人は仕合わせと呼びます | 莉琴
ずっと行ってみたいカフェがあった。
知ったきっかけはインスタグラムだったと思う。カフェからの景色が毎日投稿され、深呼吸したくなるようなその絶景を見る度に、行ってみたいなあと思いを馳せていた。
けれど、徒歩や電車で行ける距離ではない。
飛行機で1時間30分、さらに空港から車で1時間以上かかり、旅行必至の場所だった。
でも毎日目にしてしまうものだから、どうしたって思いは募る。家族に一度尋ねてみたが、皆で楽しむなら別の場所への旅行がいいのでは?と返されて諦めた。
だが、何事もタイミングや流れがあるのだろう。
それから半年経ち、連休だけど特に予定がないね。あのカフェに行きたいな…と軽い気持ちで呟いたら、じゃあ行く?と言われ、いいの?!と思わず聞き返してしまった。
そうと決まればと飛行機のチケットが予約され、宿の候補がいくつか送られてきた。わたしも調べて意見を出し合い、宿の予約も完了して瞬く間にカフェへの道筋が整った。
かくしてわたしは恋焦がれた場所へ辿り着いた。駐車場からの道のりは、まるで両想いになって初めて2人で出かける日の待ち合わせのようにそわそわした。駆け出しそうになる気持ちを抑え、早足で木々の間を抜けると目の前にあのカフェが現れた。スマホで毎日繰り返し眺めていた通り、本当にあったんだ。実際には存在しないかとすら思われた遠くのものが、今は触れられる距離にある。自分が画面の中に入り込んだような不思議な感覚になった。
席に座ると、毎日見てよく知っている、けれど自分の目には初めて直接映る景色が広がる。
間もなく夕暮れを迎える橙色の柔らかい太陽の光が海面に反射して光り、浮かぶ島々の周りには静かに波が立っていた。波のひとつひとつさえも捉えることができる。スマホの中の景色と同じだが、体感する世界の厚みはまったく違う。
窓から心地よく入る風、海の上をゆったりと旋回するトンビの鳴き声、木々の葉が擦れる音、淹れたての珈琲の香り、食器とカトラリーが当たる音…画面からは感じられなかった幾重にも重なる響きもたくさんあった。この身をもって丸ごと感じられたことがうれしくて、その世界にじっと浸る。
わたしはひとり旅ができないし、車では助手席のプロに徹している。だから、自分だけではここには到底来られなかったんだと気付いたら、有難さに思わず涙がこぼれた。カフェに限らず、すべてに対してそう思えたからかもしれない。家族だけでなく、ご縁のある人たちがいてくれるからこそ、今の自分がある。その人たちにもご両親がいて、ご先祖がいて…と感謝の向かう先は次々と現れて止まらなかった。
『逢うべき糸に出逢えることを 人は仕合わせと呼びます』
思い出された中島みゆきさんの歌と共に、ひと口、またひと口と噛みしめるように珈琲をいただく。飲み込むたびに記憶のシャッターが押され、目の前の景色が特別な場所に保存されていくような気がした。