最近、少しだけ仏教に興味を持ち始めているhanao *です。 仏教用語に「利他」という言葉がありますが、 この言葉の捉え方がなんだか思ってたのと違うぞ。という気づきが最近ありまして、 少し心が軽くなった気がしましたので記しておきたいと思います。 ⑅︎∙︎˚┈︎┈︎┈︎┈︎┈︎┈︎┈︎┈︎┈︎┈︎┈︎┈︎˚∙︎⑅︎ 「利他」という言葉が日本で用いられたのは、どうやら9世紀初頭で、真言宗の開祖空海と天台宗を広めた最澄によってだったとのことです。 最澄が唱えた「 忘己利他(
なんかモヤモヤしている時、 わたしは一体なにがしたいんだろう… こんなんでいいのかな? もっと〇〇しないと! この先どうなっていくんだろう… と、漠然とした不安が次々に頭をよぎり、負のスパイラルに陥ることありませんか?😶🌫️ わたしはすごく心当たりがあって、 不安になる時はだいたいこんな風に いつの間にか引きずり込まれています… そんな時、意識してみるとよいと思ったのは 現状を否定しないことです。 モヤモヤを感じた時に、 現状の否定から入る(あれもこれも上手くい
小雨の中、散歩しました シャカシャカ 上着が擦れる音 川の流れを見つめてふと立ち止まると ポツポツポツポツ 傘に雨粒が落ちる音 音の切り替わる感じがおもしろかった いつも通ったことのない並木道に入ってみる ここはどこ?どこへ行く? わからない 馴染みのない住宅街から通りの道が見える あそまで行ってみよう なんだ、そう知らない道でもなかった
皆さんにとって、 「欲」ってどんなイメージですか? 普通にあるもの? 卑しいもの? きっと人それぞれですよね。 だけど、特に日本では仏教の影響もあるのか、「欲」がないことに美意識をもつ傾向があるのではないでしょうか。 私自身も「欲」に対しては、世間一般的な見方と同じようにネガティブなイメージを持っていました。 "欲張りはみっともない" "欲のない清廉な人になるべきだ" いつもどこかでこんな言葉を繰り返し耳にしているうちに、「欲」に対するネガティブなイメージが確立され
世間一般的にネガティブよりはポジティブの方が良いこととされていますが、 これまでのわたしも、ネガティブはいけないこと、どんな時もポジティブであるべきだという信念のもとで生きてきました。 "失敗や間違いを起こしても、そこから学んで次に活かせばいい" "大切な人を亡くしても、このことがわたしに教えてくれていることは何だろう" こんなふうに、起きたネガティブな出来事をすぐにポジティブな方向に解釈し直して、前を向こうとするのがこれまでのわたしの性質でした。 ネガティブな状態で
わたしの母の口癖は、「人生って、なかなかうまくいかないもんだね…」です。 母はどちらかと言うとポジティブなタイプだと思いますが、誰かの苦労した話や悲報を耳にすると、昔から決まって二言めにはこう言うのです。 なので、わたしも小さい頃から、"うまく行かないことがあるのが人生だ"と思って生きてきました。 子どもの頃は親の言うことは絶対的な影響を持つので、これが世の常なのだと思っていました。 それが、ここ数年の間に人の思考や感情にフォーカスするようになり、ようやくこれは母の口癖で
突然ですが、おそらく私は完璧主義です。 今はそれをやめたいと思っているのですが、 少なくともこれまでは、完璧主義に大いに心当たりがあります(笑) 私は大勢の前で自分の意見を言うのが苦手で、子どもの頃から授業中に発表することが大嫌いでした。 大人なってからも、職場の研修等でのグループワークやその発表という一連の流れが本当に嫌で、いつも憂鬱に感じていました。 それも、きっとどこかで"みんながなるほど〜と感心できる意見を出さなくてはならない"、"しょうもない意見を言ってはいけ
新卒からおよそ20年間、仕事に行くのが当たり前だったのに、退職をしてからは、生活の大半を占めていた部分がすっぽりとなくなってしまいました。 自分で選んだことではあったけど、それは何もしていない自分と向き合う日々でした。 仕事をしていないのだから、ストレスなんて溜まるはずがない。疲れるはずもない。 そんな風にいつも思っていたけど、結論を言うと、何もしていなくても生きていれば普通に疲れるし、ストレスも溜まりました(笑) これまで、ストレスがたまるのも疲れるのも全部仕事のせい
わたしが退職を決意するまでに どんな感情があったかというと、 その一つが「罪悪感」です。 用語を検索すると 「社会のルールや道徳的な規範から外れた行動を取った時に自分を責める感情のこと」 と、あります。 具体的にどんな「罪悪感」があったかというと、 1.親に進学させてもらい看護師になったのに、今後看護師をしないかもしれないことは親を悲しませるのではないか 2.せっかく看護師免許を持っているのにそれを活かさないのは、社会のためにならないのではないか 3.新卒からお世話に
退職を決めたことを 同期や先輩方、友人などに伝えると、 よくかけられる言葉がありました。 「勇気あるね…」 こう言われると、 どういうふうに受け取ったらよいのか、どこか複雑な気持ちになる自分がいました。 「よい決断をしたね」というよりも、 「思い切ったことをしたね」と言われている気がして、重大な判断ミスを犯してしまったのではないかと不安に感じていたのです。 退職に勇気は必要か? わたし自身の感覚としては、 少しずつ価値観が変わっていく中で、 退職することが選択肢とし
前回の投稿では、 "わたしは何かを生み出したかったんだ"と 気がついたと書きました。 退職が頭にチラつきはじめた頃から いつしか私は、 クリエイティブな職業に羨望の眼差しを向けるようになっていました。 自分のセンスを活かして 素敵な花束をつくるお花やさん、 独自のスパイス配合で斬新ながらクセになる カレーを提供するカレーやさん、 個性や髪質、骨格を活かして無限通りの髪型を造形する美容師さん、 自分の感覚やセンスを活かして人を喜ばせる職業がわたしの憧れとなりました。 し
就職し始めの頃は学生の延長のような気分で、職場で出された課題に取り組むことになんら違和感を持っていませんでした。 "仕事は辛いもの" "お金は簡単に稼げない" だから、 つらいとしても、こんなもんだよね、 望みを言ったらキリがないし、 給料が安定しているだけでもありがたいよ くらいの感じでした。 勤続年数を重ねると、管理職として声をかけていただけることもありましたが、 少しずつ労働環境に違和感を感じるようになっていたわたしは、 自分がやっていてあまり楽しいと思えない
はじめに。を読んでくださった皆様、 ありがとうございます。 ここでは、タイトル通り なぜ、およそ20年勤務した職場を離れようと思ったか について書いていこうと思います。 私はわりと大きな病院の看護師、助産師をしていました。 看護業界ではよく言われることですが、 人手不足なのに業務量は増えるばかり、 勤務中は業務をこなすことに精一杯で 患者さんやご家族と向き合う時間も、精神的余裕もあまりないというのが正直なところです。 そんな中、自己成長も当然に求められ、 休日返上で看
はじめまして。 hanao*と申します。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 一度選んだ職場を一生辞められるはずがない 人間関係もお給料も悪くない職場を辞めるなんて常識ではあり得ない 何事も一生懸命に努力するべき バリバリの安定志向で生きてきた自分 医療職で人の役には立てているかもしれないけど、なんか自分は満たされない。 頑張っているのに人生全然うまくいってる感じがしない。。 でも仕事はやらなきゃいけないし、責任は増えるし、人は足りないし疲れるし、 どこに突破口が