旧知の友のように | Kii
以前、長年変わらないインテリアの嗜好について書いたけれど、衣服の好みもほとんど変わりがない。
体つきの変化で選べる範囲は狭まりつつも、選びたい素材や色合いは同じままだ。ワードローブはリネン、コットン、ウールで占められている。
現役で着ている服は学生時代からのものもあって、おそらく一番の古株はZuccaのコットンニット。ごくシンプルながら、首の詰まり具合や袖口のリブの長さが絶妙で、これを上回るものに未だ出会えず、手入れをしながら大切に着続けている。
確か1万円くらいして、当時の私にはとても高価だったにもかかわらず、ネイビーとブラウンの一方をどうしても決め難く、デパートの片隅で散々悩み尽くした末に、奮発して2枚とも購入した。
袖を通しはじめた時、しっくりきたものを選択することは正解だったと確信し、以来、同じもので迷った時には色違いで購入することも厭わなくなった。
このエッセイを書いている今履いているパンツは、素材や色違いを買い足してきて今では8本に。これはさすがに少々変わり者だろうか。
日々において服を選ぶ時、恵まれた身体のフォルムやバランスとは言い難いなりにも、どう組み合わせれば気に入った装いになるだろうといつも考えてきた。
勤めていた頃は職務上、少しタイト目の服にヒールを履いていたけれど、それでも日常着は着心地の良さとシンプルさを軸に、帽子や巻物をアクセントや差し色にしたり、バッグも含めてバランスを考慮するようなコーディネートを心がけていた。
限られたアイテムの中でもささやかに吟味をして身体に纏ったものは、コンプレックスで気配を薄くしていた私を、ほんの少し濃くしてくれていたと思う。そして気に入った服を着ていると、大げさでなく世界は違って見えた。
近頃は、どう装おうかと外側へ意識を張り巡らせるよりも、どうありたいのかを求めるようになってきている。衣服の力を借りようと手を伸ばすのではなく、まずはこの身のままで内側を深めたい気持ちが勝るようになった。
過剰に力みつづけていたものが、単純に年をとってピークを越えたからなのかもしれないけれど、今の私は感覚的にずいぶん軽やかになってきている。
愛用してきた服は旧知の友のように私となじみきっていて、昔の私を知りつつこれからへと向かう狭間に立ち、寄り添ってくれているようだ。それと同時に、違和感のないものを纏えることはとてもさいわいなことだったことにもようやく気がつけた。
エッセイを綴ることは、自分にとって未整理のだったことを少しずつ収めてくれているようだ。ほんとうにありがたいことだと思っている。