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不登校の親と子の「このままじゃダメだ」のタイミングについて

◯不登校の子どもを持つ母親支援に関わる立場からの雑記です。

私は数年前から、不登校の子どもを持つお母さん向けのLINE相談の支援員を担っています。

LINE相談って、どんな方が利用されるイメージがありますか?

支援員になる前、私は「うちの子が不登校になったんだけど、どうしよう?」と考え始めた人が利用するかもな、と考えていた時期がありました。というのも、商品やサービスに関するLINE相談を利用するタイミングって「検討段階」というイメージがあったからです。

でも、実際は違いました。

子どもの不登校について、担任の先生も、スクールカウンセラーも、病院も親族もみんなに相談しきって、それでも意味深いやり取りを得られなかった人。

子どもの不登校を誰にも相談できず、学校や周囲からのプレッシャーで押し潰された人。

子どもはいったん不登校状態を脱したけれど、「いつまた不登校になるか」と不安に喘ぐ人。

徹底的に悩み抜いて、ご自分をすり減らして、もう限界という人が最後にたどりつくのが、LINE相談という場の特徴の一つです。

※ 誤解してほしくないので強めに注釈してしまいますが、そういう人だけが利用しているわけでも、そこまで追い詰められた人しか利用してはいけないわけでもありません。どんな方にも門戸が開かれているのがLINE相談のいいところです。そこにいらっしゃる方の中には、LINE以外の場(つまりは物理的な生活時間)での支援に行き詰まった方も(私の想像以上に)多いという意味で、「特徴の一つ」とお示ししました。

お母さんたちは、虚無の心を持たれている方もいれば、まだやらなきゃいけないことがあるに違いないと奮起していらっしゃる方もいます。どちらも深い疲弊を抱え、それでも子どものために生き続けようとなさっている。
極限状態のお声に触れているうちに、子どもが不登校になった後のお母さんの心の変遷、心理的な道のりに私の心が向いていくのを感じました。

子どもが不登校になったあと、お母さんはどんな心理的な変化の道のりを辿るんだろうか?

これには、日本の先行研究が2件あります。
(もっとあるかもしれないのですが、近年でダイレクトなのはこの2件かなという主観です)

一つは、小嶋先生・田中先生が2020年に発表された、『子の不登校を経験した母親が相談機関につながるまでの行動と心理的変化過程ー複線経路・等至性モデル(TEM)による分析ー』です。


ここでは、子が不登校になった経験を持つ母親4名の語りをTEMで分析し、時系列的な大きな道のりとしてラベル付けして捉えています。

曰く、
子が不登校になると、母親は動揺し、「なんで学校に行かないのかな?」と不登校への疑問を持ちつつ、子どもへの接し方に悩みます。学校や他者からの関わりにより不安と焦りを抱え、学校の対応に失望したり、心理的な不安定さを感じます。そして、子どもの将来・生命への不安から「相談したい、でもできない」という不安と回避の時期を経て、「なんとかしないと」と発起して、相談機関につながろうと試みる。そこで安心できる体験をすることで相談機関につながり、子どもの不登校に関する閉鎖的な状態を脱するのです。


もう一つは、工藤先生が2023年に発表された、『子どもの不登校に伴う母親の変化のプロセスの検討』です。

ここでは、同じく子が不登校になった(後で高校進学を機に不登校の状態から回復した)経験を持つ母親9名の語りをM−GTAで分析し、第Ⅰ期から第Ⅴ期のストーリーラインとしてまとめていま
す。

第Ⅰ期は「どうして?」という思いを中心とした動揺期です。子の不登校状態が続く中で「どうして?」という疑問への答えが出ずに、母親は心身ともに疲弊していき、不登校の原因として「自分のせいで」と自責の念を持ったり、当事者である子や他者を巻き込んだ対立構造を呼び込んだりもします。第Ⅱ期で母親は「行かない」という事実を受け入れた母親は、第Ⅲ期で「行かない」事実を受け入れた後の日常を過ごします。子どもの外的な具体的な変化がわかりにくい状況において、母親は自己洞察を深めていくこともあれば、変化のわかりにくさに不安を高めていくこともあります。
第Ⅳ期、高校受験が近づき、進路決定の準備が始まります。このタームでは、これまで持ってきた進路の不安に対して一定の見通しが持てるようになり、その側面では気持ちが楽になっていきます。一方で、合格できるのか、合格後も不登校になりはしないのか、といった新しい不安が胸を占めることもあります。そして、第Ⅴ期で、かつて不登校であった我が子が高校進学を果たしても、母親は「不登校経験に基づく特有の心配」を感じるという経験をすることが示されます。

工藤先生はこの論文と関連して、支援方法の検討についても論文を発表されています。これは自分の所属するLINE相談でも参考にさせていただきました。



2つの先行研究では、不登校が始まったところから分析が始まっている点と、子が不登校になった当初の「動揺」「どうして?」という母親の思いが共通しています。

これは思うに、母親にとって不登校は「始まり」であるということなんですよね。
そして、悩みや葛藤を経て、「どうにかしなきゃ!」と発起すると相談したり、進路選択へ動いたりといったステップへと進んでいく。

もちろんこのステップの前にも、進展が目に見えないような多くの変遷を経ているわけですが、「どうにかしなきゃ!」と思った時に進む一歩は、進展として目に見えやすいものになりやすいと私は思います。

一方で、子どもにとって不登校は「最終決断」であることが多いように思います。
個人内の葛藤、生育歴・家族歴、学校・家族との対人関係、他者との比較による自己像の変化、環境との不適合などなど、個人の心身の特徴、育ち方・生き方、社会文化的な環境面等が複合的に作用して、「不登校」に至る前に子どもの内面は混乱を極めているように思われるのです。ぐちゃぐちゃの洞穴と化したところから「どうにかしなきゃ!」ともがき続けて、どうにか手にした1つの決断が、「不登校」なのではないでしょうか。

「不登校」は、母親にとっては「始まり」で、子どもにとっては「最終決断」である。
どちらも「どうにかしなきゃ!」という思いのもとに一歩を踏み出した結果の、目に見えやすい進展である。

この、相違点と共通点がないまぜになって、お母さんの主観からは一定期間子どもが見えにくくなるのかもしれないな、と私は考えています。そういう時期はお母さん自身のことも自分で見えにくくなって、母子で暗闇の中で抱き合うような心的状態になることもあり、また暗闇のせいで自分が子を抱いていることすら見失うこともあるように思われます。ふたりきり、ひとりきりの状態。この文章を打っている私は、地震などで倒壊した瓦礫に閉じ込められているような像をもっています。

それが長く続いたところで、もしかしたらお母さんはその手にスマホを握っていることに気づくのかもしれません。
そこからLINE相談を見つけ、画面に思いを語ってくれるのだとしたら、私たちが担う役割は単なる「話し相手」ではないな、と思うのです。

それぞれのお母さんの状況はそれぞれに違うので、「LINE相談で支援員はこんな存在であれ」と定義する言葉は見つけられませんし、そういう理想像が関わりを規定しすぎる場合もあるように思われます。構えすぎると「支援員だけでどうにかしなきゃ!」などと私なら思っちゃいそうで、それは違うな、という感じです。



ちょっと着地点が見出しにくいことを書き連ねてしまいました。

このへんは、自分の人生をかけた研究テーマでもあります。最近読んでる本がなかなかテーマにストライクで、研究メモがいっぱい貯まりました。

母性自体がどう発達するのか、ということにも興味があります。発達心理学の教科書によく載っている分離ー個体化の時期だけでなく、児童期〜思春期〜青年期の子を持つ母親の「母性」についても、まずは書籍から枠組みを見出せたらいいなと思って母性看護学の本を読んでいます。このへんは看護学や助産学の方が強そうなので、どうやって手を出そうかなあと壁の高さを感じていますが…どうにか手探りで、入学前に触れられる可能性には多めに触れておこうかなあ



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