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「利他」を捉え直したら…


最近、少しだけ仏教に興味を持ち始めているhanao *です。

仏教用語に「利他」という言葉がありますが、
この言葉の捉え方がなんだか思ってたのと違うぞ。という気づきが最近ありまして、
少し心が軽くなった気がしましたので記しておきたいと思います。

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「利他」という言葉が日本で用いられたのは、どうやら9世紀初頭で、真言宗の開祖空海と天台宗を広めた最澄によってだったとのことです。

最澄が唱えた「 忘己利他(もうこりた) 」は、
自らの立場を忘れて困難や苦しみを引き受け、よきことを他者に手渡していきたい、という悲願です。

一方、
「自利利他(じりりた)」を説く空海は、自分と他人のつながりを軸にすえ、「修行で自己を深めることと他者の救済は一つである」といいました。

これを知って気づいたことは、
わたしはこれまでどちらかというと、最澄さんサイドの「利他」しか知らなかったんだなということでした。

自分のことはさておき、他人に尽くすのが人として美しい姿だ、
これがこれまでのわたしにとっての「利他」の解釈でした。

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ところが、先日
「自利(修行を積んで自らが得た結果)が拡大して利他になる」
という空海さんサイドの概念を耳にしまして、

おぉ、なるほど〜!!

と、ちょっとした感動を覚えたというお話をしたいと思います。

もうちょっと詳しくお伝えすると、
まず
自分が学ぶなど(行い)によって智慧を得るなどして満たされた状態になると、
周りの人にもその智慧を伝えたくなる
または知りたいと思う人が現れる
そして、
周りの人たちにも良い変化が起こってくると
もっと多くの人たちに伝えたくなる

そうやって、
内から外に向けて良い循環がどんどん拡大していくと
それが結果的に「利他」の状態になる 
ということらしいのです。


自利が拡大して
利他となる

これ、めちゃくちゃいい!と
なんだかニヤニヤしてしまいました。

そして、さらに注目すべきだと思ったのが、 
「自分が学ぶなど(行い)によって智慧を得て満たされた状態になる」ためには、

これを学びたい!という自分自身の欲や願望が必要だし
学ぶことによって、これはすごい!と自分自身が感動することに尽きる!!ということです。

単にインプットだけして感動もなければ、
人に伝えたいという意欲も湧きませんし、無理矢理にアウトプットしても伝わりません。

つまり、自分をちゃんと満たすために
やっぱり自分の欲や願望を無視しないことが大大大前提だということです!(以前の「欲」に関する投稿につながります🫶)

自分の欲や願望を叶えることは我儘ではなく、
そこに忠実に向かうことで感動が生まれ、
そこから良い循環が派生して、周囲の利益やしいては社会貢献にもなる

自分の欲や願望は言わば社会貢献の種🌱
みたいなものなんじゃないか
というイメージまで湧いてきました。

そのくらい自分の望みを大事にしていいんだよ
と、また一つ自分を肯定された気持ちになりました。

ごくごく小さなことでも、
この循環を感じながら過ごしていきたいな〜と
「利他」の捉え直しから感じました☺️




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