また会えるなら
酒が好きで、話が好きで、収集が好きで、何よりばーちゃんが大好きなじーちゃん。
じーちゃんとの別れは突然でした。
私が高校を卒業して家を出た頃、ばーちゃんは病気にかかり、徐々に全身の自由を奪われていきました。毎年正月に帰省するたびに何かができなくなっていくばーちゃんを見るのが辛かった。
何年かして、介護施設に移り、帰省してもお見舞いに行った数分しか会えなくなり、そんな大切な数分さえも、ばーちゃんをちゃんと直視できなくて、お見舞いが億劫になってしまいました。
闘病から約7年、ばーちゃんは亡くなりました。とても細く小さな身体でした。
ちゃんとお見舞いに行かなかったこと、とても後悔しました。
それから一年と少しして、じーちゃんが突然倒れ入院しました。
ちょうど年末年始で帰省予定だったので、いつも通りの帰省中、お見舞いに行きました。
半年前に会った時と比べかなり弱って会話もままなりませんでしたが、何故か大丈夫な気がしました。また帰るときにお見舞いに行き、声にならない声で「気をつけて帰れよ」と横になったまま手を少しだけ上げてくれて、別れました。
それが最期でした。
大好きなばーちゃんを追いかけるように、じーちゃんも突然逝ってしまいました。
いや、突然ではなかったのかも。
ばーちゃんが亡くなってからの一年と少しの間、とても寂しい長い時間を一人で過ごしていたのかもしれません。
お葬式で、ばーちゃんが施設に入所してから亡くなるまでの間毎日お見舞いに行っていたことを知りました。
涙が止まりませんでした。
ばーちゃんの時も、じーちゃんの時も、亡くなってから何週間も泣き続けました。
もっと一緒にいて話をすればよかった。話をしたかった。
じーちゃんは、よく私の姉や、私の結婚を心配していました。身内のあるあるだと思っていましたが、姉が結婚したとき、旦那さんのことをとても気に入り可愛がり嬉しそうにしていました。それをみて、きっと自分の結婚がとても幸せなものだったから、私たち孫にも、自分が買ってよかったものをお勧めするように、結婚っていいよーってお勧めしていたのではないかとおもいました。
じーちゃん、ばーちゃん、どんな人生でしたか。
私が孫でよかったですか。
大学まで会いにきてくれたの嬉しかったなあ。
二人のこともっと聞いてみたかったなあ。
結婚して旦那さんとひ孫を見せてあげたかったなあ。