それぞれの生き方
私達は子供を作らないという道を選んだ。
一緒になった時点で互いに旬を終えていたし、
何年も前から間違いすら起きない関係性。
義両親は、既に孫がいてそっちに興味が向いているのと、「自分達の初めての子」に関心が無いと言う変わった人達なので、私としては自分の両親の気持ちに応えられない罪悪感だけ背負えば良いと思っていた。
同じ年に籍を入れた妹夫婦にも全くそのような気配がなく、私の妹だしそんなもんだろうな位に考えていた。
私が体調を崩しがちになってから2人で出かけることが増えた。
自分からは絶対誘わないタイプの姉と、わがままマイペースな妹。
「何してるの?ヒマ?」
と、素っ気ないように見えるLINEだけど、
向こうがが退屈しているのと、私を気にかけてるのが伝わってくるのだから姉妹というのは不思議なものだ。
先日、母にオットの仕事が忙しそうだと愚痴った話を聞いたのだろう。
体調が安定している内にと先伸ばしにしてきた家の事を一気に片付けていて、うっかり昼食をとり損ねた私の事をどこかで見ていたのでは?というタイミングで今日も素っ気ないLINEが届いた。
だいぶ遅いランチを食べながら、同じ姓だった頃よりも多くの言葉を交わす。
歳が離れすぎている訳ではなく、同じ血を分けた者に共通する「性質」によるものだったなと、今となっては考える。
歳を取ると丸くなるもので、なんだかんだで兄弟が近くに住んでいて良かったなと思う瞬間でもある。
そんなこんなで長年に渡って互いの間に存在していた溝と言うのか、微妙な距離が縮まり、親の事や実家の事、互いの健康についてなど色々と話せるようになった。
物理的に距離が近いと、人というのはなかなか自分の心の奥を見せられなくなるという面倒な生き物だ。
それでもあまり多くを語らない私に対して、同居する両親との事や仕事の愚痴、自分の体調への不安など色んな事を話す妹は本当に同じ親から生まれたのかと思うくらいに性格が真逆で実に面白い。
そんな中で時折出てくるのが、最初に書いた「子供」の話だ。
私は身内の誰にも自分のセクシュアリティ、クィアであることをカミングアウトしていない。
それでも、親にはわからない兄弟の間にある、言わなくてもなんとなくお互いが何を考えているのか分かるという不思議な感覚で、私の選択肢も何となく分かっていたのであろう「ねーちゃんらしいよ。」という返事が返ってきた。
私がハッキリとそう決めたのに対して妹は成り行きに任せると、面白い位お互いが真逆なのにどこかで繋がっている不思議さを体感するのである。
そんな会話を何度かしていくうちに自分の中にあるマイノリティに対して後ろめたさや、カミングアウトの義務感から徐々に解放されていった。
今日も一緒に今でも大好きな子供用のおもちゃ売り場をあるきながら「仮に私に子供が出来たら、このキャラクターで揃えるんだ♪」
と楽しそうに話す姿を見て、私は私の人生を、そして私の今この瞬間を自分らしく自分の気持ちのままに過ごそうと、少しだけ丸まっていた背筋が伸びるのでした。