何のライターでもないわたし。
日記のような短い短いエッセイを書きました。
いつも愛と敬意を
テレビ番組『ジョブチューン』のスイーツジャッジ企画をやっているとついつい見てしまう。わたしの場合は、スイーツや合格数が気になるというより、パティシエの鎧塚さんのコメントを聞きたくて見ているようなところがある。以前、Amazonプライムビデオの『ベイクオフ・ジャパン』にハマったのだが、その審査員も鎧塚さんだった。参加者たちの作るスイーツやパンに対する厳しく優しいコメントにわたしは心を打たれた。鎧塚さんのコメントには、いつも愛と相手への敬意がある。褒めるときも、ダメ出しをするときも。あぁ、わたしも鎧塚さんにジャッジされてみたい(何を)。わたしは鎧塚さんのような立派な人ではないけれど、たとえばふだん人の文章を添削するお仕事をするときも、それって何より大事なことかもしれない。どんな状況であっても、相手への愛と敬意を忘れないでいたい。
夫の日記
夫が小学生のときの絵日記が出てきて、そこになかなか汚い字で「餅つき大会で、一番最後の〇〇くんが餅をつく音はとてもいい音でした」と書いてあり、あぁなんだかすごく夫らしいと感じたのと同時に、この感性がすてきだと思った。たのしかったですなんて書いてないのに、たのしかったんだろうとわかる。なんだか詩があっていいね、と褒めると「え、どこに?」と夫は不思議がっていた。
何のライターでもないわたし
わたしってちっとも専門性のないライターだなと凹む。「この分野なら任せてください!」と言えるようなジャンル、逆に言えば「この分野なら望月さんだよね」と名前を挙げてもらえるようなものがない。実はそれがわたしのコンプレックスだったりする。会社員だった頃から、さまざまな人に取材やインタビューをさせてもらって場数はある程度踏んできて、まとめ切る力はついたと思うけれど、「この分野についての原稿なら誰にも負けない!」と胸を張れるものはいまだに見つかっていない。それはなぜかと言うと、わたし自身に「どうしてもライターとしてこれが書きたい!この分野を突き詰めたい!」というものがないからなのだと思う。情けないね。これだけAIも進化している中で、今後もライターとして残っていくことを考えるなら、何でも無難に80点を取れる器用なライターではなく、どこかの分野において圧倒的な知識や熱量を持って周りをぶっちぎれるようなライターを目指すべきなんじゃないか。ライターとしてのわたしは何を書きたいのだろう。それを見つけることが今の課題。
みっつのケーキ
週末。心身お疲れモードだったわたしは、「ケーキ屋さんでケーキを買ってきて!」と夫に頼んだ。「マスカットがたっぷりのったケーキがたしか売られていたはずだからそれをお願いね」と送り出したところ、ケーキ屋に着いた夫から電話がかかってくる。「マスカットのタルトとケーキがあるけど、どっちにする?」と言うので、それだけのことなのにとても迷って、一度電話を切って落ち着いて考えて「迷ったけどケーキにする!」とLINEで答えた。夫がさげて帰ってきたケーキの箱の中には、夫が食べるケーキと、マスカットのタルトとマスカットのケーキの両方が入っていた。泣いた。
おわり