な海外生活を送ることができました。
気の合う友達もできて、
家族で集まったり、遊びに行ったり
本当に楽しい時間でした。
肩の力が抜けているような感覚で
楽しく過ごしていたので、旦那は
私は毎日あくせく働かない方が機嫌いいのかも
と観察していたようです。
そんなふうに満喫していたので、
1年で帰らなければならないと
なった時に、戻りたくない思いに・・・
帰国してからも逆カルチャーショックに
苦しんでましたね。
でもそうも言っていられないし、
アメリカで結構楽しむことは楽しんだから
ここからはまたしっかり働きたい思いが
むくむくと出てきたので、帰国後1ヶ月で、
非常勤でなく、一般病院の常勤として
働き始めました。
そうすると、常勤で自分の外来を
持って患者さんの治療にあたれることが
とても嬉しかったんですね。
逆カルチャーショックを吹き飛ばすこと
ができました。
そしてその一般病院は
空きが出てしまった半年という約束だったので、
次の4月からの希望に
やはり一般病院の希望を出しました。
子供の保育園からも近く、常勤で働けるところ
は当時限られていたので、ここなら
以前子育て中の先生が頑張ってやっていたという
前例がある病院を希望に出しました。
さらにそこそこ忙しい病院だったので、
週4日もう一人子育て中の女医さんが
一緒に働いてくれることになりました。
忙しかったけど、自分が部長として
責任を持って外来を回していくことを
学ぶことができました。

この目まぐるしい環境の変化からの気づきは
自分は人見知りだけど、最初を
乗り越えれば、楽しむことができる。
自分は結構いろんなところに
飛び込んでもやっていけるのではという
ことでした。
さらに得たスキルは英語でも物おじしない力
環境適応能力、柔軟性です。
手に入れたセンスはこの場所は自分に
あっているかもしれないという審美眼
です。


出産・育児

環境の変化の中に出てきましたが、
もう一つの学びは、出産育児。
私は、専門医を取ってから出産したいと
いう思いがあったため、
専門医とってから妊活しようと
旦那とも話していました。
専門医取得できたのが、医師5年目なので
29歳です。
その後から色々やりたいことで
先延ばしにしてたけど、30歳から
妊活して、32歳で長女を出産しました。
気づきとしては、
自分の子どもを愛おしいと感じる感情とか
人を育てる難しさ、楽しさ、
人の手を借りるのは悪いことではない
という思い、色々ありました。
たくさんのことを子どもからもらい、
気づかせてもらったと、ノートに書き留めて
いて改めて感じました。
その中で仕事と子育ての両立は本当
ワーママの最大の課題で、
そこを仲間と乗り越えたいという
思いから、子連れで参加可能な
勉強会などを立ち上げたりしました。
ここでも20代の時のまとめに書いたように、
仲間と一緒に何かをやる、
乗り越えたい
という思いがあったのかな
と思います。
身につけたスキルは
子どもとの接し方です。
診療でも子ども産む前より断然
子どもの診察がやりやすくなりました。
センスは自分の子どもに向いていそうな
ものを見つける観察眼、環境づくり

気がします。

ボディポテンシャル

ボディポテンシャルという
ヨガというか、体の動きを学ぶ
体操のような講師資格を
2人目出産後に取得しました。
きっかけは、2人目妊娠中に坐骨神経痛に
悩まされていたことが、
ボディポテンシャルをやることで、
改善したという体験にありました。
2人目妊娠中期くらいから、
坐骨神経痛に悩まされて、後輩から
「まだ妊娠後期じゃないのに、
先輩歩き方がすごいですよ!」
と指摘されるくらいでした。
産婦人科の主治医の先生から
骨盤ベルト勧められて巻いていても
全然改善しませんでした。

産休に入って、やっと
1人目産んだ後にしばらくマタニティビクス
で通っていた先生のところに行って
その話をすると、じゃあちょっと
動かしてみましょうと、
その体操をやって、するりと治ったのです。
その驚きから、自分もと思い、
資格を取りました。
この学びで得られたスキルは
自分の体の整え方です。
ゆっくり、痛くない範囲で動かす
運動だったので、ゴキゴキ動かすことだけが、
いいわけではないということを知りました。
センスは自分の体の動かし方に少し
元々センスがあったかもと気付いたかなという感じです。
(うまく言えない、すみません。)

一般病院の部長として勤務できたこと

環境の変化のところで、
希望して一般病院の部長として勤務したこと
を書きました。
この病院は皮膚科の中では少し特殊で
糖尿病性の足病変を沢山見る病院でした。
今まで皮膚科医として
診てはきましたが、ここまで沢山みる
ことはなかったですし、
皮膚科なのに、骨までアプローチしていく
ような手術を経験させてもらいました。
なかなか治療していくのに
難しい分野ではありましたが、
血管外科、放射線科の先生と協力して
みていくことに、使命感を持ち
やりがいを感じていました。
さらに部長を経験させてもらうということは
旦那とクリニックを一緒にやる前に
どうしても自分がやりたかったこと
だと行ってから感じました。
父が開業前に部長を経験して
学ぶことが沢山あったと言っていたのが
頭の中に残っていたのだと思います。
この病院にいる一年は、
長女が小学一年生、長男が年小だが、
保育園から幼稚園へ転園、旦那一足先に
開業という目が回るような1年でした。
でも、なんか負けず嫌いの私は
ここでペースダウンしたら、
ダメだみたいに思って、
敢えてしんどい道を行ってやる!
みたいな気概を持っていました。
しかし、その1年の間に3人目妊娠
という出来事もおき、
2年勤め上げる予定が、産休に入ってしまい、
10ヶ月しか勤めることはできませんでした。
乳飲み子含めての3人育児しつつの部長は流石に
難しいだろうと、後を引き受けて
くれた後輩が快く提案してくれ、
本当にありがたく、後をお願いしました。
ただ、その後輩に対しては本当に
感謝しかないのですが、
自分に対しては、たとえ3人目産んでも
戻ってやり遂げねばと思っていたので、
やり遂げれなかった自分を少し責める
気持ちはありました。
ただ、数年経った今では、
その出来事や思い含めての人生だし、
いい経験だったと思います。
ここで得たスキルは、
虚血肢(皮膚や組織を生かすのに必要な
血流が乏しい四肢という意味)に対する対応
です。
センスは虚血肢に対する治療方針決定に
置いてその人のQOL、生き方などを
見据えて相談に乗る力です。
本当に、たくさんのことを学ばせてもらった
病院でした。

30代学びのまとめ

30代は本当に環境が揺れ動いた時期で
20代の時もあげたように
環境に柔軟に適応する力が一番大きいスキル
だと思います。
あとは、
体の動きに対する興味があり、
学び続けている
という特徴もある
と思います。
また仲間と共に何かに取り組むことが好き
言えるかなと感じました。

30代の学び、長々と書いてしまいました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
学びの引き出しを整理、
新たな学びを選び取るために
このnoteにも書かせていただきました。

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