弱い性格を20年かけて変えることができた話
なぜか僕の周囲には、「変な人」が多かったです。
学校で。
他人を傷つけないおとなしい性格だったので、なぜか知的障害のある子のお世話係をやらされました。アルマイトの食器に無造作に盛られた玉ねぎ入りのポテトサラダが食べ物に思えなくて、残したら居残りで食べさせられました。弱気な性格のせいか転校した先ではいじめられたし、子供時代は性格のせいで損をしてきたと思います。
職場で。
就職してもなぜか変な上司にばかり当たって、社員旅行でやったこともない囲碁の相手をさせられ、お前は下手だと言われたり、言葉の通じないフランス人のお世話係をさせられたり。仕事部屋で大音量でジャズをかけないと仕事ができない先輩と同室にさせられたり。要は、変な人は僕に押し付ければ良いと人は考えていたようです。
勉強や仕事が嫌いだったわけではなく、「変な人」を押し付けられる自分が嫌だった。他人のおかしな価値観に逆らえない自分。それが僕の不幸。
嫌いな給食を食べさせられそうになったなら、食器ごとを投げ捨てて夜の校舎窓ガラス壊して回ればよかったのか。
囲碁でバカにされたなら、碁盤で上司の頭をかち割ればよかったのか。
うるさいラジカセなど窓から投げ捨ててしまえばよかったのか。
そうすれば、面倒を押し付けられることも減ったに違いない。
おとなしい子であり続けたことで、世の中のいろいろな面倒を押し付けられ、心の中に不満が溜まり、怒りとして積もっていきました。そろそろ人を殺してしまいそうになるほどの怒りを溜め込んで、実際に自殺を試みた時、僕は他人を意識するのをやめようと思いました。このままだとやばい。
もともと他人の顔色を伺う性格が原因ですから、それをリセットする必要がありました。他人の顔色ではなく、自分の欲を見つめ、それに従うことから始めました。「倫理観」を捨て、欲望に忠実に生きること。他人に迎合する自分の価値観からはずれた生き方の実践。その結果、医師から下された双極性障害という病名。僕は、正常の範囲を逸脱するのに成功したのです。
その反作用として、頻繁に起きる不安発作が僕を苦しめました。自分は悪いことをしているから、社会から疎外されるだろう。家族や友人を失って孤独になっていくだろう。でも、意識的に他人を「害悪」として認識し、機械的に処理する訓練。人間であることをやめ、別な動物になっていく努力を20年ほど続けた時、ふっと心が軽くなるのを感じました。
その結果、、、
他人を意識することが減り、思った以上に生きるのが楽になりました。ただ、別に悪い人間に変わったわけではなく、むしろ優しいと言われるようになりました。「変な人」はほぼ周囲から「いなく」なりました。というか、いても無視できるようになりました。そして、変な人にきちんと嫌いなことを伝えられるようになりました。
利己的に振る舞うことは、間違ったことではないと思います。意味もなく他人に合わせることのほうが間違っていて、それは変えることができます。孤独さえ恐れなければ、他人はただ利用するために存在すると割り切ってしまうことができます。そうして利用されるだけの人生を、自分で変えていくことができます。強くなるというのはそこから始まるのだと思います。